第12話 抱き合う天使たち。

 ――『時は金なりタイムイズマネー』発動。



 悪魔ノルが最後の悪あがきに、取り憑いていた人間ごと窓の外に身投げをしたその瞬間。

 なんとか止めようと走りかけたミカエルの背後で、見習い天使リィンが自身の能力を発動させていた。

 そのお陰で、彼は空中に浮かんだまま静止している。



「り、リィン……!」

「は、はやく!! あと数秒も持ちません!!」

「……っ!!」


 彼女は震える手で窓の外を指さし、師匠ミカエルを急かす。

 確かに空間ごとその場で固定はされてはいるようだが、再び動き出せば百目鬼どうめき専務はそのまま落ちてしまうだろう。


 ミカエルは弟子に返事をすることも無く、全速力で彼の回収に走った。



「ふう、なんとか助かった……」

「危ないところでした~。まったく、私がいなかったらどうするつもりだったんです、シショー!」


 床にペタンと女の子座りをしながら、涙目でブーイングをするリィン。

 たしかに、彼女がいなかったら間違いなくあの人間は天界か魔界まかい行きとなっていただろう。


「今回は本当に助かったよ、リィン。でも戦闘中は居なかったから、このビル自体から逃げているのかと思ったんだけど……」


 既に戦場となっていたこの専務室はメチャクチャに荒れており、立派だった机や棚などは折れたり溶けたりと散々な状態だった。

 専務が意識を取り戻したら、あまりの惨状さんじょうにショックで卒倒そっとうしてしまいそうだ。


 ともかく、こんな激しい戦闘が行われていた場所に居てはリィンも恐怖を感じていただろう。

 なにしろ、彼女は今までずっと争いの無い天界にいたのだ。

 戦闘訓練はしていたが、あくまでそれは天使との練習試合。

 本気でお互いの命をけて戦うなんてこと、優しい彼女にはまだ難しかったのかもしれない。


 だからミカエルの指示通り、このビルから退避しているものだと彼は思って居たのだが……。



「私だって立派な天使なんですよぅ? それにシショーを置いて、私だけ逃げたりなんてできません! ……ちょっとだけ怖かったですけど」


 そういって未だ小刻みに震えている手で己の身をいて、必死に恐怖を紛らわせようとする少女。

 そんな彼女を見て、ミカエルはそっと手を伸ばし……弟子の華奢きゃしゃな身体をきしめた。


「ごめんごめん。ボクがちゃんと守るべきだったのに、怖い思いをさせちゃったね」

「ちょっ!? し、ししししっ!? ししょぉお!?」


 いいこいいこ、と幼子をなだめるように、白黒の頭を優しく撫でる。

 普段のそっけない態度とは異なり、まるで父親か恋人のような態度に驚き戸惑うリィン。

 師匠のあまりに予想外の行動に身体もびっくりしたのか、いつの間にか震えも止まっていた。



 そのままの状態で十数分ほど経った頃。

 すっかり大人しくなったリィンを確認したミカエルは、そっと彼女から離れた。


「ふぅ。ま、こんなもんか。キミ、相変わらず単純な性格と身体をしているよね」

「ふぁ……はっ!? た、たんじゅん!? ちょっとシショー、それってどういうことですか!?」


 師匠はさっきまで慈愛じあいに満ちた優しい表情だったのに、今ではケロっとしていつもの無表情に戻っている。

 まさか全て演技だったのではないかというほどの変わり身の早さだ。


「どういうって……ボクが言った言葉の通りだけど。それより、キミのHPは回復した?」

「え……? え、あっ……か、回復してます!! やった、やりましたよシショー!!」


 HPという天使にとって自分の力の源であり、余命でもある値が示されたゲージ。それがプラスの方向に移動していることを確認したリィンは、その場で飛び跳ねながら歓喜かんきの声を上げ始めた。

 命を削り続けていた彼女にとって、ここ最近の心配事からやっと解放されたのだ。

 そのことを考えれば、この喜びようも分かる。


「うん。キミさぁ、クロに寄った飢餓きが状態で更に能力まで行使したから、かなり危ない状態だったんだよ? しかもそこにきて悪魔消滅による反動でシロが集まってきていたっていうのに、なぁんにも考えずに呑気のんきなんだから……リィン、ボクが今まで教えてきたこと、忘れちゃってたの?」


「反動……? あっあああぁぁあっ!!」


 能力を使用することで、ただでさえ減っていたHPが危険だということは彼女も把握していた。

 しかし反動――クロを集め続けていた悪魔が消滅すると、世の中の平衡へいこうを保つために白が集まる現象――があることをすっかり頭から抜けていた。

 つまり空腹時に大量に飲食をすればもちろん、身体には相当な負担が掛かるわけで……。


「恐怖もあったかもしれないけれど、キミが震えていた本当の理由はその反動による身体の崩壊ほうかいだよ。この馬鹿弟子が。ボクがそばにいてクッションになったから良かったものの、あのままじゃ空気の入れすぎた風船みたいに破裂するところだったんだからね?」

「破裂っ!? あ、危なかったぁ……ししょおぉ、貴方様は私の命の恩人ですうぅぅ……」


 HPの消失どころじゃない己の生命の危機にひんしていた事実を知り、今度は自分からミカエルに抱き着くリィン。

 涙を師匠の服にこすりつけながら、もう一度自分が助かったことを実感している。


「はいはい。それはボクもお互い様だから。あのまま死なれてたら、逆にクロが馬鹿みたいに集まってリィンだけじゃなくてボクも危なかっただろうしね。……それより、キミ。あの能力を使うほどのお金、どこにあったのさ?」


 彼女の能力、『時は金なり』はお金を対価に、時を操る神のような能力だ。

 行使する対象を指定すればコストは下げられるとはいえ、時間を数秒止めるだけでも壮絶そうぜつな金額を必要とされるはずだったのだ。

 先ほどは精々10秒ほどだったかもしれないが、少なくとも現在2人が手持ちで持っている現金で払えるような対価ではない。


「えへ、えへへへ。実は……この会社からちょっとお借りして……」

「……はっ?」

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