殺し屋と第二の計画

標的を逃してしまった以上、もう神経を割く要因なんて何もない。プルートは与えられた仕事をきっちりとこなし、店長の藤本さんから「このままうちの正社員になってほしいくらいだわ」と最高の評価を受けてからカフェを後にする。


時刻は午後5時を回ったくらいだろうか。以前に比べるとまだマシとはいえ、未だに冬の寒さがしつこく残っている季節だ。

冷たく肌を刺す風に身を縮めつつ、プルートは暖かかったお気に入りのトレーナーに思いを馳せていた。

結局すぐに依頼が入ってしまったせいで買いなおすことができなかったあのトレーナー。普通にファッションとしても可愛いし、黒くて目立たないので闇夜に乗じる仕事の時には重宝していたトレーナーだったのに…。


…と、


「あ、やっと出てきた」


日が沈み、本格的に夜が訪れようとしたところで標的がアパートから出てきた。


怜の部屋は2階建ての割と新しいアパートの2階の角部屋。駅からもそれなりに近いしアクセスのいいコンビニとスーパーマーケットもあるので結構家賃は高いはず。


とはいえ殺しの標的がどんな家に住んでいようが、外に出たタイミングで実行するのならどうでもいい。問題は、何故コーヒーに毒を入れたことを感づいたのかということと、はなんの目的があってプルートに依頼したのかということ。


もし今回の依頼がプルートを嵌めるための罠で、その何者かの仲間である彼が今日プルートに命を狙われるということを知っているのならわざわざ喫茶店に出向いてコーヒーを注文した時点でおかしい。

昼の彼の仕草はどう見てもハナから注文したコーヒーを飲むつもりがなかったというよりは彼が言ってた通りが混入していることを察知して飲むのをやめた、といった感じだった。


もしあのまま飲んでいたら怜は今頃買い物のために家を出ることすら叶わず狭いアパートの一室で眠るように死んでいたことだろう。

遅効性の毒なので誰か―――例えば警察や彼の仲間がその死に気付いたところでもう遅い。プルートは痕跡を全て消して行方をくらませた後だ。偽名を用いて騙している人に顔を見られたことは何度もあるが、殺し屋プルートとして仕事をしているときにその顔を見た者を逃したことは未だかつて無い。つまりカフェの美人店員山本佳奈が殺し屋であると気付かれる要素は皆無ということだ。


確実な死を確認することこそできないものの、プルートは始めからそういう計画だったし怜がカップ半分でもいいからコーヒーを飲んでくれたら計画は完遂だった。


そうしたら仕事終わりにショッピングすることもできたのになぁ…なんてとりとめのないことを考えつつプルートは近所のコンビニに向かう怜の尾行を開始する。


誰かと接触することもなく、怜はいつも利用しているコンビニに到着した。流石にプルートは店内に入る意味も特に無いのでコンビニの入り口が見える位置で待機だ。


もう完全に日が沈んで真っ暗になった中、煌々とした電飾の光を放つコンビニをボウっと眺めつつプルートは自分を尾行している影がないか気配を探って確認する。隠れる物を変えるなどして時折少し移動し、プルートを見失って焦って近づいてくる下手人がいないかをチェック。


今回の依頼、思い至る目的としては標的である怜を始末させた後でプルートを確保、もしくは始末しようとしている可能性が高い。ならば、毒殺に失敗して直接手を下すしかなくなってしまったこの状況というのはプルートにとってピンチ以外の何物でもない。


更に恐らくだがその依頼人は今もどこかからプルートを見張っていることだろう。それが分かっている以上作戦を中止、若しくは延期することも考えたのだがこの稼業に一番大切なのは信用だ。一度でもシゴトを失敗したり依頼の条件を満たすことができなくなってしまえばそれを境に依頼の数は一気に減るのだ。

殺しというのは、殺し屋本人だけではなく依頼人にも大いにリスクがあるもの。もし殺し屋がシゴトでヘマをしたなら、標的は何故自分が殺されそうになったのかを考える。そして、殺したいと思うほどの憎しみを持っている者は大抵その対象にもそう思っていることがバレているというのが世の常である。


だから、一度シゴトを失敗した殺し屋の信用というのは一気に失墜する。例えそれが今回のような罠であったとしても、狩られているのが標的ではなく自分の方であることが明確であったとしてもその罠に敢えて引っかかり、ぐらいの気概でないと殺し屋なんて稼業はやってられない。


故に、プルートは標的の始末を済ませた後のことを一番に考える。今回は昨日捨てたトレーナーとは別の真っ黒のトレーナーを身につけてフードを被り、黒いウレタンマスクをしているので目元以外は完全に隠しているという服装だ。

もし標的を殺した後で尾行されたりコンタクトを図られたとしても顔を見られることなく追手を撒いて逃走するためである。


「あっ、出てきた…」


コンビニの自動ドアが開き、白い袋を持った怜が店から出てくる。当然プルートの姿には気付くこともなく、まっすぐとアパートへの帰路につく。


そんな怜の姿を見ながらプルートはゆっくりと息を吐き、懐に忍ばせたナイフを握りしめる。


実行するのは少し先の路地裏。人気のないその道の近くには、しばらくの間誰も来ないことを確認済みの死体を隠すための廃工場がある。

直接実行するのはかなりリスキーだが、そこからの逃走経路もしっかりと準備してあるし例え襲いかかられたとしても数人なら返り討ちにできる程度の戦闘技術なら殺し屋稼業をやっているこの数年で十分に磨いたつもりだ。


そんなことを考えながら尾行している間に、プルートが予め目をつけていた辺りに怜がゆっくりと歩いてゆく。


尾行するプルートの姿に気付いている様子はない。完全に隙だらけの標的。

プルートは殺気を含め自らの気配を消す。完全に闇に同化し、致命的な隙を晒す標的の背後から一陣の風のように走り寄ってその右手に握りしめたナイフで喉笛を掻っ切り―――



「今夜は…月が、綺麗ですね」

「―――え?」


プルートの殺意は、暗闇でも分かるほど綺麗な白い歯を見せて穏やかな笑顔を浮かべ、プルートの手首を掴む怜の手によって阻まれていたのだった。

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