第15話 天使たちの驚愕。

 ある日の朝、天使ミカエルとリィンが棲家としている家に併設へいせつされた教会に来訪者がやってきた。


 対応しようとしない師匠の代わりに向かったリィンが見たのは、教会に設置された神像に祈りをささげる神秘的なシスターの姿だった。


「あの、どちら様ですか……?」


 リィンがやってきたことに気付いたシスターはやみに溶けそうな色の修道服についた汚れを払うと、慇懃いんぎんな礼をしてから口を開いた。


「こんにちは、小さな天使さん。私はイネイン。流れの修道女ですわ」


 イネインと名乗った彼女は唯一ゆいいつ露出ろしゅつしている目元だけでニッコリと笑った。

 日本人とはまた違った肌の色をしているが、見た目はとても均整の取れた身体つきをしていた。

 天使であるリィンには当然母親は居ないが、この教会の壁画へきがに描かれている聖母を見ているような感覚におちいった。


 女の方も特にそれ以上喋ることなく、そのままお互いに見つめ合う2人。

 どれくらいの時間が経ったかは分からないが、先に我を取り戻したのはリィンの方だった。


「あの、その流れの修道女? そんな方がいったいウチにどんな御用ごようで……?」

「それは……」


 その時、リィンの背後からなかなか帰って来ないリィンを心配したミカエルがやって来た。

 彼は白いパジャマのまま、しかもさっきまで読んでいた本を片手に持っている。


「いつまで掛かってるのリン……おい、誰だソイツは。どうやってここに入ってきた!?」


 接客など面倒で仕方が無さそうな気怠けだるい顔をしていたが、来客の修道女を見た瞬間にいつも大事にしている本をボトリと落とし、その表情を一変させた。

 それは付き合いの長いリィンですら初めてみる、師匠の憤怒ふんぬの顔だった。


「えっ? ちょ、誰って、えっ??」

「お前みたいなヤツが、この結界の張られた教会に来れるはずがない。どんな手を使って侵入してきた! 目的はなんだ!!」


 初めて出会ったばかりの彼に、攻撃的な口調で問いただされているはずのイネイン。しかし彼女は、余裕の笑みを崩さずに口を開いた。


「お初にお目にかかりますわ。私はイネイン。そして貴方が天使のミカエルさんね。貴方のことは、あの御方おかたからいつもよく聞いているわ。とっても優秀な天使長だって。あぁ、今は大天使に格下げされているんでしたっけ?」


 ウフフ、と皮肉たっぷりの言葉を投げかけられたミカエルは自身の警戒レベルを一気に最大にまで引き上げた。


「お前、どこまでボクたちのことを知っている!? まずはボクの質問に答えろ!!」



 リィンはアホだが、見ず知らずの相手にいきなり自分たちが天使であることや、天使の名を暴露ばくろするほど抜けているとは思えない。

 つまりこのイネインという女は、最初からここに住んでいるミカエルたちに目的があってやって来たということだ。



「あらあら、いきなりそんな敵意を向けられたら私も怖いです……私、天使ってみなさん優しい方ばかりだと思っておりましたのに」


 手をほおに当ててうれいを帯びた瞳をしているが、少なくとも彼女が恐怖を感じているような様子は見られない。

 一方、殺意をつのらせるミカエルの瞳が灰色ににごり始めてしまった。


「ちょ、ミカ? いったいどういうことなの? この方はただの流れの修道女なんじゃ……」

「馬鹿を言っちゃいけない。キミは気付いていなかったかもしれないけれど、この教会がある敷地一帯は天使長ラファが一定のクロを持つ者は入れないように結界を張っていたんだ。キミや人間なら問題ないだろうけど、今目の前に居るコイツは……ほぼクロしか持っていない!」


 怒りを込めた視線でイネインを射抜いぬく。

 リィンは驚愕きょうがくしながら彼女を再確認するが、どうみても普通の人間の女性にしか見えなかった。


「さすがですね、ミカエルさん。あの御方が作った修道服は、クロの因子をほぼおおい隠す効果があるっていうのに」

「ふん。それが逆に怪しいんだよ。いくらアンタがシロの多い徳の積んだ修道女だとしても、それでもクロが少なすぎる。つまるところ、アンタは人間らしくない」


 においで麻薬まやくぎ分ける警察犬のように、クロの因子を敏感に感じ取れるベテラン天使ミカエルは、念のためにポケットに隠し持っていた黙示録端末をチラ、と確認する。


『対象を確認しました――推定、クロレベル98%。危険度はA。上級の悪魔です。救援要請されることを推奨すいしょうします』


 チッ、と舌打ちをしながら、ミカエルは眼前に立ったままのイネインを再び睥睨へいげいする。どうやら元天使長だった彼でも、あまり相手にしたくないレベルの相手だったようだ。

 それもそのはず。危険度Aというのは、彼ですら戦闘した経験は片手で数えるほどしかなかった。

 もっといえば天界の十二天使数人で挑んで犠牲を出しながらようやく勝利したという、完勝とは程遠いものであった。


 現在のこの状態で戦闘に入るのは非常に不味い。

 相手がどのような戦闘能力を持つのかも分からないし、となりには無防備なリィンしかいない。とてもじゃないが、何の対策も無く勝てるような相手ではない。

 まずは相手の出方をうかがいたいところなのだが……。


「いやだわ。私、まだ何もしていないのに……。こんな武器も持っていない悪魔でもめっしちゃうのかしら? 悪魔好きのマガイモノである貴方が?」

「アンタ……いったいどこまで知っている!!」


 対策や戦法を無視し、とにかく目の前の敵を今すぐ滅そうといった彼らしくない感情的な反応。

 ミカエルは半ば無意識で彼の武器『釣り合う矛盾リーブラ』を召喚し、槍の矛先ほこさきをイネインに向けた。


「だから私は戦うつもりで来たんじゃないっていうのに……私、いえ私たちは貴方たち2人を誘いに来たの。ねぇ、あの御方のところで一緒に幸せにならない?」

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