殺し屋と標的の家

「知らない天井だ」


目を覚ましたプルートは、幼い頃に何度か行った祖父母の家を思い出させる木の天井を見ながらそう呟いた。


「目を覚ましてすぐに冗談を言う元気があるなら頭の傷は大丈夫そうですね」

「おわっ!?」


ここ数年、朝起きてすぐのプルートが他の人間の声を聞いたことなんてなかった。それも、すぐ近くから揶揄うようにプルートに話しかけるのは透き通るようなイケメンボイス。

プルートは慌てて飛び起き…ようとして、視界が霞むほどの激しい痛みを訴える頭頂部を抱えて再び柔らかい枕に顔を埋めることとなった。


「かなり強く打ってましたからね、しばらくは動かない方が良いですよ」


じっとしているとゆっくりと引いていく頭部の痛みを感じつつ、プルートは自分が気絶する前に起こったことを思い出す。


「あなたは?」

「僕の名前は篠崎怜。昨晩あなたに殺されかけた標的ですよ」

「殺されかけたって…」


怜は殺されかけたと思っているようだが、プルートからしてみれば殺し損ねたとすらも思えない。終始遊ばれていたようにしか感じなかったのだ。

未だに激しい頭部の痛みを堪えつつ、身体を横に向けて怜の方を見る。


怜は、プルートが横たわるベッドのすぐ近くで最近流行りのゲーミングチェアに座ってデスクトップ型のパソコンに向かい、キーボードで何やら文字を打ち込んでいた。


「ねえ、何してるんですか?」

「仕事ですよ。まさかあなた、『家でパソコンに向かっててできる仕事なんてあるわけない』なんて言う人種じゃありませんよね?」


怜は一瞬その手を止め、プルートの方を一瞥すると再びキーボードを叩き始めた。


「…?私だってパソコンからシゴトの依頼を受注してますよ?」

「ほう。殺し屋もハイテクになったもんですね」


怜は興味深そうに頷き、またすぐに黙ってしまった。

『家でパソコンに向かっててできる仕事なんてあるわけない』なんて時代遅れなことを言われたことがあるのだろうか。それに、あまり感情の起伏を感じさせない喋り方の怜から何か憎悪に近い感情が感じられた。誰か嫌いな人にでもそう言われたのだろうか。


「ハイテクになる前の殺し屋を知っているんですか?」

「いえ、ただのイメージですよ」


会話が途切れ、しばらく怜がキーボードを叩く音だけが聞こえる居心地の悪い沈黙が続く。


「そういえば、ここってあなたの家ですよね?どうして私を?」

「殺し屋とはいえ、怪我して気絶してる女性を放ったらかしにするわけにはいきませんから。だからといって警察を呼んでしまったらあなたは間違いなく重い罰を受けることになるだろうし、病院に連れて行っても身分を訊かれたら困るでしょう。幸い軽傷だったようなのでとりあえず僕の家に運んだというわけです。あ、服を脱がしたりだとか変なことしたりはしてないので安心してくださいね。流石に寝返りを打った拍子に刺さったら危ないのでナイフは預からせてもらいましたが」


怜は淡々とそう述べると、机に置いてあるプルートのナイフを右手でひらひらと掲げてプルートに見せた。何か特別な意匠があったり名前が書いてあるわけではないが、間違いなくプルートが昨晩怜の背中に突き刺そうとしたナイフだ。


「随分と冷静ですね。もしかしてここまで計画のうちだったりします?」

「…そんなわけないでしょう…。頭が上手く回らないし武器もない状態で慌てたところでどうしようもないからですよ…」


そのまま少し経ってだんだんと頭の痛みが治まってきたプルートは上半身をベッドから起こし、ぐるりと辺りを見回す。


今プルートと怜がいるそこそこの広さの部屋には、本棚に綺麗に収納されている大量の小説、ラノベ、漫画。

見える限りでは2部屋のアパートで、開け放たれたドアから見えるもう一方の部屋にはテレビとソファ、キッチンなどが見える。

大方、こちら側が仕事部屋兼寝室で向こうがリビングだろうか。


「あ、もう大丈夫なんですか?頑丈なんですね」


キョロキョロと辺りを見渡すプルートに気付いた怜は、キーボードを叩く手を止めてゲーミングチェアをぐるっと回し、プルートの方に向き直る。その手には先ほどのナイフが。


「はい、これ返しますね」


そう言って柔らかい笑みを浮かべてナイフの刃の方を持ち、その柄をプルートの方に差し出す怜。


「え?あ、ありがとうございます…」


プルートはきょとんとした顔でその柄を持ってナイフを受け取る。


「ていうか私、殺し屋ですよ?」

「ええ、知ってますよ」

「標的はあなたなんですよ?」

「ええ、それも知ってます」

「なんでナイフを返してくれるんですか?」

「あなたのナイフだからですよ?」

「これはあなたを殺すためのナイフですよ?」

「そうされないために、取り引きがしたいんです」

「取り引き?」


再び優しい笑顔を浮かべ、怜は机の上に置いてある何かを取ってナイフと同じ様にプルートに差し出した。


「ここに200万円あります。これで、依頼主のから標的の僕の方に寝返って下さい」


そう、怜がプルートに差し出してきたのは白い帯のついた2つの札束。依頼主のが支払った報酬のちょうど倍の現金を殺し屋に差し出しながら柔らかく微笑むのだった。

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