牢獄の出会い

「おい、飯だぞ。」


 牢獄の中、俺は看守のような男に呼ばれて目を覚ました。いや、彼の名前は昨日聞いた。川北権兵衛だ。ここにぶち込まれた俺にひどく同情してくれ、明日話を聞くぜと昨日言ってくれていた。


「で、何があったんだあんちゃん。」


「それがですね…、俺が新しく鍬を作ったんですが、それを代官の四郎左衛門ってのに報告したらそいつが自分の手柄のように上に報告したらしくて。俺、許せなくてそいつに殴りかかろうとしたんですけど…。」


「あぁ、それで不敬って罪をかけられたわけか。なるほどなあ。」


 俺はその後も彼に散々に愚痴った。そこでふと、どうして俺にこんなに優しいのか気になった。普通の看守ならここまで話を聞いたりはしてくれないだろう。そのわけを訊くと、


「あぁ、俺は看守やってるわけだが…。数年前に俺の親友と呼べるやつが理不尽に妻を奪われてな。奪ったやつはお役人だ。俺らは逆らえないよな。

だが、そいつは妻を愛していたし、必死に抵抗して逆らった。そしたら不敬だとか言われて、少し手を出しちまったのが祟って死刑にされたのよ。

そんなことがあっても看守やってる俺は情けないが、だからこそ親友と同じ目に遭いそうな奴には話を聞いて、役に立てそうなことがあれば少しでも何かしてやることにしてる。

まあ、あんちゃんは親友と違って手を出してない。殺されることはないが奴隷扱いは確実だろうな。」


 と答えた。そうか、俺は戦国時代に来て奴隷になるのか。変に冷静になった。


「だが、まだ足掻くことはできる。何か、俺にできることはないか?俺も罪に問われたくはないんだが、何かそれ以外でできることがあれば協力する。」


 絶望的な表情をしていた俺を見て、彼は続けてそう言った。何ができることか…。脱獄させてくれと言いたいところだが、この人を巻き込むわけにも行かないし。だが、


「ほら、なにか伝手とかはないのか?」


 という一言でひらめいた。胸に隠しておいた紙切れを取り出して鉄格子ごしに彼にそれを見せた。


「孫九郎って男を知ってますか?」


「いや、孫九郎…?名字は何だ?」


「わからない。だけどそれなり偉い人なんだとおもうんですが。」


「うーん、確かに孫九郎って名前で偉い人は知ってるが、そりゃ北条家随一の偉い人だぞ?」


「じゃあそれとは違う人かもしれません。でも、その人は数人の従者を引き連れてておそらく侍なんです。そして、この紙を僕に渡してきて、何かあったら俺を頼れと言ってきたんです。」


「ちょっと見せてくれ。」


 それを見た彼は驚いたように目を見開き、俺と紙を交互に見た。


「あんちゃん…、これは…。もしかしたらあんちゃんは助かるかもしれねえ。ちょっと俺一人ではどうにもならねえから、俺の上司に掛け合ってみる。」


「上司に言ったら意味がないのでは…?」


「いや、俺の上司は元忠様には通じていない。彼はこの辺りの領地経営の奉行をしていて、俺たちはただの警備だ。上には小田原町下の奉行がいるが、部門が違うから大丈夫だ。」


「そ、そうなんですか。ちなみに、この紙は何なんですか?」


「これはあんちゃんの身分を確定させるとともに、あんちゃんにこの紙の差出人と同等の権利を移譲させるという紙だ。普通は家臣に名代(みょうだい、代行すること)として他所に遣わす時に与えるものだ。なんであんちゃんが持ってるかはしらねえが…、価値のあるものだぜ。」


 やっぱりそうだったのか。この紙は失くしてはいけないと思って懐に忍ばせておいたのだが、それは正解だったようだ。


「とにかく、俺はちょっくら行ってくる。あんちゃんはおとなしく待ってな。脱獄なんて考えるんじゃねえぞ?事態は余計混乱しちまうからな!」



〜〜〜〜〜



「むむ…これは間違いない。北条綱成様が差出人だろう。なぜあんな農民が持っているのかはわからないが、綱成様の関係者となれば勝手に処分できぬ。されど…、綱成様に直接接触してその証明ができなければこれもただの偽造だと言われてしまう。多目殿はそれだけの力がおありだ。あの農民が持っているのはそれだけ不自然なことだからな。」


「では探して参ります。もう二度と、権力に人が潰されるのを見たくはありませんから。」


 権兵衛は上司に報告し、綱成を探すように命令を受けた。


「ただ…、急げよ。俺も被せられた罪だとは思ってる。だからこそ、代官の某(なにがし)は先を急いでさっさと自分のボロが出る前にこの案件を片付けようとしている。裁判は多目殿がここに到着し次第始まってしまう。」


「なんと…。えらく早いですな。やはり不敬の罪はこのようになってしまうのですね…。」


 権兵衛は数年前のことを思い出しているみたいだ。上司は、そのことを察して、


「権兵衛、お前はよくやっている。あの時はダメだったかもしれないが、今回は救えるさ。大丈夫だぞ。」


 と励ましてやった。



 権兵衛は必死に綱成を探した。


(も、もう一刻 (2時間)は経ったな…。全く…、手がかりすら掴めない…。)


 彼も少し焦り始めた。まだ東にあった太陽は真上に近づいており、もう時間はなさそうだ。

 さて、同時刻に小田原城下に辿り着いた者がいた。名は弥次郎兵衛。彼は道之助が捕まったとき、蛇に睨まれた蛙のように何もできなかった。ただ体が震えるばかりで抵抗する彼を見送るばかりだった。

 だが、道之助とはもう1ヶ月以上ともに過ごした仲であり、すでに親友と呼べるような関係だった。そんな彼を失うのは嫌だし、見殺し同然のことをした自分が情けなくて仕方なかった。なので、


(着いたぞ小田原…。おらが何できるかはわからねえが、なにかあいつの役に立つことをしよう。)


 と、固く決心していた。そんな時にばったり二人が出会った。


「あのお…、北条綱成様を探しておるのですが、どこにいらっしゃるかわかったしませんかね…?」


 小田原をぐるっと回ってもだめだったので、ダメ元で門付近にも聞き込みをしていた権兵衛。それに対して、当然ながら綱成の居場所など知らない弥次郎兵衛は、


「申し訳ない、おら知りません。おらも道之助っちゅう友人を探しておるのですが…、知りませんか?お役人にしょっぴかれてしまったんです。」


 と返答した。


「み、道之助!?20手前ぐらいの身長の高い男ですか?」


「し、知っておられるのですか?」


 かくして、目的を同じくする二人は事情を説明し合い、綱成探しを再開させた。


「それにしても道之助が仲良くなった孫九郎様が綱成様だとは。だとしたら心当たりがございます。」


「というと?」


「道之助が道場で孫九郎様と会ったと言っていたのです。」


「なに、道場か!すぐに行こう!」


 手がかりを掴んだ二人は片っ端から道場という道場に駆け込んだ。しかし、小田原にはたくさん道場があるし、道之助もどこの道場で稽古をつけてもらったかは言っていない。というか本人もどこがどこなのかはわかっていない。

 しらみつぶしに5軒ほど道場を回って、やっと“そこ”に辿り着いた。


「ここは小田原の最奥の北条家御用達の道場…。」


「あるとしたらここだな。」


 その道場には見張りの兵士までおり、よくよく考えれば、いるとしたらここしかなかった。見張りの兵士に道之助が持っていた紙を見せると、兵士たちは訝しみながらも、兵士が同伴するなら道場に入っても良いと許可を出した。

 道場の中では、稽古が行われていた。青年たちを中心に行われていたので、ここには綱成はいないのかと思った二人だったが、その脇で稽古を監督する人物に目が行った。


「お前らぁ、腰が入っとらんぞ!腰がよ!」


 雷のような怒号を飛ばしている。体格は良く、冬だというのに上裸だ。肩には刀傷が入っている。


「もしかしてあの方が綱成様ですか?」


 見張りの兵士に弥次郎兵衛が尋ねると、見張りの兵士は頷く。ついに彼に辿り着いた。


「おう、そこのお前ら!どうしたんだ?もしかして稽古か?」


 数分して稽古が一段落すると、綱成が弥次郎兵衛らに気付いてそう尋ねる。


「いえ、実は以前綱成様がこの紙をお渡しになった道之助という者が牢獄に囚われてしまいまして…。」


「ん、道之助…。それは一大事だ。すぐに出向こう。」



〜〜〜〜〜



 ついに裁判のようなものが始まってしまった。正確な時間はわからないが、正午を回ったぐらいで俺は牢獄から引きずり出され、数百メートル歩かされて役所のようなところへと着いた。

 そこの中は庭を囲むように建物の縁側が三方にあり、俺は庭にひざまずかされた。中央に知らない役人が座っており、右側には多目元忠や鳥居四郎左衛門が座っている。


「これより、その者の罪の是非、及び執行される刑の内容を定める。」


 しばらくすると、中央の人物が通る声で皆に伝えた。どうやら中央の人物が裁判官のようだ。で、右側が証人といったところだろうか。左側には本来俺の証人が座るのだろうが、生憎そんなものはいない。かなり一方的な裁判になりそうだ。

 まず、俺にかけられた罪の内容が読み上げられ、その後事の詳細を聞かれた四郎左衛門は有る事無い事をペラペラと喋っていた。


「以上のことより、私は自分で鍬を作りましたかが、この男はその手柄を我が物としようとしたのです。こんなこと許されるはずがありません。挙句の果てに我々に暴行を働こうとしました。これは実際に部下が目撃しています。」


 俺に暴行を働こうとした覚えはない。拘束された際に抵抗しただけだ。そんなことまででっち上げるなんて最低だ。

 そして、そういった台詞を聞いても何も言わずに座っている元忠も同罪だ。俺は牢獄で少し彼について考えていた。現世の知識では、彼は優秀な軍師で、北条の五色備えという最強部隊の一角を担った武将でもある。河越夜戦という戦いでは、氏康が行き過ぎた追撃をしていることを見抜き、独断で撤退を指示し、氏康から感謝状も得ている。

 間違いない良い武将なのに何故、こんな真似をしたのだろうか。それは恐らく、彼も手柄がほしいからだ。看守の権兵衛は、元忠がこの辺り一帯の奉行をしていると言っていた。つまり、四郎左衛門の上司に当たるわけだ。

 そうであるならば、単なる農民が出したアイディアとしてこの備中鍬が処理されるよりも、元忠の部下の四郎左衛門のアイディアであると処理された方がよほど都合が良い。

 良い武将だからといって人間性が良いとは限らない。狡猾に生き残ってきた名将も多くいるだろう。考えてみれば、松永久秀、三好長慶、斎藤道三、真田昌幸、北条早雲、陶晴賢…。いくらでも卑怯な手を使って名を挙げた武将の名前は挙がる。語り継がれていないだけでクズはたくさんいるだろう。

 ましてや、俺は人権すら守られていない一農民。あの場で切り捨てていたって彼らは罪に問われなかったかもしれない。


 とにかく、俺が今一番願っているのは、早く応援が到着してくれることだ。孫九郎が元忠を超える権限を持っているとは思えないが、一農民の俺が一人でいるよりはましだ。

 そんなことを考えていると、次は俺の弁明になる。なるべく多くのことを詳細に話して、俺が本当に鍬を作ったのだと証明すればいいのだ。時間稼ぎにもなるし、裁判官が腐っていなければ判断の根拠となるかもしれない。

 俺は息を吸い、話し始めようとした。しかし、その瞬間、


「おう農民、話すことはないのか。そうかそうか。では話を進めてくれ。」


 と、元忠が言う。


「ま、待ってください。話すことはあります!」


 俺が食らいついても元忠は裁判官を睨みつけて次に行くように無言の圧力をかけていた。仕方なく、裁判官は次へ進めようとする。そこで、


「ちょっと待った!」


 待望の声が聞こえた。

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