元忠vs綱成

「まだこの男の弁護は始まってもいませんぜ。」


 ド派手に現れた権兵衛。もうだめかと思ったところで駆けつけてくれた。そして、彼の後ろには弥次郎兵衛がついてきている。

 俺は拘束された時、弥次郎兵衛をちらっと見ていた。彼は震えていた。おそらく、俺を助けたかったが、思うように体が動かなかったのだろう。俺も逆の立場であったら間違いなくそうなっていた。彼を責めることはできない。

 でも、悔しくて悲しい気持ちもあった。俺を助けてくれる人はいないんだろうか、と。だが、彼は小田原まではるばる来てくれたようだ。それが何より嬉しい。


「何を言っている。審議員が次に進むと言ったのだ。次へ進むぞ。だいたい、貴様らはどこのどいつだ。礼節をわきまえないか。」


 元忠は二人が来て、俺の弁護をしようとしているのが癇に障ったようで、苛立ちながらそう言った。しかし次の瞬間、彼の顔は青ざめた。


「よう元忠。元気そうで何よりだが…、ちょっとおめえがしてることは引っかかるなあ。」


 という声とともに、孫九郎が現れたからだ。


「話は聞かせてもらった。おい、審議員。こいつは無罪だ。こいつは元々、鍬を作ろうとして鍛冶屋に発注したりしてた。1ヶ月も前にな。

その時、俺もこいつと話してそのことについて色々聞いてた。鍬を4股にして粘土質の畑を耕すと今の平ぺったい鍬よりも効率が良いとかな。」


 孫九郎が続けてそう言うと、


「そ、それは…、私が奴にそう頼んだのだ!それをもって奴が鍬を作ったとは言えないだろう。それよりお前は誰だ!いきなり入ってきて生意気な。ひっ捕らえろ!」


 と四郎左衛門が反応した。だが、四郎左衛門がそう言っても誰も動こうとしない。元忠は慌てて彼を、


「も、もう止めろ。ここで俺たちの主張は終わりだ。あのお方に逆らうな。」


 と制止する。それと対照的に、孫九郎は嬉しそうに名乗った。


「誰かと聞かれたら我が名を名乗るしかないな。俺の名前は北条孫九郎綱成。さあ、裁判を続けようじゃないか。」


 思考が停止した。彼は北条綱成と名乗ったのか?孫九郎が北条綱成…?

 北条綱成は北条家一の戦上手で、地黄八幡という旗を掲げて「勝った!」と叫びながら、彼自身が先陣を切って突撃したという逸話も残っている。戦国時代の中でも最強クラスの武将だ。

 ここに来てやっと、俺も状況が飲み込めてきた。孫九郎があの北条綱成だったなんて。本当に驚いた。では、道場で会った彼が殿と呼んでいた武将はもしかして…。そんな妄想までしてしまう。

 裁判はそこから終始こちらのペース。元忠も綱成と逢うては黙るばかり。その場で即決無罪となり、釈放となった。



「お助けいただきありがとうございます。まさか孫九郎様がそれほど高名な方とはつゆ知らず…。」


「ああ、気にすんなよ!それよりあの鍬、すごいなあ。役人連中が功を横取りしようとするほどとは。」


 綱成はそう言ってギロリと四郎左衛門を見る。彼はまさに蛇に睨まれた蛙のように体を縮ませて震えていた。元忠はさきほど、申し訳無さそうに綱成に弁明しようとしていたが、


「だいたい聞いていた。何を言っても俺のお前への評価は変わらないし、殿に報告する内容は変わらない。失せろ。」


 と一瞬だけ人が変わったように威圧していた。これが武将の放つ圧かと感心してしまった。



「そういえば、殿…、つまりは北条氏康様もお前の新しい鍬に関心を持っておられてな。もしよかったらその鍬を作って各地に配給する事業に携わってみんか?」


 裁判所のようなところを出ると、綱成からそんな提案を受けた。


「つまり役人になるということですか?」


「まあそういうことになるな。お前は武士になりたいと言っていたからどうかなと思ってな。それとは少し異なるが、お前は知恵もあって賢い。北条家の役に立つはずだ。」


 そういうことなら気分が良い。綱成のお墨付きで役人になるなら出世すること間違いなしだ。


「ぜひ、やらせてください!」



〜〜〜〜〜



 すぐまた小山村に帰ると約束し、弥次郎兵衛と小田原の城門で別れた。彼は俺の夢を理解し、応援してくれていた。優しくて本当に良い友達だ。

 別れたあと、綱成についていくと、彼はまた別の役所のような場所に連れて行った。


「例の鍬を作った農民を連れて参りました、三郎様。」


「む、わざわざお主が連れてくるとは。大儀であったぞ孫九郎。」


 そこの中で待っていたのは50歳ぐらいの賢そうな男。綱成が敬語を使うということは相当に偉い人なのだろう。道場で会ったのが氏康だとしたら、あと綱成が敬語を使う候補にあがるのは先代当主氏綱か、北条家の長老・幻庵だ。

 今の正確な年号がわからないので何とも言えないが、氏康の当主就任と氏綱の死亡はほぼ同時に起こったはず。なので、この男は幻庵と断定してよさそうだ。

 北条幻庵は北条早雲の末子にして、このあと90代まで生き延びたご長寿さんだ。政治家として卓越した腕を見せ、北条家の知恵袋としても活躍していた。そんな人が目の前にいるのだ。光栄である。それにしても、この時代では自分から名乗ったりしない限り、通称で呼ばれることが多い。

 例えば北条綱成を知っていても、その通称である孫九郎を俺は知らないので、初見だとピンとこない。かなりこれは厄介である。そんなことを考えていると、


「おいお主!」


「はっ、はい!」


「ぼんやりとしておる場合ではないぞ。」


「も、申し訳ありません。」


 というように怒られてしまった。


「それで、君に鍬を作ってもらって、それを各村に送ってもらうわけなのだが、できそうかね?そもそも文字が読めなければ務まらないが…。」


 俺は1ヶ月の間、ただ農業だけしていたわけではなく、近くの寺に通って熱心に文字を教えてもらっていた。上達は早かったようで、そこの僧侶には逸材だと言われた。まあ、現世の文字を知っているので、アドバンテージがあるからだろう。俺は現世で勉強ばかりしていたので、常に何かを学んでいないと落ち着かないことに気がついた。


「文字は読めます。」


「そうか。それは結構なことだ。ならば今日からここの宿舎に泊まり、鍬を作れ。孫九郎はそろそろ小田原を出るから、失敗してこいつに頼ることはできんからな。」


「お任せください。」


 そうは言ったみたものの、俺には重すぎる責任を背負うことになりそうだ。バイトすらしたことがないというのに。その後、


「頑張ってくれよ!」


 綱成は去り際に俺の背中を叩いてまた例の紙を渡してきた。さきほど宿舎を見てきたが、俺の部屋は6畳ほどで広くはなく、あまり快適に暮らせはしなさそうだ。だがそれでも、


「出世するためですから、頑張ります!孫九郎様こそお気をつけて。」


 と気合いマックスで返事をした。俺は今、奇跡みたいな出世の仕方をしている。

 道端で倒れていたところを親切な農民に拾われて居候をさせてもらい、大権力者とたまたま仲良くなって彼に助けてもらってここで働けることになった。俺が今言えることは、責任は重大だが、綱成や弥次郎兵衛に報いるためにも、この仕事をやり遂げねばならないということだ。

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