第87話 銀行支店長ジェシカ・ノートンの鬱憤

「彼はルスラン・ハラード──────わたしの夫よ」


 

 夫ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおうおうおおおおおお!!!


 アンタ結婚してたんかーい!

 てことは、貴族筋のゲス男は人妻にしつこく付きまとってたわけだ。

 断られるの当たり前なのにフラれたら嫌がらせとか、マジで屑野郎だな。


 しかし、月の女王様の如く孤高なジナイーダが、ごく普通に人妻やってるとか意外にも程がある。しかもこの男が相手では、まさに美女と野獣じゃないか。

 何かまったく想像ができんわ。この野獣の世話をやいてる姿が……


「こちらはイクゾーさん。話題になっているセクスエルムのお婿さんよ」

 

 まだ呆然としてる内に紹介が進んでいた。とりま挨拶せんと。

「荒井戸幾蔵です。どうかイクゾーとお呼び下さい」

「これはご丁寧に。私のことはルースで結構です」

 縦にも横にも大きい巨体に似合わず謙虚そうな印象を受ける挨拶だった。

 その辺がジナイーダの心に響いたのかもな。

 ともかく、二人が結婚してるのなら尚更この男のこともよく知っておかんと。


「ルースさんはパーティーで何を担当されてるのですか?」


「盾士をやっています。この体で仲間を守ることしかできませんので」

「ご謙遜を。それだけの肉体をお持ちなら攻撃力もさぞ高いのでは?」

「それがこの人はからっきしなの。だって当たらないのですもの!」

「ハハハ…ハハ……まぁ、そういうことなのです」

「そ、そうですか。でもナヴァトゥリーダには強力な術士が3人もいらっしゃるのだから、盾士の役割はとても大きいですよね」


「その通りね。だけどルースときたら動きが鈍くて未だに五等冒険士なの」


 五等!? 上級冒険師メジャーとなる三等どころか四等ですらないのかっ。

 野獣なのは見かけだけかよ……面識のないあとの二人も怪しくなってきたな。

 こりゃあ、精鋭パーティーという評価は下方修正する必要があるわ。


「仕方ないわ。自分だけでは満足に魔獣が倒せないのだから」


 うわぁ、ジナイーダは容赦なく夫に追い討ちかけとる。

 この夫婦、どう見てもかかあ天下だよ。

 ルースの方は何も言い返さずに苦笑いするしかないって感じだ。

 一緒にいる俺まで居たたまれん気分になってきた。誰かマジ助けてー。


「姉さん、こんな所で何やってんのよ。探したじゃない」

 スケバン魔法剣士キター!

「あたしがイクゾーと引き合わせてあげたのよ」

 頼もしい姐さん魔法神官もキタコレ!

「またあんたなの。うちらの周りをウロチョロすんのはやめな」

 カレンは俺をひと睨みしてからジナイーダの手を取って歩き出す。

「ごめんなさいね、イクゾーさん。話の続きはまたにしてくださるかしら」

 美貌の姉は、やれやれ困った妹だわという表情で別れの言葉を口にした。

「はい、近い内に必ず」

 俺の返事に満足したような笑みを浮かべてジナイーダは妹と去って行く。

「では私もこれで失礼するよ」

 苦笑いが張り付いたままのルースが姉妹の後を追って行った。

「カレンが邪魔しちゃって悪かったね」

 気遣いのできるルーチェはしっかりフォローを入れてから皆に続いた。


 そんなナヴァトゥリーダの四人の後姿を見ていると、ふと気になった。

 ジナイーダとルースの距離感がおかしい。

 夫婦なら隣に並んで歩くんじゃないか普通は。

 それが今は右からジーナ、カレン、ルーチェ、ルースという並びで一番離れた場所を歩いとる。さっきの二人のやり取りといい不穏なものが漂いまくっとる。


 何だこれ、NTRチャンスかっ?


 あの美貌と気品に人妻という属性が加わるとホンマ堪らんよなぁ。グフフフフ

 ほんの少し前に貴族筋のゲス男をこき下ろしていたことなどすっかり忘れて、ジナイーダとの不倫エッチを妄想し愚息を成長させてしまう俺だった。



「どうしてあれだけしかないのですかアレー様! もっと寄こしなさい!」


 精鋭パーティー(仮)、ナヴァトゥリーダの四人と別れた俺は、閉店まで大盛況だったソントック銀行の具体的な成果を訊こうと探し歩き、他の行員たちと歓談してるジェシカを見つけて声をかけたらイキナリ叱責された。解せぬ。


「それは、贈呈品の月めくりカレンダーのことですか?」

「当たり前です! 他に何があるというのですか!」

 知らんがな。

 だがこの反応を見るに、客受けがメチャクチャ良かったようだ。

 ああいうのを見慣れてる俺ですら感動したんだから当然といえば当然か。


「しかし、アレは先着300名のお客様だけへの特典ですよ。それを反故にしてまた配るというのは裏切り行為です。銀行の信用に傷がつきますよ」


「痛いところを突きますわね……でも、あの革新的なカレンダーを欲しがる顧客が後を絶ちませんの。何か手を打ちませんとそれこそ当行の浮沈に関わります」


「そうは言っても、また用意するにしろ元手が結構かかるんですよアレは」

「そもそも貴方が始めたことなのですから最後まで責任をお取りなさい!」

 くっ……どこまでも傲慢で自分本位な女だ。

 だが、俺が始めたことなのは間違いない。この結果が予想できなかったことも。

 むーん、ジェシカの主張も一理あるか。何か解決策を出さねばなるまい………


「では、有料で月めくりカレンダーを販売しましょう」


「それで当行の顧客の不満が解消されると本気で考えてらっしゃるの?」

 本音を隠す気が1ミリもない支店長は、馬鹿なの、と全力で表情に出しとる。

 ま、確かにただ売りに出すだけじゃあ銀行の客は納得するまいよ。

 自分たちには何の得にもならんのだからな。という訳で───


「銀行で口座を開いてくれたお客様だけが買えるようにします」


「それなら良いですわ。価格はおいくらにするつもりですの?」

 そこが分からん。

 もともとタダで配る粗品だから値段なんて考えたこともなかった。

 とはいえ、素直に白状したら何を言われるか分からんから探りを入れよう。

「ジェシカさんは、どのくらいが適正価格だと思いますか?」

 見識を試されてると勘違いした支店長は俺を睨みながら胸を張って答える。


「50ドポン(1万円)ですわ」


 MAJIDE!


 たかだかカレンダーに1万円って庶民の俺には驚愕の値付けだわ。

 そんな金を出してまで買う奴がこの世界には一杯いるのん?

 もしそうなら嬉しい誤算だ。これはもっと掘り下げておかんと。


「その根拠はなんでしょうか?」


「顧客たちの声を総合した結果ですわ」

「え、カレンダーをもらったお客様たちがそう言っていたのですか?」

「1枚で5ドポンの価値がある。それが10枚1セットなので、買えば少なくとも50ドポンはするだろう、というのが顧客たちの総意でしたわね」

 おおぅ、実際に手にした人たちの意見なら信憑性高いな。

 今は3月だから、今回1月と2月の暦は削った。来年度からは12枚組になるんで60ドポン(1万2千円)が適正価格か。こりゃマジで勝機&商機だわ。

 となると、この機会に月めくりカレンダーを可能な限り広めておくべきだな。

 よしっ、ここは勝負どころだ。ついでに我儘な三十路美女も巻き込んでやる。


「価格は25ドポン(5千円)にします!」ドンッ


「なっ………半額で売る…というのですか……!?」

「銀行のお客様だけへの出血大サービスですよ」

「……まぁ、貴方が自ら血を流されるというのなら、どうぞご勝手に」

「いえ、銀行にも一緒に泣いてもらいますよ」

「はぁ? 何を言ってるんですか貴方は?」

「恐らく1部につき10ドポン(2千円)ぐらい原価割れしますから、その分を銀行が補填して下さいと言ってるんです」

「お話になりませんわ。そんな無駄金は当行に1スペンもありません!」

「無駄にはならないでしょう。10ドポンで顧客が一人増えると思えば」

 一考の余地があると判断したのか、ジェシカは口を閉ざして長考に入る。

 だけど天の邪鬼だからどうなるやら、と心配してたら思わぬ援軍が現れた。


「悪い話じゃないわぁ。決めちゃいなさいよぉ、ジェシカ~」


 たしかイヴォンヌだったかな。ジェシカと同じアラサー美女枠だ。

 ただ、ジェシカと違って人妻のフェロモンを隠す気がサラサラない。

 要するにくっそエロい。この世界的にはNGらしいが俺にはピンズドだ。

「貴方は黙ってなさい」

 支店長の叱責なんてどこ吹く風のイヴォンヌは頬を摺り寄せながら語る。


「だってぇ『損して得とれ』が我がソントック銀行のスローガンじゃない」


「くっ……」

 不覚にも部下に一本とられたジェシカは悔しそうに絶句しとる。愉快愉快。

 だがこのままだと、高慢支店長が意地になって却下BADエンドになるな。

 しゃーない、この辺で大きなアメを与えてやるとするか。


「了承してくれれば、超大口の顧客を紹介してあげますよ」


「超大口の顧客!」キラーン

 獲物を狙う肉食獣へ豹変し目を輝かせるジェシカは念を押してくる。

「もし後で約束を反故にされたら必ず訴えますからね」

「貴族の名誉にかけて誓約は守ります」

「良いでしょう。それでは、詳しいお話を聞かせて頂きましょうか」


「印刷工房主のペーター・ラーデンさんですよ」


「ラーデン……まさか、月めくりカレンダーを製作した工房のことですか」

「さすが、よくご存じでしたね」

「あんな小さな印刷工房が超大口顧客なわけないでしょう!」

 お、落ち着けっ。ホント三十路にしては自分の感情に正直すぎるやろ。


「直ぐにこの町で一番の大工房になりますよ」ニヤリ


 この意味が分かりますよね、と笑顔で伝えてみた。

「当行で融資を受けて新たに大規模な工房を建設すると?」

「ご明察」

「それほどの大口融資を得ようとするなら相応の担保が必要ですわよ」

「僕が保証人になりましょう」

「確かに巨額のギルド改装費を一括でお支払いになったのは貴方かもしれませんが、今もまだ資産をお持ちとは限りませんわね」

 むぅ、支店長になるだけあって用心深いな。だが勝負はここらかだぜ。

 せっかくの儲け話を不意にするなんてとため息をついてから俺は反撃する。


「僕は別に構いませんよ。銀行ならアトレバテスにもたくさんありますから」

 

「それは許しません! 町の事業資金は町の銀行で借りるべきです!」

 うはっ、テンパってエゴ丸出しになっとる。俺は借りてやると言ってるのに。

 お前が担保やら資産やらとゴチャゴチャ言って難癖つけてるだけやで。


「アレー様を信用して融資するべきよぉ。銀行は貸出して利子を稼がないとぉ」

 その通り! 

 エマたちのお陰で、この銀行にはこれからも預金がたくさん集まるだろう。

 だが、集めた金の融資先が無い。だってここは何も無い田舎町だから。

 となると、このソントック銀行ウェラウニ支店は早晩に潰れる。


 その大ピンチを俺が救ってやろうと言っとるんだ。何を迷う必要がある?


 その点、イヴォンヌはよく分かってるじゃないか。

 ご褒美に全身を舐め回すように見て上げよう。ジーーー

 ド淫乱行員はあっは~んと囁くにように喘いで目を細めた。うむ、エロス。


「就任早々に不良債権なんて出す訳にはいかないのよ!」


 うーん、ゆるいイヴォンヌと違ってジェシカは何か必死だな。

 片田舎のしょぼい町に飛ばされ、バンカーとしてもう後がないんだろう。

 ちょっと可哀相になってきた。この辺で妥協してやるとするか。


「月めくりカレンダーの特許は僕が持っています。仮に支払いが滞るようなことがあれば、その権利を渡しましょう。融資額の何倍もの価値がある筈ですよ」


「……さすがアレー様ですわ! 今後ともぜひ当行を御贔屓に」ニッコリ


 一瞬の沈黙の間に脳内で正しくソロバンを弾いたジェシカは快諾した。

 ホント現金な女だわ。しかもその僅かの間に何か企んだな。釘を刺さねば。


「その代わり、金利は勉強して下さいね」


 無茶な利率で破産させて月めくりカレンダーの権利を奪うつもりなんだろ?

「くっ……まぁその、可能な限り、検討を、させて頂く、所存ですわ」

 まんまダメ政治家の答弁!

 やっぱりコイツはまだ信用しちゃいかんな。ちゃんと警告しておかんと。


「金利によっては他の銀行に鞍替えさせますから」


「仕方ないですね。十分な担保の大口融資1件で満足して差し上げます」

「そうして下さい。ここで変な欲をかくと絶対に後悔しますからね」

「というと、この話にはまだ先があるとおっしゃるの?」

「この僕が支援して大印刷工房を建てさせるのですよ。当然じゃないですかぁ」

「まぁ! ぜひお伺いしたいですわ!」キラリーン

「まだ具体的には言えませんが、軽くカレンダーの数倍規模になる大事業です」

「……俄かに信じられませんね。具体的に言えないのなら概要だけでも」

「これまでにない発想の本を出版します」

「また本当にザックリとした説明ですわね。ちっとも参考にならないわ」

「明日の町議会で町おこしが可決されます。その後にもう少し説明しますよ」


「はぁ? 町おこしなんて企画が進んでいたのですか!?」


「ええ、そうですけど……」

 何をそんなに仰天しとるんだこの女は。

 いや、驚きを通り越して、もはや眉を吊り上げて激怒しとるわ。

 一体、町おこしの何がこの女の逆鱗に触れたというんだ………ゴクリ



「私は聞いてませんわ」ゴゴゴゴゴ

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