孫九郎との出会い
言い忘れていたが俺の名前は長谷川 巧徹(たくと)。今、道を進んで小田原に向かっている転生者だ。
もう転生者と言い切っているのは、水面に映った自分の姿を見て、やはり別人になっていると確認したからだ。身長は168cmぐらいからむしろ170cm以上に伸び (推定173cm)、筋肉は胸や腕を中心にかなり増えた。こちらの世界では力仕事をよくするから筋肉が増えたのか、あるいはこの体の主が武士だったからなのかはわからない。が、身体能力が上がったのは間違いない。
今日ももうすでにかなりの距離を歩いたのだが、未だにへばっていないのは恐らくこの体になったからだ。前の体ならとっくに酷い筋肉痛になっていた。
「なあ、弥次郎兵衛さん。もうどれぐらい歩いた?かなり遠くないかな。」
「まだあと1里近くあるべ。直線で行けば早いんだけども、この辺は少し迂回しなきゃだめなんだべ。すまんなあ。」
「迂回?なぜ迂回する必要が?」
「この辺は風魔党の領地だべ。」
「風魔党…。もしかして、風魔小太郎がしきってる忍者の部隊…?」
「おお、よく知っとるな。そうだべ。風魔小太郎様が仕切っておられる。優秀な部隊なんだが、少し凶暴だし氏康様は自治を認めておられる。だから、迂闊に領内に入ったら命の保障はないべ。」
風魔小太郎は現代においても人気の忍者の一人。北条家に仕えたとされている忍者で、その素性はわからないことだらけで存在するかも怪しいとされていたが、意外にすんなりと発見した。テンションが上がってしまう。
「会ってみてえな。」
ポツリとそう言うと、弥次郎兵衛は慌てて、
「やめといたほうがいいべ。小太郎様は噂によれば7尺もの身長があって、人を生きたまま食っちまうらしい。おっかねえだろ?」
1尺は約30cm。つまり、風魔小太郎は210cmもあるらしい。とても本当とは思えない話であるが、科学もSNSも未発達の時代には、こういった信憑性のない話も広まってしまうのだろう。
さて、1里、つまり4kmほど歩くと、大きな城下町が現れる。
(これが小田原城下か…。)
俺はかなり感動していた。城は遠くの小さな山の山頂に建っているのが見える。
この城はかなり攻めにくそうだ。城門と城壁が城下町をぐるっと一周しているのはもちろんのこと、ここから見る限り城下町と城まではかなりの距離があり、堀や天然の要害が城を守っている。敵が城下町に侵入したとしても、簡単に城までは辿り着けそうにない。
しかも、城下町はほかを知らないので比較できないが、かなり発展しており、人通りも多い。弥次郎兵衛は手形のような物を城門で門番に見せて中に入り、鍛冶屋に向かう。着いた鍛冶屋は大規模な店で、農具などを製作したり修理する業務を行っているらしい。
「こういう物を作りたいんですが。」
俺が職人に考えを伝えると、職人はなるほどと言いながら腕を組んで何かを考え始めた。そして、
「お前さんの考えはわかるんだが、ただの鍬は鉄をそのまま板みたいにして鍬の柄につければいいんだが、いかんせんお前さんの言う鍬はその鉄をさらに加工せにゃならん。そうなれば時間も金も余計にかかる。」
と、ごもっともなことを言う。俺は弥次郎兵衛に諦めようかと提案しようとしたが、むしろ弥次郎兵衛が職人に喰らいついた。
「大丈夫だ。金は出すし、時間がかかるなら待つ。おらは知ってるんだ、この男がえらく賢いことを。この鍬はそんな男が推してるぐらいなんだから確実に効果があるべ。村の発展のためにも、何とかして作ってけろ!」
店先で彼が興奮して叫ぶので、職人も引くに引けず、
「じゃあ、お前さんの熱意に免じて引き受けてやる。よかったな、お前さんがたまたま話しかけた俺は小田原一の鋳物師 (いもじ)、橋本惣次郎だ。難しかろうと完璧に作ってやるぜ。」
彼が小田原一の鋳物師、つまり鍛冶屋かどうかはわからないが、自信はありそうだ。
「2日もあれば作れるから、明後日の昼頃に来てくれや。」
さらに惣次郎は時間まで指定してくれた。俺にとって小田原に滞在できるというのはむしろ好都合だ。
その後惣次郎の店から離れて宿を取り、宿に弥次郎兵衛を置いて、俺は小田原を探索していた。そして、人が良さそうで腰に刀を持った武士がいたので、勇気を出して北条家に仕える方法を聞いてみると、
「基本的に、武士になりたいなら足軽から出世するべきだろうな。だが、足軽の募集は年に2回しか行われていなくてな。次の募集は春先になる。まだ三月ほどあるってわけだ。
他にも…、稀に小姓などになって出世するやつもいるが、小姓は結局は武士の子息が召し抱えられる。お前は農民の子のようだし、厳しいだろうな。」
と親切に教えてくれた。その後もしばらく彼に武士の心得やどのように鍛錬すれば良いかを尋ねていると、何人かの武士が彼に近づいてくる。
「殿、我々を置いて一人でお出掛けになるのはお控え下さい。こんな汚らしい者と何を話していらしたのですか?」
「いやいや、こやつは見込みのあるやつじゃ。聡明だしな。おいお主、名は何と申すのじゃ。」
殿と呼ばれているようだし、この人はもしや偉い人なのかもしれない。ちなみに俺は弥次郎兵衛から道で迷っていたから道之助と改名させられた。
「道之助と申します。失礼ながら、私もお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「おう、俺は孫九郎と言う。よろしくな。」
そして、がっちりと握手を交わす。彼との出会いが一気に俺を氏康に近づけるのであった。
〜〜〜〜〜
「孫九郎と仲良くなった…?孫九郎ってまさか…。」
弥次郎兵衛は孫九郎という単語に反応して顔をしかめる。彼とはまた明日、訓練をつけてもらう約束を取り付けた。家臣の人たちには内緒らしいが。
「すごく感じの良い人で、身長は俺より少し大きくてかなり体は大きい人だ。」
それを聞いてさらに弥次郎兵衛は顔をしかめる。しかし、
「おらの思い過ごしだよな…。」
とか言って首を横に振っている。奇妙ではあったが、俺は長旅のせいで疲れていたのもあって詳しくは聞かずに寝てしまった。あとから思い返せば彼がまさかそんなはずはないと思うのもわかる気がする。
さて、この時代の人々の朝は早い。弥次郎兵衛は朝焼けが出る前から目を覚まして、日雇いの仕事に行ってしまった。彼は本当に勤勉で誠実な青年である。俺はと言うと、少ない小遣いで朝飯を食べ、孫九郎の迎えを待っていた。孫九郎は少しすると現れ、俺の名を大声を叫んで俺を呼び出し、城下町の奥の方へと案内した。
「ここだ!」
もう三十ぐらいだろうに、年甲斐もなく彼は嬉しそうに叫ぶ。着いたのは道場のような建物であった。中に入ると、数人の子供と孫九郎と同年代ぐらいの覇気だけはある男がいて、男は子供たちの鍛錬を見ていた。
「おう殿、ここに殿もいらしたのですな。」
孫九郎がその男に話しかけると、彼は酒瓶を持って振り返り、傷だらけの顔の表情を緩め、
「俺はここで酒を飲むのが好きだからな。そっちは誰だ?」
と、尋ねた。孫九郎は俺の紹介をし、和気あいあいと二人は話し始める。その様子を俺はじっと観察していた。
朝から酒。こんなに怠惰なことはあるだろうかと俺は思った。ただ、新九郎と名乗った、孫九郎が殿と呼んだ人物は大物の可能性がある。
というのも、孫九郎は昨日、数人の部下を引き連れていた。常時あれだけの部下を引き連れているということは、戦場では50人規模の部隊を率いる部隊長であってもおかしくはない。
そして、そんな人が殿と呼ぶのだから、彼は北条家の家臣でも重臣と呼べるような地位にあるのではないだろうか。ならば、何とかして取り入ってコネとして利用するのはありだ。
俺は孫九郎に刀の扱いや戦いの基礎を教わった。彼は歴戦の猛者であるようで、
「戦場では容赦なく相手を斬れ。いいか、勝負は体格や武器や技術も重要だが、普通の農民兵を相手にするなら、勇気が重要だ。殺す勇気があって初めて勝負が成立するからな。そして、彼らを無慈悲に殺しに行く勇気があれば首は容易く獲れる。
技術は勇気があってはじめて向上していくからな。まずは勇気だ。」
と勇ましく語っている。ただ、酒の席で親戚のおじさんが武勇伝を語るのとは違って、多大な説得力がある。彼の腕に刻まれた刀傷や、この話を聞いて頷いている新九郎なる人物の顔に刀傷があるからだろう。リアリティが半端ない。
孫九郎に指南を受けて2時間ほど経った。新九郎はその途中で帰ってしまったので、結局仲良くはなれなかったが、戦国時代の戦における立ち回りは一通り理解できた。
「うっし!お前、初めてにしては筋があるな。言ってることも賢そうで気に入ったし、また話そうではないか。」
昼飯をご馳走になって彼と小田原城下を回っていたら夕暮れ時になり、俺たちは別れることになった。
「最後にこれ、持っとけ。」
と、彼は俺に手紙のような物を渡してきた。
「いいか、もし次に城下町に入ることがあれば、これを渡せば中に入れるし、あの道場に行ってこれを渡せばまた俺に会える。お前、面白い鍬を作ってるんだろ?その話をまた聞かせてくれや。あるいは、揉め事になったりしてもこれを見せれば解決するかもしれん。大事にしろよ。」
まだこの時代の文字を読む練習をしている段階のため文章は読めないが、???の名に於いてこの者の地位を保証すると書かれているのは読める。何だか効力はありそうだ。
「何から何までありがとうございます、孫九郎様。またお会いすることを楽しみにしています。」
俺はそう言って彼と別れた。
さて、翌日、弥次郎兵衛とともに鍬を取りに行った。鍬は見事な仕上がり具合で、俺も大満足だった。
「成功したら、お役所にも報告しろよ。そんでもって俺の名前も伝えておいてくれよ!」
鋳物師の惣次郎はそう言って鍬を合計4本渡してきた。多くはないが、とりあえずの試作品としては十分な数だ。これでこの備中鍬の効果はわかるだろう。
重いが荷車を買うお金もなく、帰りは二人で鍬を二本ずつ持って帰る。重いが、こういうことの積み重ねが自分の体を鍛えるのだと思うと、悪くないなとも思えた。現代では筋肉をつけようとしたこともなかった俺が少し目覚めた瞬間であった。
〜〜〜〜〜
同じ頃の小田原城内の天守閣にてー。
「お屋形様、綱成殿がお越しでございます。」
「あぁ、わかった。通せ。」
やはり彼は朝から酒を飲んでおり、綱成が来てもそれをやめない。
「殿はいくらお止めしても朝酒をお止めになりませぬな。」
「孫九郎、お前だってわかってるだろう。夜に飲む酒よりも朝酒の方が良いんだよ。お祖父様だってそう言われてたんだ。」
「されど…、それは朝に飲めば多くは飲まないだろうと見越したものであって…、殿ほど酔われていては早雲様の思惑には反するのでは?」
「ぐ…、痛いところを…。」
顔に傷が大量についている彼の名前は北条氏康。伊豆、相模、武蔵、下総の計96万石を支配する大大名であり、北条早雲の孫に当たる。そして、北条綱成はその筆頭家老であり、軍事においては関東で並ぶものがないほど優秀な指揮官だ。
「それで、例の…、道場で会った奴はどうなった?」
「無事に帰ったようですぜ。俺の書も渡しておいたので面倒事にも対処できるでしょう。なぜ奴をあの場で雇わなかったので?」
「うむ…、特に理由はないかもしれない。あの時酷く酔っていたしな。だが、その鍬の話は興味深い。今俺が介入するよりも、見届けた方がその者の助けになるだろう。」
「なるほど。殿は種をまいたわけですな。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます