第1話 ①

「はじめは不安ばかりだったけど、なんだかんだであれから一年の時が過ぎ、無事2年生になれたからよかった。この一年色々あったけど、それはまた別の機会にしよう」

 今日は高校生活二回目の一学期始業式。

 桜はまだかろうじて咲き残っている。

「……一人で何を喋っているんだ?」

 凍てつく瞳で俺を見る男の名は佐藤さとう太一たいち。俺の親友で中学時代からの仲だ。

 俺に二次元の素晴らしさを伝授したその人で、その道のプロだ。

 痩せ型で単に日光をあまり浴びないだけかは分からないけど、女性顔負けの美肌だ。青春の象徴とも呼べるニキビが一つもないのは羨ましい。アイドルみたいだ。肌だけな。

「君は素晴らしい親友だと改めて実感してたんだよ。君最高」

「君、昨日は『貴様は最低の人間だ!』って俺を怒鳴りつけてなかったっけ?」

「昨晩はそんな夢を見たの? そんなこと言うはずないじゃないか」

「そういうことにしておくか。で、今日部活はどうする?」

 貴津学園は社会性を育むことを目的に、必ずどこかの部に在籍しなければならないという厄介な校則があるために、『部活に入らずに放課後を優雅にエンジョイするぜ!』とはいかないのだ。

「もちコース行くよ」

 俺はパソコン部に在籍している。

 中学時代にやっていたバドミントン部も考えたけど、オリエンテーションで荒々しいスパルタぶりを披露して倒れてしまった部員がいたので敬遠した。人間、身体が資本だからね。

 パソコン部を選択したのは、ここでなら堂々とネットサーフィンやゲームができる。自宅からノートパソコンを持参しての作業もできる。と太一に甘い言葉をかけられたからだ。

 先輩も良い人ばかりで、何よりも部全体が2科生徒のみで構成されている点が最大の魅力だ。

 基本的に運動部は1科、文化部は2科の生徒が多いが、それでも2科で運動部、1科でも文化部の生徒がちらほら存在する中、2科生徒のみでのびのびと活動している部は珍しい。

 それに、2科の教室やパソコン部の活動中なら嫌な人たちに会わずに済むしね……。

 余談だけど、パソコン部の顧問は職務多忙を理由に部を空けていることが多い。

「ぶ、部活に行くなら、い、一緒に、行くよ」

「豊原」

 相変わらずどもるなぁ。この人は豊原とよはらたかし

 1年の時はクラスこそ違えど、パソコン部で同じ釜の飯を食ってきた友達だ。

 若干人格に難があるけど、心根は悪い奴ではない。

 寝癖のままとも思える乱れた髪はミディアム気味に伸びており、ふちの青い眼鏡はいっそう彼の――言いにくいけれど、不気味な雰囲気をより強化している。

 顔色は青白く、たくさんのニキビが所狭しと生産されている。偏食らしく、体型はガリガリだ。

 こんな彼だけど、3年生にスタイルも良くてものすごく綺麗なお姉さんがいる。正直、弟とは完全に対をなした存在だと思っている。

「そうだ豊原。5組の女子から君に言伝を預かってたんだ」

「さ、三次元のメスがな、何の用だよ?」

 女子生徒から太一へ、豊原宛ての苦情が間接的に伝えられたようだ。

「すれ違うだけで異臭を放つからマジで風呂に入ってくれ、だそうだよ」

「よ、よよよ余計な世話だね。じ、自分が不快だからって、た、他人に風呂を、きょ、強要するなんて、ど、道徳ある人間の、すす、することじゃないね」

「それはさすがに同意しかねるんだけど」

 太一が豊原の主張を否定する。

「うーん、言われてみれば確かに臭うなぁ。気がつかなかった」

「最後に風呂入ったのはいつなの?」

「しゅ、終了式の日だね」

 太一の問いに対する豊原の回答は想像の遥か上を行っていた。

「すごいな。春休み以降一度も入ってなかったんだ」

「女子からの伝言を聞くまで臭いに気がつかない宏彰も大概だと思うけど」

 それを言われると何も言い返せないので無視の意味も込めて俺からも豊原に苦言を呈そう。

「臭いがきつくなると先生からも注意されるだろうから、今日帰ったら入ってくれよ」

「き、君が言うなら仕方ない。は、入るよ」

 了承してもらえて安堵する。正直この臭いは地味にきつい。

「っと、そうだった。もう一つ伝言が」

「まだあるの?」

「い、いちいちクレームの多いメスだ! 死ね!!」

 そう。女子から豊原への伝言、もとい苦情が来るのは珍しくはない。

 豊原の名前が書かれた同人誌が廊下に落ちていた、情報の授業で使うパソコンのデスクトップ背景を勝手に二次元モノに変えるな、などなど。

 1年の頃からそれはそれは相当な数の苦情が女子たちから来ている。

 内容的に九割は豊原が悪いんだけど、たまに同情する内容もある。

 下駄箱で目が合ってから蕁麻疹になったクレームを聞いた時はさすがに惨いと思ったよ。

「太一、今回はどんな苦情なの?」

「昨日こんなことがあったらしい」


    ☆ ☆ ☆


「今年もケンと同じクラスで嬉しいなぁ♪」

「俺も嬉しいよ。また楽しい一年にしようね、ミキ」

「だ、だだ黙れ、ク、クソバカップルが……い、今すぐ、別れろ!」

「そういえば、6月に修学旅行があるよね。どこ行くんだろうね~?」

「ミキと旅行ができるなら、どこだって構わないよ」

「き、貴様等が、りょ、旅行中に、通り魔に刺されることを、せ、切実に願って、やるからな」

「……ね、ねぇ。教室に戻らない?」

「あ、あぁ。チャイムも鳴りそうだしね」

 

「さ、ささ、殺人鬼になぶり殺されろ……た、頼む、か、かかか神様あぁァァ!!」


    ☆ ☆ ☆


「――――という出来事があったそうだけど」

「カップルに直接暴言を吐くのはダメだけど、わざわざ太一を介して苦情を言うほどのことかなぁ?」

「その後、件のカップルのラブラブっぷりが録画された動画ファイルを、学園内の共有サーバに無断でアップロードしたらしい」

 ってそれ盗撮じゃん! 嫉妬による晒し上げですか豊原君。

「そ、速攻で、ほ、本人たちにバレたのは、ざ、ざざ残念だなぁ」

「君さぁ、少しは反省した方が身のためじゃないの?」

 太一の指摘はもっともだ。また同じことをすれば、苦情どころでは済まされない。

「な、仲睦まじいカップルの、あ、甘い会話を、サ、サーバに上げて、な、なな何が悪いんだよ……チ、チクショーめ! し、幸せの、お裾分けなのに」

「ひとまず豊原も頭を冷やしたようだからよかったんじゃない?」

「え? 今の台詞からどう考えたらその結論に至るの?」

 憎悪がいっそう深まったとしか思えないのは気のせい?

 しかしなんで豊原はカップルと遭遇したんだろう。

 この学園の校舎はロの字になっており、1科と2科の各教室は対角線上にある。そのため、お互いに学内での接触はあまりないんだけれど。

 すると太一が俺の疑問を見透かしたのか、こちらを見た。

「その出来事は、漫画研究部所属の1科男子のノートパソコンに不具合があって、それを直しに行った帰りの廊下でのことだったそうだよ」

 なるほど。豊原はパソコンに関してハード、ソフト両面で詳しい。まさに理科系の男と言った感じ。

 だからか1科の地味グループに属している男子生徒たちからは重宝されており、1科の教室まで足を運ぶこともある。

 まぁ大体の生徒は6組の教室まで来てくれるから、1科の聖域に足を踏み入れるのは稀だそうだけど。

「い、いいことをして気分がよかったのに、ぶ、ぶち壊しにされたんだ……! が、学生交際とか、げ、げげ、幻覚じゃなかったのかよチクショーッ!」

 気持ちは結構分かってしまうのが自分でも情けないと思う。俺も中学生の頃は男女交際なんてものはネッシーやツチノコと同レベルの夢物語だと思っていた。

 それが高校に入学したらどうだ。1科限定で周りはすっかり色気づき、1科限定で1年生の一学期の時点でカップル続々誕生とかどこの恋愛漫画?

「まぁまぁ。カップルとご対面しちゃったのは不運だけど、だからってサーバを介して学園に晒すのは道徳的にダメでしょう」

「宏彰の言う通りだね。今後はそういうことはしない方がいいと思うけど。2科の評判がまた悪くなってしまうんじゃないかな」

「す、既に、2、2科の評判は、ゼ、ゼ、ゼロだろうよ!」

 なんだろう。再犯率が百%な気がしてならないんだけど、単なる思い込みだろうか。

 なんてことを考えていると、太一が楽しそうに笑った。

「ははは、そうだね。今更2科に評判もなにもあったものじゃないか」

 現在、2科の評判は地どころか、地球の中心部にあるコア付近まで落ちているのは紛れもない事実だけどさ。それで笑えるほど俺の器は大きくない。

「笑いごとじゃないでしょ。1科の人たちから悪評を買うのは普通に気分が悪いよ」

「ど、どうせ僕らが何もしなくても、ば、罵倒されるのは、め、目に見えてるよ」

「豊原の場合は何かしてるから罵倒されてるのでは?」

 豊原の悪行はともかく。それが問題だ。俺たちが何もしてなくても、毎日を生きている、ただそれだけですら、『2科』というたった二文字の呪いの装備によって、心ない生徒からは負のレッテルを貼られるのが日常となっている。

 何かあれば『2科なら納得』『また2科か』と言われる。そして何より、みんながその日常に同化してしまっている。俺も例外ではないけれど、迫害されて余裕でいられるほどマゾヒストではない。

 っと、色々話しているうちにパソコン室に到着した。


 うん、やっぱりここは落ち着くな。先ほど生まれた暗い気分をリセットしてくれる。やりたいと思える部活が学園にあるのは素晴らしいことだ。

「おお、お疲れ~」

「あっ、三浦さん。早いですね」

 この人はパソコン部の部長を務めている三浦みうら真澄ますみさんだ。3年生の男子である。

 後輩からは年中イジられており、コンビニなどに行った際には大抵後輩にたかられては奢ってしまっている。人がよすぎるんだよなぁ。

 そのため後輩一同からは慕われており人望もある一方で舐められている節もある。最上級生かつ部長である威厳は一切感じられないのがまた残念なところだ。

「6時間目はここで実習だったんだよ。だから移動せずに済んで得したなあ」

「ま、そうでもないのにノロマで天然ボケな三浦さんがこんなに早く来れるわけないですしね」

「え~っと、佐藤君。それは一体どういう意味かな?」

「よし、宏彰、豊原。さっそくパソコンを起動しようか」

「う、うん、そうだね」

 三浦さんには悪いがやっておきたい作業がある。太一とともに三浦さんの質問を無視してデスクトップパソコンの電源を入れた。

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