相模の獅子、龍虎を喰らい天下を目論む

龍撃槍

つまらない日々の終わり

 勉強を1日12時間、睡眠食事や生活に欠かせない雑事で9時間、通学で2時間。これが俺のここ何年間かの生活だ。全ては大学進学のため。仕方のないことだ。

 しかしながら、毎日1時間だけ自由な時間がある。疲れて寝てしまうことも多いが、俺はだいたい、この時間に本を読んでいる。俺が特に好きなのは戦国時代の本や資料を読むことだ。これを読んで、寝る前なんかに戦国時代のことに思いを馳せるのは本当にワクワクする。

 そして、いつも決まって、


(俺がいくら勉強したって、どうせ現代においては会社員になってそこそこの人生歩むか、医者や官僚になって上級国民の人生歩むのが関の山だ。

かと言って政治家になるといっても、彼らは頭ペコペコさせて権力にぎって、やっと権力をにぎってもまたしがらみのせいで自由に政治をできるわけでもない。別にそういう人生も素晴らしい人生なんだろうけど、どうせだったら、自由な戦国時代で天下獲りしてみてえなぁ。)


 という思考に行き着く。もちろん、実現するはずもないのだが、こうやって夢想することで俺は俺自身の勉強ばかりで壊れそうな心を支えていた。




 そして受験が迫ったある日のこと。


「交通事故に気をつけなさいよ。」


 と過保護でうざい母に言われた日のことだ。スマホにイヤホンを挿し、音楽をかけて歩いていたところ住宅街の交差点でトラックにはねられた。

 覚えているのは、気がついたら目の前にトラックが現れてこちらへと向かってきていたことぐらいで、次の瞬間、トラックと衝突した体の部分は焼けるように痛んでおり、そこで意識もなくなった。



〜〜〜〜〜



 そのとき、きっと俺は死んだのだろう。死んでいなくとも意識不明の重体は負っていたはずである。だが、次に意識がはっきりとしたときには体には衝突した時の怪我もなく、むしろ体には今までにないほど力に満ち溢れていた。


「あんた、大丈夫か?さっきから道端で寝てたみたいだけど…。」


 後方からそんな声がするので振り返ってみると、そこには日本の中世風の格好をした男が心配そうにこちらを見ている。


(コスプレか…?)


 俺はそう思って詳しく彼の格好を見ていく。身長は160cmほどと小柄で藁製の笠をかぶり、服は小汚いいわゆる小袖のような格好だ。おまけに靴は草履と来ている。


「そっちこそ何コスプレしてるんだよ。頭大丈夫か?」


 と、危うくいいそうになったが喉元でその言葉を止め、


「あの、ここがどこかわかりますか?」


 と尋ねる。ここからは見渡せば遠くに古民家は見えるが、それ以外は何もなく、ただ舗装もされていない一本道にこの男がいるだけ。こいつを頼るしかないのだ。すると、彼は、


「あんたは旅の者がなにかかね?ここは北条の領主様が治める、相模の小田原っちゅう城下町のはずれだべ。」


 と、へんてこなことを言う。確かに俺は小田原に住んでいたので地理的には変ではないが、北条が治める相模というのはよくわからない。

 北条といえば、戦国時代に関東の大半を治めていた戦国大名で、その3代目である北条氏康は俺の最も好きな戦国武将だ。彼は武田信玄や上杉謙信と互角にやり合った大名にも関わらず、世間からの知名度は低い。

 一説によれば、あまりにも上手く北条家が治世をしたものだから、後に関東を治めた家康が自身の治世と比べられて不満を持たれるのを防ぐために、北条のことを語り継ぐのを禁止にしたので、今日の知名度の低さがあるとすら言われている。それほど有力な大名であったのだ。



「その北条ってのはどなたですかね?」


 からかわれてると思ったので、俺は北条とやらについて詳しく聞いてみた。すると、


「そんな、北条の領主様のことを失礼に呼ぶんじゃないべ。今の領主様の名前は氏康様って言ってな。まあ若くて少し頼りないんだが、きっといつか良いお殿様になってくれるべ。」


 との回答を得た。彼が少しもにやけたりせず、本気でこのようなことを言っているので、流石に俺も言っていることが事実なのでは?と思うようになってきた。しかし、これが本当であろうとなかろうと、ここがどこなのかわからないので行く宛はない。


「すいません、行く宛がないので、近くの警察へと連れて行ってもらえますか?」


 と言っても残念ながら警察ってなんだべと言うばかりで進展はない。その後、彼が親切に今夜泊めてやると言うので、とりあえずついていくことにした。

 移動の途中、本当に北条家が治めていた武蔵の小田原に来てしまったのかと考える。大規模なドッキリの可能性もある。というか、最初はそうだと思っていた。

 しかし、俺が事故に遭ったというのはおそらく事実で、もし怪我がなかったとしても事故明けの人間にわざわざ大規模なドッキリをかけるだろうか。


(やはりこれは現実で、何らかの原因でタイムスリップみたいなことをしてしまったのか…。)


 よく考えれば考えるほど、タイムスリップした説が有力になっている。ただ、一つ気になることがあるとすれば、俺が俺のままタイムスリップしたとは思えないことである。

 つまり、鏡は見ていないがおそらく今の俺は前の俺とは別人なのだ。身長も少し伸びた気がするし、筋肉量が明らかに増えている。真っ白だった肌は浅黒く焼けており、それだけでも自分が自分でないと思うには十分だった。


 夕暮れの中、弥次郎兵衛と名乗る彼についていくと、集落が暗がりの中から現れた。やはり家は古民家のような風貌をしていて、ドッキリだとしたら凝りすぎている。

 集落は50軒ほどの家から構成されており、人はもう外に出ていない。弥次郎兵衛はその集落の端の小さめの家に俺を通した。


「この家にはおらしか住んでねえ。気兼ねなく使ってくれ。」


 家に入ってすぐにそう言われた。中は囲炉裏(いろり)と藁と布で作られた布団のようなものが置いてあるだけの簡素な造りで、広さは12畳ほどであった。中世の世界では、基本的に家族はともに暮らしている。もしここが中世の世界であるならば、彼が一人で住んでいるのにはきっと理由があるに違いない。それをわざわざ聞くほど俺は野暮ではないが…。



 その後、彼はテキパキと食事の準備をし、俺にも食事を提供してくれた。食事は食べたことのない葉が入った汁と、雑穀を炊いたものだった。

 疲れていた俺はその後床に雑魚寝をし、寝心地が悪いにもかかわらずぐっすりと寝てしまった。



 翌朝、改めて起きてみてここが戦国時代であることを認識した。寝れば夢なら醒めるだろうと思ったが一向に醒めず、起きて飛び込んできたのは現代では考えられないような藁葺の天井と弥次郎兵衛の顔であった。

 朝ごはんを食べて外に出て、俺は少しこの状況について考え始めた。

 俺は元々戦国時代に行きたいと思うほどに現代に飽き飽きしていた。特に将来の目標もなく、親の意向に従って勉強してきた。親のことも嫌いだし大した友達もいないし、やはり何度考えても未練はない。で、あるならばこの世界で生きることを謳歌しても良いのではないだろうか。

 ここは幸い北条家の領地というではないか。さらに治めているのは北条氏康。知名度はないが、武田信玄、上杉謙信、毛利元就などと並ぶような名将だ。彼にこの現代の知識を持って仕えれば面白い人生が歩めるのではないだろうか。以前から夢想していた天下獲りの野望を叶えられるのではないだろうか。


(まずは北条氏康に仕える。これを目標にしていこう。)


 俺はしばらくの方針を固めた。



〜〜〜〜〜



 弥次郎兵衛の畑の手伝いをしながら、俺は情報を集めることにした。彼の住む小山村の村人たちは余所者である俺を最初は好奇の目で見ることもあったが、北条に仕えるための伝(つて)探しに協力的であった。

 そんな日々の中で、俺が気になったのは彼らの農具である。使っているのは鉄製や木製の平たい鍬(くわ)や日本史を勉強していても名前のわからないような脱穀機である。

 俺の知る限り、農具は江戸時代に急速に進化を遂げた。そして、俺はその歴史やどのような農具が誕生したかを知っている。それを作って彼らに使わせ、効率の良いものであると知らしめれば、俺は北条からスカウトも来るのではないか。そう考えた。

 そこで、ここで生活し始めて2週間ほど経ち、慣れてきたところで村長の小山重郎に農具の改良を提案した。彼は165cmほどのこの時代にしてはガタイの良いおじさんで、白髪が似合うナイスガイである。


「農具の改良だと?」


 しわがれた声で彼は俺へ応答した。


「はい。現在、この村には耕作するのが難しい土地が多くあります。理由は村長殿の知るとおり、土地が粘土質で耕せないからです。

私としても、この村に住み着いてただ穀潰しをするのも心苦しく、そのような地をぜひ開墾させていただきたいのです。」


「お前の事情はわかったが、実際どのようにするんだ?お前はちゃんと働いてくれているから村としても助かってる。難しいことをしようとしなくても、このまま住み着いてくれていいんだぞ?」


 この村の人達は非常に優しい。もし、この村が困窮していたら俺を住まわせるような心の余裕もなかったかもしれないが、幸いこの地域を治めているのは、善政を敷いたことで有名な北条家。税率も比較的低く、村から搾取するようなことはしていない。

 で、本題となる方法論であるが、これに関しては備中鍬を駆使するつもりだ。


「ありがたいお言葉ですが、せっかくなので私の意見を聞いていただければと思います。

現在、粘土質の地面が耕せないのは鍬が平たく、深く掘り起こせないし、大きな力が必要だからだと思います。そこで、金属製の4股に分かれた鍬を作ることを提言します。」


「なるほど、木製だと折れてしまうから鉄製ということか。本当に上手くいくか?」


「きっと上手くいきます。されど、私一人ではこの企ては成し遂げられません。お力添えをしていただきたく存じます。」


 その後もどうして4股に分かれた鍬が良いのかについて語ると、村長もそれに感化されたようで、前向きに検討し始めた。


「確かに俺たちの村は耕地の質が良いから収穫量には困ってないんだが、耕地が少なくて人手に余裕があるぐらいだからやってみる価値は十分にあるな。早速明日、城下町に人を遣ってみよう。

いや、ここはお前と弥次郎兵衛に行ってもらうか。」


 そんなわけで俺はこの戦国時代に転生(?)して初の城下町へと行くことになった。村人も皆口を揃えて北条に仕えたいならまずは城下町へ行けと言っていたので、ちょうど良い機会だ。俺は期待に胸を膨らませて支度を始めた。

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