刑務

「起きろ」


 ガンッ!


「はッ!」

「おっ、もうそんな時間?」


 格子が蹴られた音で目が覚めた。

 どれだけ眠っていたのだろう。オレがいる牢の真ん前にある冷たい石壁にぽっかり空いた通気孔からは、太陽の下弦がひょっこりはみ出していた。

 同居人らしい男は、オレを介抱することなく寛いでいたらしい。膝の高さほどある寝台にゆったり寝そべっていた。オレを硬い石床に放置したまま。

 憎たらしい。

 油断さえしていなければこんな男程度、一捻りで……。


「早くしろ。刑務作業の時間だ」

「あいよー」


 刑務作業、だと?


「待て、それは何をするんだ?」


 大した説明も無いまま牢に放り込まれたのだ。そんな単語初めて聞いた。

 刑務官の男は相も変わらずやる気の無さそうな面で、オレに視線を向ける。


「社会奉仕だってよ。訳の分からん部品作ったり、磨いたりすんだよ」


 口を開く気もない刑務官の代わりに、同居人が話を引き継いだ。

 社会奉仕などふざけるな。オレは何の不善も為していないと言っているだろうが。


「ちなみに正当な理由も無しに作業を忌避することは、規則違反だ。刑期が延ばされるぞ」


 刑務官め。ようやく口を開いたかと思えば、今度は脅しか。

 オレは屈しないぞ。

 ここを頑として動いてやるものか。


「行かん」

「ハァ、本っ当に面倒臭い……」


 そうやって一生ぼやいてろ。

 オレを不当に逮捕したのだ。いつか必ずオレの仲間が助けに来る。


「俺が連れていこうか?」

「頼む……」


 何だと?

 軽々しくオレを連れていく、とのたまう男。

 バカめ。完全にオレをナメている。さてはさっきの一件で調子に乗っているな?

 油断さえしなければ、オマエのような優男、一瞬で……。


「やれるもんなら痛てててててて!」

「ほれ、行くぞ」


 なッ、コイツいつの間に!

 男は何の予備動作も無くオレの背後に回り、左手小指を捻り上げた。

 無論、指一本で抵抗できるはずもなく、仕方無く刑務作業とやらに連れていかれてやった。




「クソッ……何でオレがこんなことを……」


 何十という囚人達が皆、一様に古ぼけた木製の長机の前に座し、本当に何の部品か分からない金属製の歯車を磨かされていた。

 銅なのか真鍮なのか、赤銅色をした歯車にぼやけて映る自分の姿がとても惨めだ。

 囚人服よりも手触りの良い、上等な布で磨かれているコイツにさえ憎しみを覚える。


「兄ちゃん、黙ってやった方が身のためだぜ」

「あ?」


 腿が触れそうなほど隣に詰めて座る老人が耳打ちしてきた。

 気色悪い。皮と骨の感触しかない老いぼれの大腿から、死人のような体温が伝う。

 このジジイも獣欲に任せて罪を犯したのだろう。聞く耳を持つ必要は無い。

 歯車を擦る老人の右肘が、度々オレの左腕に当たる。

 クソが、忌々しい。


「うるさい! 指図するな!」


 ガタンッ!


 カッときた。

 己の正義が認められなかった憤り、罪人のクセに善人のオレに対して指図した老人への怒り、反省の色も無くただただ死んだ目で作業に勤しむフリをした陰気臭い囚人共への苛立ち。それら全ての鬱憤が、既に煮えくり返っていた腸を更に刺激した。

 溜まりに溜まったものが吹き溢れたせいで、つい大声を上げ音をたてて立ち上がってしまった。

 自分を抑えられなかったんだ。

 ここが何処かも忘れて。


 ゴッ!


「……ッ!」


 何かで勢いよく後頭部を撲られた。

 眼前の歯車が一瞬、ダブって見えた。


「おい、五十二番、お前新入りだろ? なら黙って仕事してろ」


 バッと声のした方を振り向くと、背後には監視員をしていた刑務官が、パシパシと警棒で掌を叩きながら凶悪な笑みを浮かべていた。恐らく、その警棒でオレの頭を撲ったのだろう。

 コイツはオレを牢まで連れていった刑務官とは違う。また別の嫌悪感を催す厭らしさがあった。

 ここで止めておけばよかったのかもしれない。だが、頭に血が上ったオレに、そんな判断は出来なかった。


「何しやがる!」


 ぐわっと刑務官に迫り、胸ぐらを両手で掴む。

 だが、それは悪手だ。先にも四十九番に手痛い反撃を喰らったではないか。

 気付いた時にはもう遅い。


 ガツンッ!


「がッ……!」

「俺に手を出すとはな。よっぽどの命知らずなんだろうな」


 刑務官は握った警棒の柄を、拳鎚で叩きつけるようにして、オレの額を撲った。

 頭が割れるような痛みが走る。実際、撲られた部位は皮膚が切れ、血が滴ってきていた。

 突然過ぎる痛みに、胸ぐらを掴んでいた両手を離して額を押さえる。

 そのせいで視界が覆われることにも気付かずに。


 ドンッ


「あッ……かハッ!」

「罰が必要だなぁ。え?」


 無防備になった腹部を、刑務官は躊躇無く蹴り込んできた。

 鳩尾みぞおちだ。

 安全対策なのか、鉄板の仕込まれたブーツの爪先が鳩尾にめり込んだ。

 臓物が体内でせり上がってくるのが分かる。


 息が、出来な、い。


 必死に胸郭を拡げようと、最大の意識をあばらに集中させるが、全く以て言うことを聞かない。

 残量僅かな肺の空気が、少しずつ、断続的に漏れ出ていく。

 吸気を求めて開かれた唇から、涎が糸を引いて垂れる。

 今度は腹を押さえ、両膝をついてうずくまるオレを黙って見下ろす男。

 笑っているのだろうか。


「おら、起きろ」

「ヒュッ、はァッ……!」


 毛髪を無造作に掴まれ、頭を無理やり上げさせられた。

 酷い面をしているのだろう。涎も涙も鼻水も垂らしているのだから。

 男はそんなオレの顔を見てギョッとすることも無く、嗜虐的な薄ら笑いに口角を歪ませ、一方的に語りかけてきた。


「ここではなぁ、お前達はただの罪人だ。俺達に逆らうなんてとんでもない。分かるか?」

「あァ……はッ、ハッ……」


 返事なんて出来やしないし、したくもなかった。

 だが、分かったフリだけでもしておかなければ懲罰を加えられるのだろう。

 オレが形だけでも頷こうとした、その時だった。


 グッ


「なぁ、看守クン、そいつ俺のルームメイトなんだわ」


 ガシリと刑務官の肩を抱く、半裸の四十九番が現れた。




「四十九番さん……」

「看守クぅン、こいつ新入りなんだわ。まだ慣れてないだけなんだ。大目に見てやってくれよ。な?」

「……ハイ」


 それだけ言って、新入りを虐めるワルい看守クンは、元居た監視位置にまで戻っていった。

 いやー、イイコトしたね。


「はァッ、はァはァ……」

「大丈夫かい?」


 顔面を汁という汁で濡らした新入り。折角の男前が台無しだな。でも、普段からこれくらい大人しかったらいいんだけどねぇ。

 安否を気遣って声を掛けてやるが、こいつの目にはまだ憎悪が宿っていた。いや、嫌悪と言ってもいいかもしれない。まあ、投げ飛ばした挙げ句、固い石床に放置してたもんね。先に手を出してきたのは新入りの方だけどな。


「た、たすけ、助けられた、とは思わん、ぞ……」


 はいはい。勝手に言ってな。

 未だ平常の呼吸に戻らぬ新入りの背中を擦ってやりながら、分かりやすい強がりを聞き流す。

 十度ほど背中を擦る手が往復した頃、ようやく新入りの調子が戻った。


「オマエ、今までどこにいたんだ……?」

「あー、ちょっとな」


 首筋を流れる新鮮な汗露を、肩に垂らした囚人服で拭う。申し訳程度の暖炉じゃ温め切れない寒気が火照った身体を冷ましてくれる。

 相変わらず可愛げのない眼差しで俺を睨みつける新入りが憎々しげに問うた。

 そうだな、こいつはまだ収監されて間もないんだ。刑務作業を放っぽって俺がどこに行ってたかなんて、こいつは知らないんだもんな。


「不公平じゃないか! なぜオマエだけ!」


 さっきまで大人しかったのに突然声を荒らげて不平を訴える新入り。俺が上半身裸だったから何もされていないものの、服を着ていたらまた胸ぐらに掴みかかられていただろう。そしたらまた投げ飛ばしちまうじゃないか。

 唾を飛ばしながら喚く新入りに、周囲の囚人達は皆、目をひん剥いて俺達を見ていた。驚愕の視線だった。

 そりゃそうかもな。なんたって俺は……


ガンガンガンガン!


 皺の寄った眉間が俺の鼻先にまで達しそうなその時、いつもの見回りの看守が鐘を鳴らし、時間が来たことを伝えに来た。あちこちがべこべこになった鐘は、まるで鍋底を叩いたような耳に障る音を響かせる。

 予期しない突然の物音に、新入りは一瞬肩を震わせた。憤怒を滾らせた表情は一転して、今にも疑問を口にしそうな怪訝な顔をしている。

 そうか、そんな時間か。


「おい、今の音は何の──」

「今から昼の部の休憩を取る! 昼飯を食い終わり次第、同じ席に戻るように!」


 新入りが質問を投げ掛け終えるその前に、監視を担当していた看守が答えを叫んだ。


「飯の時間さ。食堂、行くぞ」




 食堂は案外広かった。

 おそらくこの監獄に囚獄されている罪人達全員がこの食堂内に集まっているはずだが、それでも決して混雑しているとも感じないほど。

 いや、食堂が広いんじゃない。囚人があまりにも少ない。


「今日も芋とパンだけかよ……」

「こんなんじゃまともに働けねぇよ……」


 老いも若いも関係なく、先着順で囚人達が列を作って飯を配膳されていた。

 先頭の囚人のお盆を遠目に覗く。

 本当だ。芋とパンしかない。皮すら剥かれていない芋が丸々一つと、焼き目の粗い拳大のパンが一つ。それだけだ。


「クソッ、ふざけるなよ……!」


 こんなもので腹が満たされるはずがない。いくら極北の監獄とはいえ、これは酷い。

 ふと先ほどまでオレの後ろにいた四十九番の方を振り返る。

 いない。

 ヤツめ、どこへ?


 ポンッ


「先、席取っとくぜ」


 左肩を叩かれた。その方を振り向くと、四十九番がいた。

 食事の配膳されたお盆を持って。


「おい、オマエ……」


 おかしい。

 それはおかしい。

 おかしいだろ……!


「何故、何故オマエだけそんな豪華な飯なんだ!?」


 ヤツのお盆に乗っていたのは、他の囚人達の食事とは一線を画す豪勢さだった。

 掌ほどもありそうなステーキが二枚、香り豊かな湯気の立つ炊きたての米、瑞々しい葉野菜に丼いっぱいのフルーツが大量に配膳されていた。

 何故だ!?


「そりゃあお前、俺がだからだよ」

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夢想する狂人より @morilin

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