囚人

 強い、ということがどれだけの意味を為すのだろうか。

 元いた世界でだって、シンプルな強さというステータスはそれほど重要なステータスでもなかった。

 リングに上がり、それを見世物として金を稼ぐ。強さを思う存分発揮できるところなんてその程度だ。

 それにしたって、その他にも金を稼ぐ手段はたくさんある。

 まさに命を切り売りするような真似をしなくたって生きていけるのに。

 じゃあ何故、強さを求める人間は後を絶たないのだろうか。

 答えは単純だ。


 美しいからだ。


 美しさを探究する人間の欲望にはしばしば脱帽する。

 美しいものを追い求めるが故、命を懸けられるのは人間だけだ。他の生物には考えられない所業。

 まあ、俺も他人ひとのことをとやかく言えないんだがな。

 ともかく、多少の例外はあれど、強さを求める人間というのは、美しさに囚われた狂人なのではないか。俺はそう思うし、俺自身もそれに分類されるのだろう。

 速さに特化したスーパーカーを美しいと思う人々がいるように、斬ることに全ての重きを置いた日本刀を美しいと思う人々がいるように、撃ち貫く為だけの銃を美しいと思う人々がいるように。

 ヒトがヒトを殴り、蹴り、投げ飛ばす行為、そしてそれだけの為に鍛え抜いた肉体と知恵と精神、それだけが俺達狂人が酔いしれるに相応しい美術なのだ。


 そして、美の極みを目指すため、俺は今日も人を殺した。




「ご苦労だったな、四十九番。望みはなんだ?」


 三十番と呼ばれた男の頭蓋骨を砕き、殺した後、申し訳程度に開かれた花道を戻り、廊下に出た俺を待っていたのは、四年来の付き合いの看守だった。

 初めて出会った時は勤務歴一年程度のヒヨっ子だったのに、環境に慣れてしまったせいか、瞳には泥水のような濁りが停滞していた。

 希望を抱いて社会人となった新卒が、社会の理不尽さに打ちのめされ、いつしか希望が諦観の念に取って変わられたみたいだ。俺、中卒だから適切な例えかは分からないけど。

 そんな汚い眼をした看守が、俺の願望を聞き出そうとする。


 勝者は可能な限りの望みを叶えられる。


 それがここ、シュタール監獄のルールだ。

 月に二度行われる囚人同士の殺し合い。その勝者は監獄内において可能な限りの望みを聞き入れてもらえる。

 刑期を短くしてくれとか、女を買ってきれくれとか、飯を豪華にしてくれ、とか。大体は叶えてくれる。

 そして、この四年間、俺の願いは一つだけだった。


「じゃあさ、そろそろらせてくれよ。八番とさ」


 囚人番号八番。

 そいつとること。この監獄に収監されて以来、俺が望み続けているのはそれだけだ。

 しかし、返ってくる答えは毎度同じ。


「ならん。それを決めるのは、監獄長と愛顧者の貴族だけだ。他のにしろ」

「ハァ、まだ駄目なのかよ……」


 四年間、四年間ずっと同じ望みを口にしてきた。

 その度に、取りつく島もない返事をもらう。

 八番は、この監獄における序列一位だ。対する俺は、四年間無敗の高ランカーに位置している。序列は三位。

 恐らく、監獄長やパトロンの貴族共は焦らしているのだろう。

 俺を、ではない。

 観客となる、三度の飯より殺し合いが大好きな異常性癖貴族達をだ。

 どれくらいの規模なのかは囚人である俺が知る由もないのだが、この催しにはかなりの金が動く。

 観覧席のチケットや勝者予想の賭博等、たった四時間程度のイベントで、村が三つか四つは興せるほどの金が出入りするのだとか。

 おまけに選手は囚人なのだ。貴族にとっては給金を払う必要もなく、監獄長としても食わせる飯が少なくなるのだから、これほど両得な催し物なんて滅多に無いだろうよ。

 しかし、高序列同士の果たし合いとなれば別だ。そうそう無い好カード、奴らとしてはここぞという時まで勿体ぶっておきたいのかもしれない。


「文句なら上司に言ってくれ」

「分かったよ、じゃあまた延ばしてくれよ。刑期」


 毎度同じ願いを言い、断られているお陰で、この流れがお決まりとなっていた。


「いいんだな?」

「ああ、頼むよ」


 序列一位、八番。

 奴とるまで俺はこの監獄を出ない。

 奴とる為に、こんな黴臭いブタ箱に閉じ込められてやってんだ。

 それなら俺が次点で望むべくは一つ。


 八番とるまで囚人として過ごすことだ。


 幸い、毎度この願いは聞き入れてもらえる。

 自ら刑期を延ばすように頼む囚人など前例が無かったため、最初は上層部も戸惑っていたらしい。

 しかし、困難かと問われれば、そんなことはない。むしろ、金のなる木が自ら檻に居ることを望んでいるのだから、主催側としても願ったり叶ったりだろう。

 看守がぶっきらぼうに渡してきたボロ雑巾で、手足に顔に着いた返り血を拭う。


「具体的な期間は?」

「次の血闘祭けっとうさいまで、だ」

「では手続きしておこう」


 それだけ言って、俺の方を向くこともなく地上に続く階段を登っていった。

 硬い足音が、熱冷めやらぬ観客達の喚声を上塗りするように響く。


 血闘祭けっとうさい、それが俺達囚人が命を懸けて戦う、イカれた催しの名前だ。




「うらッ」


 ガキッ!


「ッだぁァいッ!」


 シュタール監獄一階、最奥の間にて、一人の男が全裸のまま鎖に自由を奪われていた。

 壁を背に、四肢は四方に伸ばされるようにして張りつけられている。

 顔面は原型を留めぬほど真っ赤に腫れ尽くしており、口内が切れているのか、はたまた舌が千切れているのか、両の口角からは血が途切れることなく垂れ流れていた。


「喚いてんじゃねぇよ! テメェはタダのサンドバッグなんだよ!」


 グチュッ


「ッあッあッああぁあアァァァッァッ!」


 股間を蹴り上げられた。

 冷えた素足が男の睾丸を容赦無く潰す。

 未曾有の激痛が彼の下腹部から全身に波及する。

 口腔に溜まった血を撒き散らしながら叫喚する男。

 発狂してもおかしくないほどの痛みが、彼の局部を襲っているはずだ。恐らく、彼の人生史上最大の。

 飛び散る血とともに、赤黒い泡を蟹のように吹き出す。

 男が痛みのあまり、身を激しく乱して暴れるも、ぎちぎちに繋がれた鎖のせいで、冷たい金属音が鳴くばかり。

 尿道口からほとんど血の小便が、締め忘れた蛇口のごとく放出されている。


「おぉぁああぁァッ……あぁぉぉあぉォッ!」

「チッ、だらしねぇなぁ……」


 遂に男は狂ってしまった。

 両目は腫れあがったせいでその瞳を覗くことは出来ないが、正常な光は恐らく宿っていない。

 獣の遠吠えのように、意味の為さない声を発する。相変わらず、血と血の混じる泡を吐き出しながら。


「フーッ、フーッ!」

「うるせぇつってんだろ……」


 ペタ、ペタ


「がぁァッ!」


 己を痛めつける目の前の人物を威嚇する男。まるで本物の獣だ。

 いくつか欠けた歯を晒し、真っ赤に染まった口腔を剥き出しにする。

 しかし、見てくれだけだ。実際は手足を縛られており、彼に抵抗する術など一切無い。


 ガシッ


「グッ、ぐあぁぁあァッ!」


 毛髪と顎を掴まれる。

 正気でない男は、これから自分が何をされるのかも分からず、全く退かない敵に対して威嚇をひたすら続ける。今の彼の本能は、この行動しか選択できない。

 手を振りほどこうと、細やかな抵抗は試みてみるも、全く無意味。まるで万力に挟まれたかのように、蚤の一匹分すら動けない。

 頭髪に冷や汗が滲む。汗は毛の一本一本を縫うようにして、うなじまで滴る。

 明確なビジョンが彼に見えていたのかは定かでない。しかし、確かに彼は感じた。


 死の臭いを。


「もういいよ、オマエ」


 ミシッ、ゴキゴキッ


「ギェッ」


 ペキベキッ、バキンッ!


 最期に彼の目に映ったのは、天井に立った一糸纏わぬ悪魔のような女の姿だった。




 あーあ、コイツもすぐ壊れちまったなぁ。

 ちょっとキンタマ潰したくらいでブッ壊れてんじゃねぇよ。

 天地が反対になり、ブラブラと振り子のように揺れる男の頭から手を離す。


「はぁァ……四十九番……」


 恋しい。

 やっぱりヤりてぇよぉ、四十九番……。


 四年前、四十九番がヤってるところを見た。

 一目惚れだった。

 雄々しい肉、猛々しい拳脚、刺々しい技の冴え、そして何より、以外を諦めたくらい瞳。

 気付いてしまった。同族だと。


「んっ……」


 おっと、いけない。

 最近じゃあ四十九番とヤることを妄想しすぎて、アイツのことをちょっと考えただけで下半身が反応しちまう。

 まあ、いいか。

 ここではアタシがアタマだ。


 なんだから。


 誰も咎めるヤツなんて居やしない。

 そう自分を納得させている最中にも、左手は秘部に伸びる。


「はぁ……んぅッ……」


 四十九番……。

 アイツの雄の部分を屈服させ、家畜のように扱う妄想で、私はいつも自分を慰めている。

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