殺し屋と過去 1

夢を――見ていた。自分が初めて人を殺したときの夢だ。



最初に人を殺したときの感覚というのは今でもはっきりと覚えている。


あれは確か14歳の時。


私は、夜中に母親のつんざくような悲鳴を聞いて飛び起きたのだ。


「お母さん…?」


確かに聞こえた母親の声。寝室こそ違うものの、必死に助けを求めるような母親の叫び声は確かに幼い頃の私の耳に届いた。

耳を澄ますと、隣の両親の寝室からドタバタという物音が聞こえる。

一瞬だけ、「お盛んだなぁ」なんて下らない考えが頭をよぎる。しかし、確かに二人は今でもラブラブだが流石に隣の部屋で娘が寝ているのにその妹だか弟だかを作ろうとするほどではない。それに、こんなに切羽詰まった悲鳴を上げるようなSMプレイが好きなはずもない。


明らかに異常事態だ。


両親の安否が気になり、念の為筆箱から取り出したコンパスを握りしめてゆっくり扉を開けて廊下に出る。いつもの廊下なのにその暗さがやけに不気味なものに感じる。

両親の寝室の扉は閉ざされており、先ほどの争うような物音ももう聞こえない。


「お母さん?」と呼びかける。

しかし、扉の向こうからは返事がない。覚悟を決めて金属製のドアノブを握り、押し開ける。

そして私の目に飛び込んできたのは――


「お母さん…?お父さん…?」


震える声でそう呼びかける私の目の前にいたのは、ベッドの上で血の海の中に沈む男女――もちろん、私のお父さんとお母さん。仰向けに倒れるお母さんの胸には暗くて見えづらいが確かに大きな傷があり、子供の私でも分かる致命傷だ。


だが、傷が浅かったのか刺されたばかりだったのかは分からないが僅かに目に光の残っているお父さんが唇を震わせながら言葉を紡ぐ。


「――、に、げ…」


その残った光も失われ、力尽きたお父さんが力なく倒れ伏す。


「チッ、ガキがいやがったのか。まあいい…」


両親の遺体に気を取られて気付かなかったが、両親の寝室にはいるはずのない3人目の人間。

両親を殺したと思われるその男に向かって、私は氷のように冷たい声で問うた。


「あなたが、お父さんとお母さんを?」


自分でもびっくりするほど落ち着いていた。ドラマで似たようなシーンを見たことがあるが、普通はここまで冷静にしていられないだろう。泣き喚き、正気を失ってもおかしくない。


ただ、少なくとも私の頭の中は『大好きなお父さんとお母さんを殺したコイツを殺さなきゃ』という思考に埋め尽くされていたのだ。


「ああ、そうだよ。んで、今からお前も殺すんだ」

「…そっか」


その言葉を聞くやいなや、私の身体は勝手に動いていた。

即ち―――握りしめたコンパスの針を男の眼球に突き刺したのだ。


先ほどの私のお母さんのような悲鳴を上げ、右目を押さえてのたうち回る男。誰かを傷つけるのは記憶にある限りでは初めてのことだったが、不思議と罪悪感や忌避感は一切ない。いや、コイツが私の両親を殺した殺人犯だからか?


まあいい。


とにかく、痛みのあまり男が思わず取り落した包丁を拾った私はその元の持ち主の胸に向かって思いっきり振り下ろした。


これが、私の最初の殺人。



胸に凶器を深く刺された男が完全に動かなくなったのを確認してから、感情のない虚ろな表情をした私は両親の亡骸の傍に座り、泣いた。時々嗚咽するように、時々は大声を上げて、泣いた。泣き続けた。



それから起こったことはあまり覚えていない。

ただ、後から聞いた話では悲鳴や泣き声を聞いて不審に思ったご近所さんが通報してくれたようで、夜明け前には家に警察が来ていたらしい。

インターホンを鳴らしても返事がないことで何かがあったと察した警察官が鍵のかかっていたドアを蹴破って家の中に入り、寝室に横たわる3つの遺体と泣き疲れてぐっすりと眠る私を発見したそうだ。


取り調べを受け、起こったことを説明した私は「お父さんとお母さんと離れたくない。死刑にしてください」と言った。


だが、少年法で護られる年齢な上に大人だったとしても正当防衛が認められる事案。両親が亡くなった、祖父母も既に病気で死亡しているということで児童養護施設に入れられたのだ。


私は、施設にいる間に何度も自殺を図った。首を吊り、窓から飛び降り、毒を飲んだ。


…しかし。首を吊ったロープはいきなり切れるし、頭から飛び降りたにも関わらず軽傷で済んで2週間で退院。毒を飲んだ直後に激しい嘔吐感に襲われ、全てを吐き出してしまった。


「どうして…死なせてくれないのよっ!!!」


私は自らの運命を呪い、拳を固めて自分にあてがわれたベッドを何度も何度も叩きながら叫び続けた。


そんな私を見かねた職員が代わる代わる私に話しかけてくるのだが、その言葉は私の耳には届かない。


やがて職員も私の心を開かせるのを諦めたのか、必要なこと以外では話しかけてこなくなった。

私も、何度自殺しようとしても死ねないのでもう死ぬことすら諦めて漫然とした日々を過ごすようになっていった。

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