第1話 黒影——黒の邂逅

科学よりも魔法が発達した世界。連なる山と草原に囲まれた小さな村。

そこはのどかで眩しい日光が照らす土地。豊かな風が流れ、静かな時が過ぎる。


ただ、村人達が外でこの場に似合わない不吉な噂話をしていた。


「聞いたか? 例の死神の噂、森のヌシに十字の黒い傷ができてたんだと」


村人の一人が別の村人に少し怯えながら言う。


「ええっ!? またかよ……最近どんどんここに近付いてないか?」



別の村人もその話に驚きを隠さずに、その声は不安げだ。


「あぁ、世の中物騒だな」



村人達はその言葉を最後にそれぞれの仕事に戻る。

しかし、その話をたまたま通りかかった少女が聞いていた。


桃色の長いポニーテールで純白のローブ姿、清潔な雰囲気を纏う綺麗な顔立ちの少女だった。



(死神様……か……)



噂話を聞いて少女の中には僅かな恐れはあれど、それ以上に期待と好奇心が勝っていた。

死神の噂の中に人を襲ったというものはあれど、そこに近い村の者や家畜を襲ったというものは聞かない。それよりも多いのが人に脅威となるものモンスターの討伐、寧ろ殆どの獲物が怪物だ。


だから危険と断定するには判断材料が少なく、だからといって警戒するに越した事はないといった様子がこの村に結論だった。


少女は死神の姿を想像しながら草葉の上を歩いて教会へと入っていった。


別に死神が近付いているからといって村が変わるわけでもなく、立ち話で談笑する主婦や鬼ごっこをしている子供達で賑わっていた。

桃色の髪の少女も今買い物を終えて自分の家に戻るところだった。

現に少女が抱える小さな籠の中にはリンゴやブドウなどの果物が沢山入っている。


落ち葉の積もる芝生の上を歩き、涼しいそよ風を肌で感じる。目立つ建物が風車くらいしかない小さな村だが、少女はこの美しい村が大好きだった。


穏やかな目つきで目の前の小さな教会へ歩き続ける少女は、死神に対して願っていた。


(優しい死神様だったらいいな)


頭の中で死神の姿をイメージしながら歩いていると、うわの空だったせいで看板に顔をぶつけた。


「いたぁ……」


痛みが額に残り、思わずぶつけた箇所を手で擦った。

涙ぐむ少女は片手で教会の扉を開け、小さく質素でありながらよく手入れがされた礼拝堂の中に足を踏み入れた。


その中では同じく白のローブを身に纏った一人の神父が長椅子を綺麗に並べていた。


「お父さん」


少女が目の前の神父にそう声をかけると、神父は少女へと目を移して微笑んだ。


「おおシュシア、早かったね」


神父は優しい目つきでシュシアと呼んだ自らの娘から果物の入った籠を受け取る。

そして申し訳なさそうな顔でシュシアに言った。


「すまないがシュシア、化膿止めの薬草が足りないから採ってきてくれないか」


「あれ? でも少し前に取ってこなかった?」


「山菜スープの中に間違えて入れてしまってね。 不甲斐ないばかりだ」


最近の山菜スープの味の違いに気付かなかったシュシアは少し疑問に思いながらも頷き、早速手袋を嵌めて近くの山道へと歩いていった。




薬草はこの草原と山に囲まれた村の隣の山に群生しているハーブ類の野草だ。それをシュシアは小さな籠を持って適量を採りに行ったのだった。


ここら周辺にはそれほど強い生物は存在しておらず、ほとんどが草食の動物ばかりで少女一人でもそこまで危険はない。たまに熊が出るが人間は滅多に襲わない。


シュシアは木々に挟まれた山道を通る。途中で道を外れて薬草キズナガシがよく群生している場所へと歩いていく。


いつもと変わらぬ澄み渡る空と悠久の大地。

青々とした葉が擦れて、鳥が囀る。


だが、いつもとは違うこの場所の違和感にシュシアは気付く。


風がいつもより生温かく、鳥は何やら騒がしい。


木がへし折れる音が聞こえた。


重圧な音が、巨大な咆哮が、シュシアの耳に届いた。


それは命の蝋燭を溶かす吐息。

木々の間から赤く、巨大な体躯の竜の群れがシュシアの前へ、哀れな仔羊を喰らうために到来した。


シュシアの目の前で巨大な足を踏み鳴らし、荒い吐息を放つ。



「ド……ドラゴン……」



子供の頃から今に到るまで万物の王者と覚えてきたその姿は蛮勇で雄々しく、害たるものの頂点にして恐怖の存在。


尾をしならせ、木々を容易くへし折るその体は10メートル以上はある。


「この山に居ないはずなのに……!」


後ずさりするシュシアを見つめ、目を変えるドラゴン。

古来より伝えられてきた強者であるドラゴンにただの人間の小娘であるシュシアが勝てるはずがない。



シュシアは駆け出した。



捕まらないように出来るだけ遠くへとシュシアは走る。

しかし相手は竜、翼を広げて空を飛翔し、シュシアの前に降り立った。


「——ッ!」


前方は竜、後方も竜、絶望的で悲観的だ。

そして前の竜が大顎アギトを開け、シュシアにへと迫る。


大顎が、柔らかな肉を砕く終末のしとねとなるべくその大きく尖った牙がずらりと並んだ口を閉じた。


滂沱ぼうだの血が土の上へ雨のように降り注いだ。



そのドラゴンの口からは血が滴っていた。


甘く匂う果実のような風が吹き抜けた。




ただし、その竜の頭は地面にある。


頭の無い竜は切れた首の断面から血を噴き出しながら踊り狂い、暴れて倒れる。そのせいで濃厚な血の匂いが木々にこびりついた。


シュシアは目の前の光景に驚きを隠せなかった。


一瞬だった。


一瞬視界に黒が映り、目の前の竜の頭を音もなく切断した。



大砲でも一撃では鉱石のような鱗を砕けず、竜切りという名称の魔法武器でも一切りでは首を絶てない。しかし実際に竜の首は花を手折るように切れた。


そして今、シュシアの目の前には黒い外套に身を包んだ何者かが、ドラゴンの前で立ち塞がっている。



「どうせ逃げられない……。 だから静かに眠るといい」



色鮮やかなワインのように滴るドラゴンの鮮血が落ち葉の上を流れる。群れなすドラゴンとは仲間意識が強く、一匹がたおされれば必ず残りが復讐に来る。

全てのドラゴンが黒い存在へとその巨体を疾らせた。



ドラゴンから見れば敵は蟻と等しい存在の人間。

浅はかで無力で傲慢な下等生物な筈なのに、生意気にも同胞を屠ったその償いをさせなければならない。


竜は怒りに体を任せていた。


対して黒は大鎌の刃を狩るべき対象へと向け、獲物へと疾駆する。

黒の走る速さはドラゴンを超越し、その速度は音すら遅れてやってくる。


ドラゴン達は黒い存在の命を潰そうと、炎や尻尾で攻撃を繰り出した。

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