夢想する狂人より

@morilin

プロローグ

「や、やめてくれ……」


 何を言うか。

 この戦いを止められるのは勝者だけだ。敗者に決定権などない。

 ここは、眩いスポットライトが照りつけるリングではない。幾人もの血を啜ってきた処刑場だ。


 殺すか殺されるか。


 それがこの戦いにおける唯一のルールだ。


「行けぇ! 殺せ、四十九番!」

「馬鹿野郎! 立てよ、三十番!」

「殺せ殺せ殺せ殺せぇぇ!」


 狂人による殺し合いを異常者達が目を充血させて観戦する。

 ここに常人などいない。

 殺すために戦う奴、殺し合いが好きな奴。いるのはその二つの人種だけ。


「俺もなぁ、殺すのが好きって訳じゃねぇんだけどなぁ……」


 ペタ、ペタ

 耳が聾するほど熱狂した観客達の叫びの中だというのに、素足で地面を掴む自分の足音がやけに鮮明に聞こえた。

 太陽熱の影響を受けない地下の石畳が、熱の籠った体を足先から冷やすのが何となく気持ちいい。

 尻餅をつき、自分よりも一回り二回りも小さな俺に怯えた目を向ける禿頭の男にのっそり近づく。

 歯の根が合っていないのか、下顎が微かに震えている。


 美しくない。


 コイツは美しくない。

 少なくとも俺より。


「でもルールはルールだ。スマンね」


 全身のバネを軽く、しかし一瞬で同時に稼働させ、右足拇趾球に全体重を集約させる。

 運動量のロスが出ないように足指で地面を鷲掴みにし、男がへたり込んだ直ぐ前方まで踏み込む。

 左足は着地すると同時に外旋、全身を反時計回りに回転させる。

 そして、サッカー選手がゴールを狙いシュートするかのごとく、男の頭部を蹴り抜いた。


 ガショッ


 足の甲が確実に男の顎を捉えた。顎の砕ける感触が皮膚と骨を伝う。

 男は顔面を蹴られた勢いで、そのまま後頭部から地面に叩きつけられる。鉄球を落としたような鈍い音がした。

 その直後、ギャラリーの喚声は更に高まった。唾液と吐息の混じる白い泡を口角に溜めて叫び狂う身なりのいい観客達。


「いひゃ……いひゃいぃぃ……」


 男は不幸にも、まだ意識があるようだ。両手で顔の下半分を覆い、激痛故に涙や鼻水を止めどなく垂らしていた。

 可哀想に。

 失神してさえいれば、これから我が身に降りかかる人生最大の恐怖を味わわなくて済んだかもしれないのに。

 だが、これがルールだ。この男だって、それを了承したうえで戦いに挑んでいるはずだ。

 もしかすると、負けるつもりなんて更々無かったのかもしれないな。

 それは自業自得だ。同情の余地など無い。


 ドンッ!


「うふぅゥッ! ひゃめひぇ! ひゃめひぇぇ……!」


 引導を渡すべく、仰向けになった男の無防備な腹の上に馬乗りになる。

 顎が砕けたせいで、まともな発音も出来ていない。だが、命乞いをしているということは分かる。

 そんな都合のいい願いは聞き入れられない。

 無造作に放った右の拳を顔面に叩きいれた。しかし、顔を覆う両手のせいでクリーンヒットはいていない。

 ノータイムで左拳で殴打する。これもガードされた。

 右、左、右、左、右、左、右、左、右────

 僅かな隙も男に与えず、左右の拳打をとにかく続ける。

 開手した男の両手は既にぐちゃぐちゃだ。最早ガードの意味を為しておらず、ただのクッションと化している。

 だが、それが面倒だ。

 俺も無駄な体力を使わなければならないし、男にしてみたって苦しい時間が長引くだけだ。

 遂に痺れを切らし、俺は男の頭蓋を両手で挟み込むようにしてガッチリ掴んだ。


「あばよ」


 ゴン!

 ゴン!

 ガチョッ!

 グチャッ!

 ブチャッ!


 上げる、ぶつける、上げる、ぶつける、上げる、ぶつける。

 男の頭を上げ、地面にぶつける。ひたすらそれを繰り返した。

 最初の内は、石を石で叩いているような音、感触だったが、二度か三度繰り返すと、音の質が変わった。砕けた音だ。

 そこからは、薄氷をただただ地面に叩きつけて割る時のような感触だった。その内、肉か皮膚が破れる音がした。

 こんなもんか。

 生存は絶望的だろう。

 勝ちを確信し、男を跨いだ状態のまま、立ち上がった。

 それを見た立会人が小走りで走り寄ってきた。


「勝者、四十九番!」

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