殺し屋と潜入

「お待たせしました、こちらエスプレッソになります。ごゆっくりどうぞー」


例の依頼から3日。


プルートは依頼にあったカフェにアルバイトとして潜入していた。偽の履歴書を作成し、『山本佳奈』という偽名で応募したのだ。


黒を基調とした可愛らしい制服に身を包み、人懐っこい柔らかい笑みを浮かべる魅力的な美人店員山本佳奈は、その肚の中では暗殺対象とその方法について考えていた。


標的は都内在住の21歳の男性。名前は篠崎しのざきれい

依頼主からの情報には書かれていなかったが、彼の住居はこのカフェの近くのアパート。

隠れて見張った限りでは基本的には一日中家の中にいて、一日に一度だけ買い物のために夕方に近所のスーパーマーケットかコンビニを訪れる。

引きこもって何をしているのか気になったが、分厚いカーテンに仕切られていていて外からでは確認のしようがない。


彼の外出中にこっそり侵入することも考えたが、依頼が彼の殺しだけである以上余計なリスクを犯して彼の個人情報を詮索するメリットもない。不法侵入しようとしたところで他の人に見つかってゲームオーバーなんてことになったらの間で永遠にお笑い草にされることだろう。


この2日で集めた標的の情報について考えながらお客の注文を聞き、殺す方法について頭の中でおさらいしながら厨房から渡された料理を提供する。


「へへっ、姉ちゃん可愛いね」

「え?」


プルートが違和感を覚えて振り返ると、そこにはヘラヘラ笑いながらプルートの臀部を触る男が。紅く上気した顔、漂う鼻を突くアルコール臭…。どうやらまだ真っ昼間だというのに既にかなり酔っ払っているようだ。なんでこんな奴がこんなカフェに来るんだか。


「ありがとうございます!」


今すぐを脳天に突き立ててやろうかとも思ったが、まだ依頼は終わっていない。他の客もいるから確実に捕まるし、何より今騒ぎを起こすのは得策ではない。


完全に自分の感情を封じ込めてロボットのように依頼にあたるよりは標的や周囲の人間の考えていることを読めるように自分自身も人間らしい感情を備えている必要がある。とはいえ、依頼達成のためにその感情の一部を封じ込められてこその殺し屋なのだが。


実際、自分は強制わいせつなんかよりよっぽど重い罪を何度も何度も重ねてきた人間だ。今まで積み上げてきた少なくとも100を超える屍の数はもはや数えようとも思わない。

毒殺、刺殺、撃殺、斬殺…。それらを重ねている間に『殺す』という行為への忌避感なんてものはかなり前に消失した。


まあ、とはいえ殺される人間の苦しみやらは常人なんかよりはよっぽど理解しているつもりだ。実際に殺されそうになったことも何度もあるし致命傷もかくやという重傷を負ったこともしばしば。

それでこの端正な顔立ちに一条の傷もついていないのはひとえに幸運としか言いようがないのだが。


いや、そもそも感じるべきは自分への怒りか。13という数字を冠したどこぞの殺し屋が徹底しているように、自らの背後という死角を正体の分からない相手に晒すどころか、あまつさえ接触を許すなんて殺し屋を名乗っている以上は絶対に犯してはいけない愚の骨頂だ。


なので、さも当然かのように尻を撫で回す不愉快な手の感触には気付かないフリをしつつ花のような笑みを浮かべて褒められた感謝を伝える。『ナイフや銃口じゃなくて素手で触ってくれて』という枕詞を隠している上、ナイフを突き立てられるよりよっぽどマシとはいえ能面のように貼り付いたその笑顔の裏にはこの上ない殺意が渦巻いているわけだが。


「ねえ、佳奈ちゃん大丈夫?」

「何がですか?」


変態野郎から離れて何事もなかったかのように仕事に戻るプルートに、心配そうに話しかけてくるプルートと同じ制服を着たおばさん。このカフェの店長の藤本恵美さんだ。


「いや…さっきあのお客さんにお尻触られてなかった?ああいうのって放っておいたら調子に乗って何回も同じことするから警察にでも」

「大丈夫ですよ!触られたって減るもんじゃないですし、第一アルバイトの私なんかのせいで警察沙汰になってこのお店の印象が悪くなるのも申し訳ないですしね!」


内心はもちろんこうである。


――うん、今すぐ警察呼んで突き出したい。ていうかむしろ私が直接裁きたい。被害者なんだしそれぐらいの権利はあっていいよね?ね?殺していいよね?


もちろん、そんな本心は可愛らしい顔に貼り付けた優しい笑みの下に隠しているわけだが。


「…そう?我慢できなくなったらいつでも言ってね?あ、いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませー」


新しく来店したお客に気付いて挨拶する恵美さんに倣って大きな声で挨拶をしてお辞儀をするプルート。


…と、顔を上げたところで気がついた。


「何名様でしょうか?」

「あ、連れが来る予定なので二人席お願いします」

「かしこまりました。それではこちらの席にどうぞ」


窓際の席に案内し、ナプキンとお冷を提供しながらその男性客の顔を見る。




―――この2日間ずっと調査していた、標的の顔を。

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