殺し屋と毒
「とりあえずこのオリジナルブレンドをブラックで」
「はい、かしこまりました」
学校のノートほどのサイズのメニューをしばらく眺めてから、そばに立って注文用のメモを持つプルートにそう伝えるそこそこ美形の男性。すっきりとした目鼻立ちに、綺麗なサラサラの黒髪。
テレビでアイドルをやっているようなずば抜けたイケメンではないが、ナンパされたら迷わずついていくレベルだろうか。イケボだし。
いやいや、あくまでプルートはこの男を殺すためにここに来た殺し屋。
イケメンだとかイケボだとかより、本当にこの男があの写真の男なのかということの方が圧倒的に重要なのである。
プルートは厨房の方に席の番号と注文内容を伝え、藤本さんに「ちょっとお手洗いに」と言って従業員用のトイレに向かう。
「やっぱり…あの男だ」
個室に入って扉を閉め、ポケットからスマホを取り出して予めパソコンから転送しておいた標的の顔写真を改めて確認する。流石に数十秒前に見た顔だ、髪型や肌の色、ほくろの有無などの細部まではっきりと思い出して照らし合わせる。
双子じゃないか、他人のなりすましじゃないか…。ほぼ間違いなくても、そういったことを確認するというのは非常に大事なことなのだ。
「…よし、じゃあ殺ろう」
およそ可憐なカフェの店員の口から発せられるべきではない物騒な言葉をさも当然のように吐き出しつつ、写真アプリのタスクを切ったスマホをポケットに滑り込ませる。
念の為しっかりと手を洗ってトイレを後にし、プルートはフロアに戻って業務を再開する。
怜を見ると、二人席の一方の椅子に腰掛けて脚を組み、左手で頬杖をかいてスマホをいじっている。無自覚なようだが、女性客が数人チラ見しながらヒソヒソ話しているくらいには絵になる。ちなみに男性客は決してイケメンとは言えない数人が敵意を滲ませるだけでさほど気にも留めていない様子。
「あのお客様にこれ持っていって」
標的を観察しながらしばらくフロアを見渡していたプルートが声の方に振り返ると、この店自慢のオリジナルブレンドコーヒーができたようで厨房を担当している従業員がカウンターにコーヒーカップを置いたところだった。
「はい、わかりました!」
プルートは元気に返事して美味しそうな香りを含んだ湯気をのぼらせているコーヒーカップをお盆に乗せ、素早く懐から取り出した粉薬をパラパラと入れて怜の元へと持っていく。
「お待たせしました、こちら当店オリジナルブレンドのコーヒーになります」
「ありがとうございます」
「それではごゆっくりどうぞ」
柔らかい笑みを浮かべながら任務の完了を確信して内心でほくそ笑む。
もちろん、先程プルートが入れた粉薬は致死性の毒薬である。
非常に早く液体に溶け、しかも遅効性。無味無臭で色もなく、一度水に溶けてさえしまえば識別はほぼ不可能。
詳しい説明は省くが、摂取から4時間後くらいに心臓の機能をゆっくりと停止させて心停止させ、ただの心不全に見せかけて殺すことができる。病死なら警察で司法解剖されることもないし、万が一解剖されたところでその成分を検出することはほぼ不可能に近い。
裏サイトで仕入れた様々な薬品をプルート自ら調合して作った自慢のオリジナルブレンドの毒薬だ。
プルートは他のお客の注文を取るふりをして、標的が毒入りコーヒーを飲むのを見届ける。
彼は頬杖をついていた左手でカップを持ち、そのまま―――
「…え?」
なんと、口元にカップを持っていったかと思うと一瞬顔をしかめて再びテーブルに置いたのだ。
――まさか毒を入れたのを見られた?いや、そんなはずはない。彼はずっとスマホを見ていたし、どこから誰が見ても分からないように入れたはず。なら、何故?何故飲むのをやめた?何故―――
「あの…大丈夫?」
「あ、すみません!」
怜の不審な行動に考えを巡らせていたせいで目の前のお客の注文を聞き逃してしまっていたようで、慌てて頭を下げるプルート。
幸い、お客は穏やかな性格のマダムだったので気を悪くすることもなく注文を繰り返すだけでなく「若いんだからあんまり無理しないでね」と優しく声をかけてくれた。
「あの、すみません」
注文を厨房に伝えに戻ろうと通路を歩くプルートの耳に届く透き通るようなイケボ。
言うまでもなく怜だ。
「はい、どうかされましたか?」
プルートはその内心の焦燥を悟られないように努めて平常心を保ちながら笑顔でそう応える。
「これ、本当にブラックですか?申し訳ないですが確認してもらっても…?」
「はい、少々お待ち下さい」
営業スマイルをキープしながらも、何かが入っていることを勘付かれたことに対する困惑で思考がいっぱいのプルート。
一応、厨房で間違えて何か入れてしまった可能性も考えて確認を取る。しかし、厨房から返ってきた返事は「何か混入したはずはない。ちゃんと注文通りにオリジナルブレンドのブラックを淹れた」のみ。
となると、やはりプルートが毒薬を入れたことに気付かれたのか…?
「厨房に確認してみましたところ、オリジナルブレンドのブラックで間違いないそうですが…」
「…そうですか、お手数をおかけしてすみませんね」
「いえ、お構いなく…。ところで、何か違和感でもありましたか?このコーヒー」
オリジナルブレンドはこの店の人気商品の一つ。プルートがアルバイトとして働く昨日今日だけでも何杯も提供したので、色、香りなんかははっきりと覚えている。そして、目の前で湯気を上げているこのコーヒーカップにはなんの異常も感じないのだが…。
「いえ、僕の勘違いだったみたいですね。あと…連れが来れなくなっちゃったみたいなんで失礼しますね。せっかく淹れてもらったのにすみません…」
席を立ち、本当に申し訳無さそうに頭を下げてから会計に向かう怜。
「あ、ありがとうございましたー」
慌てて挨拶をして、礼をしたところで気付いた。
「…普通、『勘違いでしたすみません』の後で一口も飲まずに帰るか…?」
わざわざブラックである確認を取って、その後で一口も口をつけずにそのまま帰るなんてどう考えてもおかしい。
「こんなコーヒーに金なんか払えるか!」って言って代金を踏み倒しているわけでもないのだ。しっかりとレジでコーヒーの代金を支払ってから帰っている。勿体無いし、普通なら一口くらいは飲んでから帰るはずなのだが…。
いや、そもそも彼自身が今回の殺しを依頼してきたのなら、あんなに警戒しているのが既におかしい。例えプルートが目の前で毒を入れていようが喜んで飲み干して然るべきだしナイフを持って近づいてこようが目を瞑ってその胸に切っ先を差し込まれるのを待つべきなのだ。
――やっぱり思ってた通り彼は本当の依頼人ではない。それどころか普段から殺されかけ慣れている…?
結局、怜が言った通り彼の連れを名乗る人物は現れなかった。
今彼を追いかけてアルバイトを早退するのも不自然だし、どうせ家に帰ってしまえば夕方頃まで怜が家を出ることは恐らくない。
プルートはとりあえずシフト通りに5時まで普通のアルバイトとして働き、その後で標的を殺す計画に切り替えるのだった。
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