ケイマーダの灯台

大橋 知誉

ケイマーダの灯台

 現地のスタッフに案内されて、アニー・カーナと島崎隆之介はケイマーダ島に向かっていた。


 ケイマーダ島は無人島だ。飛行機などが着陸できるポイントが無く、このように船で近づき上陸する他ない。


 この島は空や海の交通の目印として、大変重要な位置にあるため、はるか昔に建設された完全自立運用型の灯台が今でも現役で使われている。


 その昔は、灯台守の家族が住んでいたなどの伝説は残るが、数千年前に国連によって島全体の立ち入りが禁止されてからは、めったに人が近づかない島となってしまった。


 今回は実に400年ぶりの訪問となる。

 島へ訪れる理由は二つあった。


 ひとつは、今でも重要な役割を果たしている灯台が謎の不具合を起こし停止してしまったので、その原因の解明と修理に行くこと。


 そしてもうひとつは、この島がなぜ立ち入り禁止になったのか、その真相を調査するためだった。

 この島に人が立ち入らなくなってから、かなりの年月が経ってしまったために、かつてこの島で何が起き、何ゆえに閉鎖されてしまったのか、もはや知る人はいなかった。


 この島を所有するブラザリアン帝国では、この島を開放すべきとの論争がここ数十年続いていたが、先日、前皇帝の生前退位が行われて、新皇帝の意向により、調査する運びとなったのだ。


 アニー・カーナはブラザリアン帝国から派遣された調査員であり、島崎隆之介は世界トップレベルの整備士だ。

 行った先に何があるのか、全くの未知であるため、調査隊はこの二人と護衛一人という最小限のメンバーでチームが組まれた。


 船が島の東側の海岸に到着すると、調査隊は防護服とガスマスクという物々しいいでたちで登場した。とりあえず、最悪の事態を想定しての防備である。


 上陸した調査隊はキョロキョロと周りを覗った。見える範囲にはこれと言って異変はない様子だった。


 波打ち際にほんのわずかな砂浜が数メートルほど続き、その向こうでは鬱蒼としたジャングルが迫っていた。


 調査隊の三人を下ろすと、現地スタッフは船に残り、海の上へと戻って行った。この島に入ることを許されたのは調査隊の三名のみだったので、現地スタッフは海上で待機していなければならない。


 さっそくアニー・カーナが砂浜の砂を小型の検査キットに入れ、フルフル振って成分を調べ始めた。 


「うん。みたところ、この中には未知の微生物やウイルスはいないようね。」


 続いて彼女はシャキーンと腰から長い棒のようなものを取り出し、ブンブンと振り回した。


「放射線量も正常。でも防護服とマスクはまだつけておいた方がいいわね。」


 それを聞いて、島崎隆之介は大げさなため息をついた。彼の目的地である灯台は、この先、数百メートル上った山の上にある。

 この蒸し暑さの中、防護服とマスクをつけ、十キロほどの機材を抱えて道なき道のジャングルを山登りだ。いくら普段鍛えているからと言っても、まあまあきつい道のりになりそうだった。

 マスク越しにその気持ちを汲み取ったアニーが隆之介に声をかけた。


「脱いでOKって言えなくて悪いわね、ハンサム君。」


「しかたないですよ。ケイマーダ島ですからね。それと、前から言ってますけど、ハンサム君って呼ぶのやめてくださいよ、博士。」


「じゃあ、あなたもいい加減、博士って呼ぶのやめてよね。」


 そう言うとアニーはくるりと護衛の方を向いて、彼を呼び寄せた。


「デニス君、悪いけど、先を歩いてくれないかしら?島崎君だと猛獣が急に飛び出してきても対処できないだろうから。」


 彼女の言葉に無言で頷くと、護衛のデニスはジャングルに向かって歩き始めた。防護服を着ていると彼の巨漢っぷりがよけいに強調される。


 マスクのせいで表情は見えないが、きっと真面目腐った顔をしてるだろう。隆之介はデニスとは初対面だったが、よく訓練されたくそ真面目な奴…という印象を受けていた。アニーとデニスは以前にも一緒に仕事をしたことがある様子だったが、彼らがどの程度親しいのか、デニスが全く喋らないのでわからなかった。


 一方のアニーと隆之介は、同じ中学校出身の旧知の仲だった。アニーの方が2つ年上で、隆之介とは科学クラブの先輩と後輩の間柄だ。中学卒業後はしばらく音信不通だったのだが、数年前に仕事で再会し、それからは時々こうしてアニーのご指名で隆之介が呼ばれ、一緒に仕事をしていた。


 アニーは仕事のことではしょっちゅう隆之介に連絡してくるくせに、プライベートなお誘いは全くだった。そのことに対して隆之介は少々不服に思っていた。アニーはデニスみたいな奴が好みなんだろうか。


 隆之介はそんなバカバカしい考えを頭から追い出し、重たい荷物を背負いなおすと、彼らについて歩き始めた。


 この島の植物はツル状のものが多く、ひどく絡まりあっていて、先頭を行くデニスが片っ端から断ち切ってくれているものの、数メートル進むのにも苦戦していた。

 やっかりな植物をかき分けかき分け進んでいると、隆之介は足首の辺りに、チクッと痛みを感じた。

 何かに刺されたのではと思い、あわてて見てみると、足首のあたりの防護服が割けて擦り傷のようなものができていた。


「しまった…枝に引っ掛けたか…。」


 隆之介がぼそりと言うと、アニーが足を止めて振り返った。


「まさか、あなた怪我したの?」


 隆之介がうなずくと、アニーは植物をかきわけ戻って来て、傷を見るためにしゃがみこんだ。

 そして、腰のバッグから、様々な機器を取り出し、傷口を調べ始めた。


「うん。大丈夫。大丈夫よ。何かに感染してるような様子はない。とりあえず、閉じましょう。」


 アニーは大きな絆創膏のようなものを取り出し、隆之介の傷に貼り、ビニールテープで防護服の裂け目も閉じた。


「歩ける?」


 隆之介は足を動かしてみて、特に痛みはなかったので、頷き歩き始めた。

 それを見てアニーもほっとしたようだった。


 それから数時間、ジャングルの中をひたすら歩いて、彼らはようやく灯台へと辿り付いた。


 灯台は島の北側の一番高い山の上に立っていた。

 白いコンクリートでできた建物だ。中は螺旋階段になっていて、一番上部に数キロ先まで届くライトがついている。

 このライトは太陽光発電で動いており、何もしないでも数千年は動き続けるはずだった。


 隆之介はまず、1階にあるコントロールルームで状況を調べたがシステム的に特に問題はなく、正常に電気が作られ供給されているようだった。

 問題はライトの物理的な故障なのかもしれない。長い階段を登り、最上階へと向かった。


 灯台のライトは、直径が1.5メートルほどもある巨大なLEDライトだ。

 隆之介は最上階で灯台のライトを見てすぐに問題点を発見した。


 頑丈に作られているはずの灯台のライトが見事に破壊されていたのだ。


 それにしても、おかしい。

 顎に人差し指と親指を添えるお決まりのポーズで隆之介は考える。

 相当な力を加えないとこのライトは破壊できないはずだが…。この島にそんな力がある生き物なんているのかな?


 と、その時、階下から悲鳴が聞こえた。アニーの声だ!

 そのすぐ後にデニスの怒鳴り声が響く。


 隆之介はギョッとして窓から下を覗き見た。

 すると、灯台のふもとからジャングルへと逃げていく人影のようなものが見えた。


 灯台の入口付近ではデニスがうずくまっていて、アニーがすがりついているように見えた。

 隆之介は急いで階段を駆け下り、二人の元へと向かった。


「何があったんです!?大丈夫ですか?」


 アニーは泣きじゃくりながらデニスの手当をしていた。マスクと手袋は外している。


 隆之介は彼女の横に行くと、デニスの様子をすばやく確認した。

 デニスは灯台の壁に寄りかかって座り、かろうじて意識はあるようだが、喋るのは難しそうだ。

 防護服は脱がされた状態で、マスクもはずされていた。

 右の脇腹の衣服が破れているところから大量に出血があり、アニーがその傷口を押さえていた。その手を見ると、医療用のゴム手袋を装着している。

 とても冷静とは言えない状態に見えるが、医療的な対処はしっかりできているようだ。


 彼女の傍らにはナイフと検査キットのようなものが転がっていて、デニスの血液を調べているようだった。

 隆之介が傍らに来たことに気が付くと、彼女は止血を代わるように言った。


 隆之介はすぐにマスクと手袋を外し、差し出されたアルコールで両手を消毒、同時に出てきたゴム手袋を装着してからデニスの傷口を押さえた。

 傷口には脱脂綿が当てられていたが、既に血液でグショグショだった。傷口はそうとう深いらしい。


「変な奴がジャングルに走っていくを見ました。そいつにやられたんですか?」


 アニーはようやく落ち着いてきたのか、血塗れのゴム手袋を外し、検査キットの様子を確認しながら話始めた。


「私とデニスは灯台の周りの植物の様子や、動物の足跡がないか調べていたの。そしたら、急に、何かに腕をつかまれて、そんで…、そつは私をジャングルの中に引きずり込もうとしたの。」


 話しながらアニーがカバンの中から新しい脱脂綿を取り出したので、隆之介は受け取り、古いものと交換して、さらにぐっと押さえた。


「咄嗟のことで、デニスも銃を抜くことができなくて、素手で応戦したんだけど…。あいつは何か武器のようなものを持っていて、それでデニスのここを刺して逃げてしまった。」


 アニーはデニスの傷口のあたりを指さした。


「傷は大したことなさそうだったんだけど…、彼、すごく痛がって動けなくなってしまったから…傷口を見たら、む、む、紫色になっていて、それで、それで、すぐに、ど、ど、ど、毒だと判断して…、私、か、彼のナイフで…傷口をえぐって…それで…」


「状況は大体わかりました。とりあえず落ち着いて。」


 また泣き出したアニーを慰めながら、隆之介は止血をしている手を緩めて、そっと傷口を見た。何とか出血は収まってきたようだ。彼女は毒が注入された組織を丸ごと切除したのだ。


「それで、毒の検査をしてるんですね?結果はどうですか?」


 アニーは隆之介に促されて検査キットを確認した。そして、みるみる険しい顔になった。


「何なんです?」


「これは…≪出血毒≫だわ…。でも自然界に存在しないほど濃縮されている…。」


「≪出血毒≫って、蛇の毒ですか?」


「そう。蛇の毒だったら血清を持ってきている。」


 アニーはカバンをゴソゴソ探り、小瓶に入った薬と注射器を取り出した。慣れた手つきで薬を吸い取り、それをデニスの腕の内側に注射した。


「あと、抗生剤は錠剤の薬しか持ってきてないけど、デニス、飲める?」


 辛うじて頷くデニスに、アニーは錠剤をのませた。


「これで、ひとまずは大丈夫だと思うんだけど…本土の病院にすぐに連れて行った方がよさそうね…。さっきので私たちの電話は壊れてしまった様なんだけど、島崎くんの貸してくれる?」


「ズボンの後ろのポケットに入ってます。」


 隆之介には止血を続けるように指示し、アニーは彼の防護服の前のチャックを開けて腕を突っ込むと、後ろのポケットを探って携帯電話を取り出した。

 そして、電話を起動させようとして、隆之介の方を見た。


 しまった!と隆之介は自分のアホさに気が付いたがどうしようもない。

 彼女に携帯のロックを解除するパスコードを教えた。


「650622…って私の誕生日じゃない…」


「あー?そうなんですか?僕の妹の誕生日なんですよ…」


 そうなの?という顔でアニーは隆之介を見たが、起動した携帯の画面を見て、それどころではなくなってしまい、誕生日の件は忘れてくれた。


「あなたの携帯も圏外だ…」


 携帯の画面を覗き見ると、確かに「圏外」と出ていた。その表示自体、隆之介は初めて見た。この地球上で電波が届かないところなんてあるのか?


「上陸してから、携帯を確認した?」


「いいえ…。防護服の内側にあったので見てないです。」


「これは想定外のことだわ。もしも電波が届いていない地域だったら事前に準備するはずだもの。政府も知らないんだ。」


「どうします?船は海の上ですよ。どうやって助けを呼ぶんです??」


 二人は “電波が届かない” という未知の状態に困惑した。通信できなくて、どうやって連絡をとったらよいのだろうか?

 隆之介はものすごい勢いで、記憶のライブラリを参照した。何かいいアイディアが埋もれていないだろうか…。


 そして、思い出した。

 中学生のころに、アニーと遊びで様々な救難信号を調べてイタズラをしていたことを。

 この世には電波を使わずに、離れた人へメッセージを送る方法がいくつかある。


 モールス信号や、手旗信号、そして狼煙だ。


「狼煙!狼煙ですよ!狼煙をあげましょう!煙で救難信号を表現するんです。船を操作する人なら気が付いてくれるかも。」


 アニーもかつての遊びを思い出したのか、ああ!という表情をした。


 隆之介は付近のジャングルから使えそうな枝や葉を集めてきて火をつけた。植物は湿っていてなかなか火が付かなかったが、逆に煙がよく出た。

 それで、うまいこと3つの狼煙が完成したのだが、上空で強い風が吹いているらしく、煙は柱にならずに棚引いて形が崩れてしまった。


「くそ…これでは気が付いてもらえないかも…」


「それでも、続ける価値はあるわね。島崎くんは、狼煙の維持とデニスの看病をお願い。マスクは外してていいけど、防護服は着てて。私は海岸に戻って船を呼び戻せるか確認してくるわ。」


「ダメですよ、先輩。一人で行かせるわけにはいきません。襲って来た奴の正体もわからないんですよ。」


「じゃあ、あなたが海岸に行ってくれる?」


「ダメです。先輩とデニスをここに残していけません。さっきの奴が戻ってくるかもしれないし。僕がデニスを背負いますから、みんなで一緒に海岸へ行きましょう。」


 アニーは少し困った顔をして、隆之介を見つめた。


「わかったわ。じゃあ、ここにある材料で担架を作りましょう。デニスを二人で運ぶの。」


 隆之介はそれで納得し、早速枝やらツルやらを集めてきて即席の担架を作成した。整備士なだけあって、こういう物を作るのも得意なのだ。

 担架に乗せられて、デニスは弱々しい声で何度も「すまない…」と言った。

 隆之介は、そんなデニスの耳元でアニーを命がけで助けてくれたお礼を繰り返し言いながら、必ず助けると約束して励ました。


 デニスを運びながらの山下りは、登って来た時よりも、何十倍も時間がかかった。どうやら日没前までに海岸にはつけそうもなかったが、彼らは進み続けることを選択した。とにかく早くデニスを戻したかったし、このジャングルから一刻も早く出たかったのだ。


 何度目かわからない休憩をしていた時、それは起こった。


 また奴が現れたのだ。奴は音もなくアニーの背後に近づき、さっと彼女を抱えると、あっと言う間にジャングルの中へと消えてしまった。

 あまりに唐突で一瞬の出来事だったので、隆之介は微動だにできずアニーを奪われてしまった。


 声のかぎりに叫びながら後を追おうとしたが、どちらの方向に行ったのかさえもわからなかった。

 すぐにでも彼女の救出に向かいたいところだが、暗闇の中で何の手掛かりもないまま闇雲に追っても彼女を見つけられる可能性はゼロに近い。


 それに、デニスをここに置いていくわけにはいかない。まずはデニスだ。


 アドレナリンが放出され、隆之介の筋力は普段の数倍上がっていた。よいこらしょと、デニスをほぼ抱え上げるようにして背負うと、怒りに満ちた足取りで、ズンズンんと山を下った。片手にナタを持ち、目の前の植物を薙ぎ払いながら、隆之介はデニスを背負ってひたすら歩いた。


 そして、数時間後、ようやく彼らは元来た海岸へと到着した。

 海の上に彼らの乗って来た船の明かりが見えたので、隆之介は懐中電灯を使って救難信号を送った。


 デニスに水を飲ませ、傷口を確認する。この山下りで再び出血してしまっているが、大事には至らなそうだ。


「さっきのはどんな意味なんです?」


 デニスは苦しそうだったが、隆之介がライトで送っていた合図が気になるらしくて声を出した。


「モールス信号ですよデニス。声が届かないときに、長い波長と短い波長を組み合わせて相手に情報を送るんです。さっきのは、SOS、助けてって意味を送ってました。船の奴が知ってるかわからないけどね。しばらく続けたら異常に気が付いてくれるかもしれない。さ、もう喋らないで安静に。」


 隆之介はその後も数十分、海岸で救難信号を送り続けた。すると、その想いが通じたのか、現地スタッフの船が海岸へと戻って来た。


 隆之介は、事情をスタッフに告げ、一刻も早くデニスを病院に連れて行くように指示した。そして自分はアニー救出のために島に残ることも伝えた。

 現地スタッフは本土についたら、援護隊も呼んでくれる段取りとなった。隆之介はこの島での注意点をまとめたメモをスタッフに託した。


 ちょうどここで東の空が白み始め、朝がやって来た。

 隆之介は現地スタッフの船を見送ると、くるりと向きを変え、ジャングルの中へと戻って行った。


 広い森だ。当てもなくさまよっても絶対に奴らは見つからない。効率のよい捜索を遂行しなければアニーは助からないかもしれない。


 幸い、アニーの荷物は彼女の体から離れていたので、まるまる残っている。

 デニスの武器も預かった、そして、隆之介の機材の中から使えそうなものをいくつか。


 重くて邪魔になりそうなものは海岸付近の岩場に隠した。


 隆之介は彼なりのフル装備で、アニーが連れ去られた地点へと戻って来た。

 奴らの痕跡がないかくまなく探したが、何も見つからなかった。


 隆之介は灯台へ戻って来た。最上階に昇り、あたりを見回す。

 奴らが人なのか何なのかわからないが、毒を使った武器を作れる程度の知恵は持っているようだ。それならば、何かしら生活の痕跡が高いところから見えるのではないだろうか。

 隆之介は血眼になってジャングルの中を双眼鏡で覗き、探した。


 アニーが無事である可能性は充分にある。

 隆之介は、焦って誤った判断をしないように、自分に何度も言い聞かせた。


 殺したり捕食したりするつもりなら、その場ですぐ殺したはずだ。奴らは毒を持っている。

 それをアニーに対して使っていないらしいところを見ると、彼女を殺すのではなくて、最初から誘拐するのが目的だった可能性がある。

 デニスはその対象ではないから即座に襲われたんだ。


 ぐるりと見渡すと、ジャングルの一角に木が生えていない円形の土地があることがわかった。

 そこに何があるのかは灯台からは見えなかったが、明らかに人工的に土地が平されているように見えた。


 そこがアニーをさらった奴の居場所かはわからないが、行ってみる価値はあるだろう。


 隆之介は灯台を降りると、円形の土地があった方向へと歩き始めた。

 ジャングルの中では容易に方向を見失うので、常に太陽の位置を気にしながら歩いた。


 起伏の激しいジャングルの道に悪戦苦闘し、時間だけが過ぎて行った。隆之介は休憩なしでぶっ通しで歩き続きた。甘党のアニーがカバンに入れていたチョコレートに助けられながら、彼はずんずん歩いた。

 途中で防護服が邪魔になったので脱ぎ捨ててしまった。


 やがて、この島に来て2回目の日没が訪れた。さすがに隆之介の身体が悲鳴を上げ始め、彼は仕方なく休憩を取ることにした。

 手頃な木の上に登り、身体を太い枝に括り付け、クマよけの鈴をぶら下げた。


 奴らが木登りをするのかはわからないが、何かが登ってきたら鈴が鳴って気が付くだろう。

 とても安心して眠れる状況ではなかったが、疲労困憊の隆之介はあっとゆうまに眠りに落ちていった。


 隆之介の精神は暗い暗い闇の中を漂い、深層心理の奥深くへと沈んだ。


 どこからともなく、やかましい鳥たちの声が響き、隆之介は目を覚ました。

 眩しい光が目に突き刺さる。


 夜はすっかり明けていて、太陽は高く昇っていた。


 しまった!寝過ごした!


 隆之介は慌てて身体を枝に縛り付けているロープをほどき、地上へと戻った。周りは特に変わった様子はなかった。


 こんな状況で爆睡してしまった。

 隆之介は自分の不甲斐なさに苛立ったものの、心のどこかでアニーは大丈夫という妙な確認を持っていた。だから眠ってしまったのだろう。


 しかし、自分の大切な人がその生存すらわからない状態なのに、何時間も眠ってしまった自分自身に少しぞっとした。


 とにかくこうなってしまったからには、自分の本能的な確認を信じるしかない。

 大丈夫、アニーは大丈夫だ。あのアニーが死ぬわけがない。


 隆之介は荷物をチェックすると再び歩き始めた。


 ジャングルの道を数時間進んだところで、いきなり視界が開けた。なんと、あの灯台から見えた円形の場所に到着したのだった。

 こんなに近くに来ていたとは…。昨晩もう少し進んでいたら辿り着いていたかもしれない。


 いや、あの暗闇では別の方向に行ってしまった可能性もある。それに、へとへとでここに到着しても何もできなかっただろう。

 やはりしっかり回復してから辿り着いたのは正解だった、はずだ。

 と、思いたい。


 隆之介は生い茂る植物の間に身を隠して、ここに何があるのか、様子を観察した。


 そこは、円形に地ならしされた土地で、一見何もないように見えた。が、よく見ると中央に人工的なハッチのような、マンホールのようなものがあることがわかった。


 あそこに入って行くべきだろうか?


 隆之介は判断に迷っていた。もしもあの中にアニーがいなかったら?アニーを救出するどころか自分も捕まってしまうかもしれない。


 焦る気持ちを抑えつつ、隆之介が物凄いスピードで考え得る行動のバリエーションを計算していると、目の前にキラリと光る物が見えた。

 すぐ手の届く位置にあったので拾って見ると、それは片方のイヤリングだった。


 そのイヤリングには見覚えがあった。

 アニーのだ。間違いない。アニーはあの中にいる。


 シャツの胸ポケットにイヤリングをしまうと、隆之介は意を決して、円形の広場の中心にあるハッチへと歩き始めた。


 わざわざ周りの草木を刈って視界を開けているのだ。何らかの方法でこの入口は監視されているだろう。なんならもう既に隆之介の接近には気が付いているかもしれない。


 隆之介は開き直って堂々と歩いてハッチに近寄った。

 ダメ元でハッチのハンドルを引くと、あっさり開いた。


 中を覗くと、地下へと続く急な階段が見えた。隆之介はごくりと生唾を飲み込むと、腰の銃を抜き、ゆっくりと階段を降りて行った。


 隆之介の身体がすっかり地下に降りると、バタンとハッチが音を立てて倒れた。それと同時に、壁のライトに光が灯り、地下へ続く階段は明るく照らされた。


 どうやら隆之介はここの持ち主に受け入れられているようだった。

 となれば、アニーも無事である可能性がますます高まる。


 隆之介の歩調は自然と速くなって行った。


 どれくらい降りただろうか。

 この階段には「到着」があるのだろうか…と不安になり始めたころ、ようやく終点が見えて来た。階段が終わってそこら奥に続く通路が伸びている。


 階段の下まで来ると、一度足を止めて通路の様子を覗ったが、特に人影はなく、数メートル先に扉が見えた。


 通路はその扉の前に無駄な空間として伸びているように思えたので、念のためにしゃがみこんで目を凝らして見る。

 映画にで来るような赤外線の罠などがないか見ようとしたのだ。


 廊下には妙な仕掛けはついていないようだった。

 監視カメラのような物も見当たらない。


 もしかしたら、これを作ったのは、かつてここに住んでいた人間なのかもしれない。たどしたら、そこまで高度なセキュリティは付いていないだろう。


 隆之介は通路に足を踏み入れ進んだ。何事もなく歩くことができ、扉の前へと来た。

 扉は何てことはないごく普通の金属の扉だった。地下にあり風化を免れたのか、表面に塗られたペンキは新品同様で、錆びてもいない。


 隆之介そっと扉を開いてみた。こちらも入口のハッチ同様、鍵がかかっておらず、あっさり開いた。


 扉を開けて中に入ると、そこには予想外の光景が広がっていた。


 扉の向こうにあったのは、まるで地下帝国とでも言えるような巨大な空間だった。

 まるで未知の惑星の高度文明のような、見たこともない形状の建物が地下空間に続いていた。


 隆之介が唖然としてこの光景を眺めていると、いつの間にかここの住民と思われる生き物が背後から彼に近づいていた。


「島崎隆之介さんですね?」


 後ろから突然声をかけられて、隆之介は飛び上がるほどに驚いた。


「驚かせてすみません。アニーさまのご依頼でお迎えに上がりました。ついて来てくれませんか?」


 隆之介は振り向いて声の主をまじまじと観察した。見た目はヒトによく似ている。だが、白目の見えない黒目だけの不気味な瞳や、穴だけの鼻…、そして青白い皮膚と鱗が彼だか彼女だかをヒトでないと知らしめていた。


「き、き、君は何だい?」


 隆之介はできるかぎり冷静を装って答えた。


「我々はこの島に大昔から暮らしているランシー族です。私はスワイプと申します。アニーさまがあなたを連れてくるようにおしゃってます。来てくれませんか?」


「アニーは?彼女は無事なのか?」


「ええ、もちろんですよ。彼女は我々のお客様ですから。」


 スワイプと名乗った奇妙な生き物は、チロっと細長い舌で唇をなめると言った。舌が見えたのは一瞬だったが、隆之介はその先が二股に分かれたいたのを見逃さなかった。

 やたらと丁寧な口調だが、油断しない方がよさそうだ。デニスを襲ったのもこいつらに違いない。


 隆之介は黙ってスワイプの後をついて行った。いくつかの階段を降り、スワイプは地下の街の中を進んで行った。隆之介は必死に道を覚えようとしたが、相当に入り組んでいていて、とても覚えられなかった。もしかしたら、わざと覚えられない道を通っているのかもしれない。


 数十分、建物と建物の間の細い路地を歩かされて、彼らは大きな建物の前に来た。スワイプが中に入ったので隆之介も続く。

 その建物は、どうやら研究所か実験場か、そんなような場所のようだった。スワイプは一番奥の部屋と進んで行った。


 奥の部屋に入ると、スワイプと似たような見た目の生き物数体と、アニーがいた。

 彼女は防護服を脱いだ状態で、特に縛られたりもしておらず、この生き物たちの一員のような感じで部屋の中に立っていた。

 アニーは隆之介が入って来たのを確認すると、駆け寄って来て後頭部に触ったり、顎を持ち上げて首のまわりを確認したりした。


「あなた大丈夫?怪我はしていない?デニスは?彼は無事なの?」


「僕は大丈夫です。デニスも無事に船で帰しました。先輩こそ大丈夫なんですか?何があったんです?」


 それにアニーは頷いて答えた。


「スワイプから簡単に説明があったかもしれないけど、ここはランシー族のコロニーよ。私もにわかには信じられないんだけど、彼ら数万年前からこの土地で暮らしていたそうよ。私は今、彼らと交渉中なの。」


 アニーは昨晩ここに連れてこられてからの経緯を説明した。


 ランシー族は隆之介たちが島に上陸するところからずっと彼らを監視していたらしい。灯台を破壊して我々を呼び寄せ、人質を取ってとある条件を飲ませようとしていたらしい。


 というのも、彼らはその生物学的特徴により、現在絶滅の危機に瀕しているそうだ。

 ランシー族は、人間がこの島を閉鎖するずっと前から、この島に囚われた状態で進化してきた種族だと言う。何でも極端に海水を嫌うためにどうしても島から出られずに、この島の中だけで細々と命を繋いできたそうな。


 狭い島の中で生きていくにあたり、彼らは遺伝子の劣勢化を防ぐため、なんと、他の種の生物のDNAを自らの身体に取り入れキメラ化できる能力を身につけた。


「どこかの時点で昆虫の遺伝子を取り入れたために、彼らの血液にはヘモシアニンが多く含まれているの。だから彼らの皮膚は青いのよ。」


 アニーが解説をはさむ。


 そして、この島のあらゆる生命の遺伝子を取り込みここまで進化してきたらしい。それで彼らの生命維持活動はしばらく安泰だったのだが、人類の文明の進化と共に、新たな問題が起こった。


 それは電波である。人類が通信に使う電波が彼らの脳波に極端に影響し、精神を正常に保っているのが困難となってしまったのだ。

 ランシー族たちは地下へと逃げたが、電波はどこまでも彼らを追い詰めた。


 この時点で人間のDNAも取り込んでいた彼らなので、ある程度の知恵は持っており、電波妨害装置の開発にとりかかった。しかし、簡易的な妨害装置ではすぐに人間に見つかってしまい、破壊されてしまった。


 ちなみに、当時の人間は、ここにランシー族なる生き物が生息していることには気が付かず、電波妨害は海賊か何かの仕業かと思われていた。


 これではらちがあかない。追い詰められたランシー族は、ついに禁じ手、遺伝子組み換えを使った人類への攻撃に出た。それはこの島に以前から生息していた毒蛇ランスヘッドを改造して、何十倍もの濃い毒を出すようにしたのだ。


 猛毒を手に入れた毒蛇は、たちまちこの島の生態系の頂点へと登りつめ、あっとゆうまに狭い島の中で異常発生した。これには人間もなすすべなく、まんまとこの島から立ち去って、勝手にこの島を閉鎖してしまった。


 安心したランシー族たちは、強力な電波妨害システムも完成させ、ぬくぬくとこの島で暮らしていたのだが、またまた災難が彼らに襲いかかった。


 今度は、人の往来が途絶えてしまったことにより、生物の入れ替わりが激減し、さらに、猛毒化した蛇の大群のせいで、この島の命の多様性は極端に失われてしまったのだ。

 他の種族のDNAに頼っているランシー族にとってこれは死活問題だった。これまで何とか数十種類の家系を保つことができていたのだが、突如として先天性の疾患の発生頻度が増加し、ここ数年のうちに、残るのはたった二系統のみになってしまった。しかもこの二つの系統は遺伝子的にはとても近く、交配によってどんどん血が濃くなることは避けられない。


 極致に立たされた彼らの取った行動は、人間を呼び戻すことだった。

 人間はあの灯台を必要としている。あれを壊せば人間がやって来るのではないか。そして、灯台の謎の故障へと話が繋がる。


 当初は上陸してきた人間からDNAを採取して新たな家系に加えようという魂胆だったらしい。

 ところが、思いのほか隊員が少なかったのと、そのうちの一人が医学的な知識があるらしいとわかると、作戦が変更された。


「ほら、あなたが山登りの途中で足を怪我したでしょう?あれで私が検査するのを見てたんだって。」


 医学的な知識がある人間が来たのであれば、彼らの問題を根本から解決してくれるのではないか思ったらしい。

 なるほどそれでアニーをさらったんだ。


「デニスの件は、彼らも非常に後悔してるわ。こちらの文明の特徴を説明して、こちら側の人間を攻撃したら下手すれば戦争になってあんたち滅ぼされるわよって脅しといた。デニスが無事なようで本当によかった。あの毒、マジでやばいやつだったわ。」


「あれは、私たちの誤解でした。あまりに強靭なお方でしたので、思わずこちらも武器で攻撃してしまいました。」


 そう言ったのは、隆之介をここに連れてきたスワイプとは少々顔立ちの違っているランシー族だった。こちらはスワイプよりもさらに人に近く、鱗もなく、美しいと言ってもよいほどだったが、肌の色は青かった。


「いいのよフリック。間違いだったと認めてくれれば。」


 アニーが意外にも優しい声でフリックとやらに言った。心なしかうっとりした表情に見える。


「フリックはね、ここのリーダー的な存在なのよ。知的で冷静だわ。もしも彼があの現場にいたらデニスは攻撃されなかったでしょうね。」


 隆之介はそんなことを言うアニーに不安を覚えながら、彼女に質問を投げた。


「それで、先輩は彼らと交渉中だと言っていましたけど、何を交渉しているんですか?」


「実はね、あの時、君の足から新しい遺伝子を採取済だそうなので…」


 隆之介はギョッとして、足首の擦り傷を見た。


「君のその細胞のおかげで、近々の絶命は免れたらしいんだけど…、また時がたてば同じことでしょう? だから、定期的に何か動物の遺伝子を供給してほしいとか言っているんだけど、ブラザリアン帝国がそんな要求をのむとは思えない。あっとゆうまに彼らは殺されてしまうわ。だから一年間限定で私がここに残って彼らを研究させてもらえるようにするから、ブラザリアン帝国と物資の交渉をするのはやめてほしいとお願いしているところだったの。」


「なんだって!? 先輩、ここに残る気ですか? ダメですよ、僕と一緒に帰りましょう。親父さんもそんなことを許すはずないじゃないですか! だってあなたは…」


 憤慨してまくしたてる隆之介の口に、アニーは指を立てて彼を黙らせた。


「そうね…帰りたいのはやまやまなんだけど…。実は私、彼らにとても興味を持ってしまったのよ。帝国にみすみす殺させるわけにはいかないわ。私が研究したいと言ったら帝国だって簡単には阻止できないはず。そうして時間を稼いで、彼らが外部の力を借りずにこの島の中だけで暮らしていける対策を見つけて見せるわ。」


 そう言いながら、アニーはフリックの方をまたもやあのうっとりした表情で見た。これはまずい、彼女は完全に奴に恋をしている。

 フリックだかフリップだか知らないが、こんな得体の知れない奴にアニーを取られてはなるものか、と隆之介はそれから小一時間粘ったが、アニーの決断を変えさせることはできなかった。


 最終的には隆之介もこの島に残ると言い出し、アニーはそれで納得した。


 島では通信が一切使えないので、アニーがしたためた嘆願書を海岸まで持って行かなければならなかった。

 そろそろ海岸には隆之介が手配した救助隊が到着しているころだ。


 隆之介はアニーが再び自分から離れて行動することを極端に嫌い、嘆願書を一緒に持って行くか、ここの奴に持って行かせるか、それか救助隊がここを見つけるまで待つかどれかにしようと言って聞かなかったが、双方の信頼を得るためには、隆之介が一人で救助隊に手紙を持って行く必要があるとアニーは言いはった。


 アニーと隆之介の両方ともがここを出てはいけないし、二人抜きで救助隊に接触してもいけないし、救助隊が先にここに踏み込んでくるのでもダメなのだ。

 何ならスワイプを護衛につけると申し出されたが、隆之介は断った。あんな奴とジャングルを二人きりで進むのはごめんだった。


 隆之介はしぶしぶ海岸まで嘆願書を持って行くことに合意した。

 アニーはハッチのある出口まで隆之介を見送ってくれた。


「無事戻ってくるのよ、ハンサム君。」


「その呼び方やめてくださいよ先輩。すぐ戻ってくるので待っててください。」


 隆之介が出て行こうとすると、アニーがぐっと彼の襟元をひぱって、そっと頬に口づけをした。それで隆之介は照れてしまってそそくさとハッチを出てしまったのだが、その時気が付くべきだった。アニーの決断を…。


 隆之介はできるかぎりの速足でジャングルを進んだ。アニーから託された嘆願書の中身が気になったが、宛先が救助隊になっていて「即開封:親展」の文字があった。これは受け取り側のみが開封する権利を有しているマークとなる。


 政府関連の文書でこの規則を破ると、運が悪ければ拘束されてしまう。下手をしてアニーの元に戻れなくなっては元も子もない。隆之介は開封したい衝動をぐっとおさえながら封書を運んだ。


 海岸へ着くと、救援隊がちょうど到着したところだった。隊長らしき男が船を降りてきたので、隆之介はアニーから託された嘆願書を渡した。「即開封:親展」の文字を見て、隊長は封をあけて中の文章を読み始めた。

 隆之介は固唾をのんで彼が読み終わるのを待っていた。


 隊長は文章を読み終わると、一度船に戻り、何人かの部下を連れて再び島に降りてきた。


 そして、連れてきた部下に隆之介を拘束するよ命じた。

 隆之介は予想外の展開に一瞬何が起きたのはわからずにいたが、すぐに状況を察して、暴れ始めた。


「島崎さん。申し訳ありません。アニー・カーナ殿からの指示にあなたの拘束と島からの退去が条件として書かれています。」


 隊長は恐ろしいほど冷静な声で言った。


「そんなはずはない! 約束が違う! 僕はアニーと共に残る手はずだったんだ!」


「この嘆願書にはそのような内容は書かれていません。ひとまず、船の乗ってください。この嘆願書の内容については、我々が上陸して好きなように調査・検討してほしいと書いてありますが、とにかくあなただけは島に再上陸させないように、と書かれてあります。どんな事情があったかわかりませんが、とにかくアニー・カーナ殿の直筆であるこの嘆願書を我々は守らなければなりません。彼女の安否は我々が責任を持って調査してまいります。どうかご勘弁を。」


 そう隊長が言い終わると、部下の一人が素早く隆之介に何かを注射した。


「まて!何を打った! こんなこと許されるわけが…」


 そう言い終わらないうちに、隆之介はがっくりと首を垂れると、イビキをかいて眠ってしまった。


「猛獣用の睡眠薬だ…手荒な真似をしてすまない若者よ…」


 救助隊の隊長はぼそりと言うと、隆之介を船内に運ばせ、数人の部下を連れてジャングルの中に入って行った。

 ランシー族のコロニーに向かった救助隊は、アニーの嘆願書に書かれた内容に齟齬がないことを確認し、アニーをそこへ残して本土へと帰還した。


 アニーの嘆願書には、こう書かれていたのだった。


====

ブラザリアン帝国 救助隊 隊長殿


 この度はこの未知なる危険の潜む島、ケイマーダ島へ私たちの救助へ来ていただき、心から感謝申し上げます。


 まずは、この嘆願書を持参した島崎隆之介の処遇についてお願いがございます。

 この青年は、おそらく、どうしても私の元へと戻ると言って聞かないでしょう。


 ですので、彼と話し合いをする前に、島崎隆之介の身柄を拘束し、何としてでも船に乗せ、本土へと帰還させてほしいのです。

 とても暴れることが予測されるので、生命に危険のないかぎり、どんな手を使ってもかまいません。

 彼をどうしてもこの件に巻き込みたくないのです。


 後からこの嘆願書を彼が見たいと申し出た場合、全文を読ませても構いません。

 ただし、船が本土に到着し、どうやっても彼がこの島へ戻ってこれない状況が確保されてから閲覧の許可を出すようお願いいたします。


 さて、それでは本題に入ります。


 私は、現在、この島にはるか古より暮らしていたランシー族という者たちと共にいます。

 彼らは種族存続のために、大変切迫した状況にあり、私を人質に取って、彼らが存続するために必要な物資を定期的に供給するよう要求してきました。

 もちろん彼らは私が何者であるかは知る由もなく、おびき寄せたらたまたまやって来た人間を捕獲した程度に考えています。

 私の身元については、彼らには徹底的に伏せておくのが得策かと現時点は考えていますので、その辺、もしも彼らと遭遇することがあれば口裏合わせを強くお願いいたします。


 彼らには、この程度のことではブラザリアン帝国に要求をのませることは不可能だと説明したところ、どうやら理解してくれたようでしたが、私を返すという結論には至ってはくれませんでした。

 島の外部から物資を共有してもらう作戦が失敗したときのために、彼らにはもう一つの作戦があるようでした。私には詳しくは話してくれませんが、どうやら海水の成分を大幅に変えてしまう計画のようです。彼らはなぜか海水をとても嫌っていて、海岸に近寄れないほどなのです。


 それで、長年にわたり、海水を中和する成分を研究してきたようなのです。


 これは私を人質にとるよりもひどい話です。彼らは存続のためなら生態系を破壊することを何とも思わない種族です。

 現に、過去に野生の蛇に対して遺伝子改ざんを行いこの島の生態系を壊しています。


 私には、この無謀な計画を彼らに思いとどまらせる必要がありました。なおかつ、島崎隆之介を新たな人質として取られないようにするための対策も、数時間で練らねばなりませんでした。


 それでだいぶ雑な計画ではありますが、私はこのような案をランシー族に提示しました。


・私を人質にとっても本土から物資の共有は望めない。

・海洋汚染はやめてほしい。

・これ以上、本土の人間もしくは生物を捕獲しようとするのはやめてほしい。

・その代わり、生物学者である私がランシー族の問題に取り組み、彼らが生きていける道を研究させてほしい。

・私を拘束している印象を与えるより、私が望んでこの島に残ることにした方がお互いのために有益である。

・一年間、私に研究させてもらって、成果が出なかった場合は、その時にまた対応を交渉させてほしい。


 と、このように申し出ました。

 彼らは、私がデニスの治療をするところを見ていたので、私の能力は知っています。


 長い話し合いの末に、彼らはこの条件をのんでくれました。

 あとは首尾よくこの嘆願書を島崎くんに持たせて彼を帰らせることができれば私の計画は成功です。


 そして、隊長。おそらくブランコ隊長がいらしているのではないでしょうか?

 この状況をもしもその目で確かめたい場合は、どうぞ一度ランシー族のコロニーにいらしてください。

 そこで私とランシー族たちと、この計画の確認をしていただいて結構です。

 きっかけは脅迫めいたものでしたが、私は心底この生き物たちに心奪われており、本気で研究がしたいと願っているところです。


(ただし、島崎くんは連れてこないでください。)


 このような事態になって、父上への報告が大変厄介なことでしょう。

 それには心配及びません。私からの父上への手紙を同封いたしますので、それを渡してください。


 何もかも丸く収めることはできませんでしたが、これが私にできる精一杯でございます。

 隊長もどうぞご理解いただけることを願っております。


ブラザリアン帝国 第七王女 アニー・カーナ・ブラザリアン


====


 アニーが彼女の父親であるブラザリアン皇帝に宛てた手紙は非公開のため、何が書かれていたのかは知るすべがないが、皇帝はケイマーダ島に攻撃を仕掛けるわけでもなく、アニーの嘆願どおり一年間待つことにしたようだった。


 これには批判の声も多くあったが、王女の生き方を尊重しようという風潮が国には漂ってた。


 隆之介はもちろん、一貫してアニーをすぐさま連れ戻したいと考えていた。しかし、極度のPTSDと診断された彼は、入院を余儀なくされ、当然、島への上陸許可など下りなかった。


 当時の救助隊のブランコ隊長は、約束通りアニーの嘆願書読ませてくれて、コピーまでしてくれた。彼はそれを暗記するほど何度も呼んだが、どうしてもその内容を受け入れることができずにいた。

 とにかく、退院しないことには…と気持ちばかりが焦る毎日の中、毎週欠かさず面会に来てくれるデニスからの情報だけが、彼を正気にしてくれる現実との懸け橋となっていた。


 デニスは驚異的なスピードで回復し、精神も健康そのものだった。ちなみに、彼が受けた毒は、それを解析した医師がこんなものを打たれて正気でおれる人間などいない、と言うほど、触れただけで猛烈な痛みをもたらすものらしい。デニスもさすがにあれは二度とごめんだと言ってはいるが、普通に意識があったよな…と隆之介は思い返すのだった。


 アニーの様子はと言えば、あれから、定期的に本土の偵察隊が様子を見に言っているが、アニーの姿を見たものはいなかった。

 その代わり、彼女の直筆の報告書がランシー族によって手渡されていた。


 その手記によると、ランシー族の遺伝子はこの島に生息していたあらゆる生物のものが混在した複雑極まりないもので、解析が遅々として進んでいないようだった。

 彼らのオリジナルの情報が見つかれば、何かわかるかもしれないとアニーは考えている様子が伝わって来た。


 こうして、大きな変化もないままに、約束の一年が経った。

 隆之介はギリギリ退院し、皇帝の計らいでアニーを迎えに行くチームの一員に入れてもらった。

 もちろんデニスも参加である。


 隆之介とデニスは一年ぶりにケイマーダ島へと上陸した。

 ランシー族のコロニーに到着すると、ハッチが開き、中からスワイプが出てきた。

 彼は、隆之介とデニスのみ入るように指示し、他の隊員は地上に残るように言った。


 そちらの命令に従う義務はない、とブランコ隊長は粘ったが、スワイプは聞く耳を持たずだった。

 しかたなく隆之介とデニスのみが彼についてコロニーへと入っていた。


 彼らは、再び、一年前にアニーがいた建物の同じ部屋へと通された。

 部屋の中にはアニーがいた。彼女はゆったりとしたソファーに座って、落ち着いている様子だった。心なしか痩せたように見えた。


 彼女の隣にはフリックが立っていた。


 彼女の無事な姿を見ると、隆之介はほっとして涙が出そうになったがグッとこらえた。

 ふと横を見ると、デニスは泣いていた。


 そうだ、デニスは彼女が誘拐されてから、無事な姿は見ていないのだった。


 フリックは、彼女が如何に優秀な学者で、自分たちのために昼夜問わず研究に励んでくれたことを称賛した。

 その間、アニーはうっすらと微笑みを浮かべて、やたらと瞬きをしていた。


 隆之介たちに再び会えて彼女も感動の涙をこらえているのだろうか?


 隆之介はアニーの瞬きが気になってしかたなかったが、そちらばかり見ていることを悟られてはいけないと本能的に悟り、目の隅で彼女の瞬きを見ていた。


 そして、ハタと閃いた。


 これは!モールス信号だ!!

 アニーが何か送ってきている!!


 隆之介は、フリックの話に集中しているフリをして、アニーからの暗号を解読した。


 彼女はこう言っていた。


「タ・ス・ケ・テ」


 心臓がバクバクなりだしたが、隆之介は極めて冷静を装い、フリックに気が付かれないように、「了解」とアニーに返した。

 それを見て、アニーはすぐに瞬きをやめた。

 チラッとデニスを見ると、彼もアニーの信号に気が付いてる様子だった。デニスは毒に侵されながらも、海岸で隆之介に聞いたモールス信号の話を覚えていたのだ。


 二人は小さく頷きあうと、デニスがアニーの元へ突進し、彼女を抱え上げた。隆之介は銃を抜き、毒針を掲げてきたスワイプを撃った。

 スワイプはギャッと声をあげ倒れた。青い血が床に飛び散る。


 どうやら彼らは「銃」というものを知らなかったようで、その殺傷力に驚き固まってしまった。

 その隙に、アニーを抱えたデニスと隆之介は部屋から逃げ出し、街の中を走り抜けた。


 まるで迷路のような道だったが、二度目にここを訪れる隆之介には道がわかっていた。

 ランシー族はこの展開は予想できていなかったようで、反撃にもたついてなかなか追ってこなかった。これは天敵のいない島で暮らして来た種族と、訓練された人間の差なのであった。


 隆之介とデニスがアニーを抱えて出てくると、ブランコ隊長はすぐさま状況を理解し、唯一の出口であるハッチを包囲し、逃げ出た三人に護衛をつけて、先に船へと逃げるように指示した。


 その後、ランシー族がどうなったのか、隆之介は知りたくもなかったので知らないのだが、とにかくアニーは無事救出することができた。

 彼女は心身ともに極限状態で、すぐに入院してしまった。彼女が回復するのには数年の歳月が必要だった。


 アニーは頑なにあの島で起こったことを話そうとしなかったが、唯一隆之介だけに打ち明けていた。


 ランシー族には、彼女を誘拐した本当の目的があったのだ。奴らは進化の過程の中でシロアリのDNAを取り込んでいた。シロアリは社会性昆虫であり、女王を必要とする。

 灯台が破壊された数日前に、実は島で最後の女王、つまりメスが死んでしまい、彼らは存続の危機に瀕していた。

 そこで、人間をおびき寄せたのだが、女が来るとは限らない。彼らは人間をおびき寄せるための策をいくつか用意していたらしいが、運悪くアニーが一発で捕獲されてしまったのだった。


 アニーがこの事実に気が付いたのは、救助隊が本土へ帰ってしまってからだった。

 彼女は嘆願書にあるとおり、本気で研究をしようとしていたのだ。


 シロアリの女王はひたすら王の子を産まされる。アニーは一年間で数万匹のフリックの子を産まされたらしい。

 ランシー族の子供は卵の状態で産まれきた。アニーはひたすら産み、赤子の世話は他に担当がいたようで、それだけが救いだったと言う。


 アニーはこの話を隆之介に打ち明けて、多少は楽になったらしい。

 一方の隆之介は、アニーから受け取った苦しみがあまりに大きくて飲み込むのに苦労したが、やっとのことで受け止めた。

 堅物のデニスにはこの現実は厳しすぎる…との結論に達し、これは二人だけの秘密となった。


 そうそう、壊された灯台がどうなったかと言うと、ケイマーダ島の上空に太陽電池で稼働するドローン型の灯台が設置され、地上の灯台は打ち捨てられてしまった。

 あの時皆殺しになっていなかったとしても、女王を失ったランシー族は既に滅びてしまっているだろう。


 もう恐れるものはいなくなった島であるが、しばらくは誰もこの島に近づこうとするものはいないだろう。ここ数百年くらいは。


 何の役に立つのかわからない子供の遊びが、予想外の展開で助けになることもある。

 人生は実に不思議なものだ。


(おわり)


※この物語はフィクションです。登場する地名は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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ケイマーダの灯台 大橋 知誉 @chiyo_bb

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