第1話 ②

    ☆


「さてと。僕はそろそろ帰るとしますかね」

「も、もう五時か。と、時が経つのは、は、早いなぁ」

「宏彰、君はどうする?」

 太一が声をかけてきた。

 もうそんな時間か。作業に夢中になりすぎていたみたいだ。

「もう少しだけ粘るよ。いいところだしね」

 中途半端な状態で帰宅はしたくない。

「そっか。んじゃあ、パソコン室の戸締りよろしくね。また明日」

「また明日です、三浦さん」

「三浦さん、コンビニに寄りませんか? 新作のから揚げが出てるんですよ」

「な、なな何を言ってるんだい佐藤君。寄り道はよくな――」

「いいねぇ! 三浦さん、僕はサイダーでお願いします」

「いや、なんで僕が君にサイダーを奢らないといけないのさ」

「三浦さん、僕はスナック菓子がいいです! ご馳走様です!」

「だ、だから君たち……!」

 三浦さんも大変だなぁ。今日も可愛くない後輩どもに奢らされるコースか。はっきりと拒否すれば済むものを、結局奢ってしまうのが人柄というかなんというか、悲しい性だ。

 もし俺が後輩に催促されたらキレているかもしれない。そう考えると三浦さんってかなり器がでかい大物だと思う。

 あと、そんなに奢って財布の中身は大丈夫なのか?

 とりあえず俺にできることは、三浦さんの懐がギンギンに冷えないことを祈るだけだ。

 中途半端な状態で作業を切り上げたくはなかったので、一人ギリギリまで残ることにした。


 分針が十一を指している。

 部活動時間は季節によって変動し、三月から九月末までの期間は夜六時までと決まっている。

 そのため六時までに部室を片付けて、職員室にて部名が書かれたプレートを先生にホワイトボードから外してもらわなければならない。いわば部活動終了の証明だ。

 時間をオーバーする場合は事前許可が必要だが、あいにくそんなものはもらってない。そもそも、自分が作業をしたいからという個人的な理由で許可が下りるはずもないけどね。

 許可なしに時間を超過した部は一週間の活動停止処分を受けてしまう。

 ――ん? パソコンの電源が落ちてないじゃないか。獣医を目指す人を応援するサイト?

 ずいぶんといい加減だなぁ。アプリを全部落としてシャットダウンして、っと。

 よし、戸締り完了。あとは鍵を職員室に返さなきゃ。

 それにしても、電源がつけっぱなしだったパソコンは誰が使ってたんだっけな? 明日三浦さんか太一にでも聞いてみるか。


「パソコン部は延長申請が受理されてるから七時半までのはずだが?」

「部員から延長申請をしたとは聞いてませんけど……」

 誰かがひっそりと延長申請書を出したのか? 残っていたのは俺だけのはずだけど。

「延長申請書は誰が提出したんですか?」

「俺が手続きしたわけじゃないからな――っと。申請書には星川ほしかわ真夏まなつと書いてあるぞ」

「星川さんだったんですか」

 なぜ。星川さんはパソコン部じゃない。何か作業でもするつもりなのだろうか。

 星川さんは2年生で1科の女子生徒だ。テニス部に所属していて、その腕前も確かだそうだ。

 残念ながら直接プレー中の勇姿を見たことはないけど、去年は1年生でありながら関東大会に出場した話は風の噂で耳に入ってきている。

 学業成績も非常に優秀で品行方正。そして何よりも、可憐な容姿により学園ではちょっとしたマドンナ的存在になっている。

 俺は2科だから間近で拝んだことすらないけど、目の保養として最高だと前にテニス部男子が豪語していた。

 とにかく、だ。延長申請書が提出されている以上、勝手に今日の活動は終わらせられない。

 職員室を後にしてパソコン室へと向かう。


「ねぇあなた、パソコン部の人でしょ?」


 その矢先で女子生徒に声をかけられた。

「は、はい。そう、ですが」

「よかったぁ。私は2年2組の星川真夏。今日は七時半までパソコン室を借りてるの」

 こ、この人が星川さん!? 初めて近くで見たけど本当に綺麗な人だ。女優さんがテレビの中から飛び出してきたと錯覚するほどの美貌と雰囲気を醸し出している。

 しなやかでウェーブがかかった髪は肩の先まであり、瞳は宝石のように輝いていて全体的な透明感がすさまじい。

 あぁ、こんなにも綺麗な人が現実にいたんだなぁ。

「お、俺は2年6組の高坂宏彰と言います。すみません、パソコン室は俺が間違えて閉めてしまいました」

「だよね~。私がパソコン室にいた時、他に室内にいたのは高坂君だけだったもん」

「そうだったんですか――って、え? 全く気がつきませんでした」

「ふふ。高坂君、一生懸命頑張ってたもんね」

 星川さんのような有名人がパソコン室にいたことに気がつかないほど、夢中になって作業していたのか。かなり恥ずかしいぞ。

 てか、星川さんの笑顔が眩しすぎて失神しかけたよ。今、俺の顔は絶対に赤い。女性に対して免疫がないのは生きてゆく上で本当に不便だ。


 よし。鍵も開けたし、さっさと下校するか――

「あれれ、パソコンの電源が落ちちゃってる」

 おやおや? 数分前に俺がシャットダウンしたパソコンもあの位置にあったような――いや、まさかな。

「獣医のサイトを見てたんだけどなぁ」

 はい。俺が犯人でした。

「すみません! 電源を消し忘れて帰ったと思って勝手に消しちゃいました!」

 なんてことだ。時間ギリギリで焦っていたせいで、こんな過ちを犯してしまうとは。よくよく見れば、椅子の横に鞄が分かりやすいように置かれているじゃないか。

「席を外してた私が悪いんだから気にしないで。あと同じ学年なんだし、タメ口で話してよ。丁寧語だと壁を感じちゃう」

「はい――いや、う、うん、分かった。でも本当にごめん。書類か何かの作成途中だったかもしれないよね」

「ファイルを開いたまま今日はまだ作業してなかったから大丈夫」

「あぁ、よかった……」

 学園の人気者の星川さんに不愉快な思いをさせたことが1科の連中にバレたらどうなることか。

「私の方こそごめんなさい。テニス部の勧誘資料を作るために延長申請をしたのにネットを閲覧しちゃって」

「いやいや全然。普通のサイトを見る分には問題ないし、星川さんが誰かに迷惑をかける人じゃないのはなんとなく分かるから」

「そんなことないけどなぁ」

 星川さんの機嫌を損ねないように発言には細心の注意を払う。嘘は言ってないんだけどね。

「星川さんは獣医を目指してるの?」

「うん。お母さんが獣医なんだ。小さい頃から仕事をしてるところを見てきて、私もお母さんのようにたくさんの動物を救いたいって思ったの」

 立派だなぁ。現代の高2では、将来のことなどまだまだ見据えていない人が大多数だろうに。かくいう俺もその中の一人だ。

 そんな中、既に自分の夢を見つけて実際に情報収集している星川さんは頑張っている。自分も見習えれば、と少しだけ思う。

「獣医になれるように頑張ってね。応援するよ」

「ありがとう~」

 そんなわけで俺はそろそろ帰宅させていただきます。観たい動画もあるしね。

 俺みたいな奴が星川さんと一緒にいたことが噂にでもなったら、もう普通の学園生活は送れなくなってしまう。そうなる前にさっさとこの場から撤退しなければ。

 そんな俺の思惑も虚しく、

「高坂君は今日何をしていたの? だいぶ集中していたけれど」

 星川さんが話題を振ってくれるものだから、返答しないわけにはいかなくなった。

 果たしてこんな話、普通の人、いや星川さんは特別かもしれないけどそれはいいとして。門外の人に通じるだろうか。否、通じないよね。

「プログラミングってやつだよ。それでしょぼいチャットツールを作ってた」

「へぇ。言語はC? VB? それ以外?」

「C言語だよ――――えっ?」

 通じました。かなり面食らったぞ!

「兄さんが趣味でいじってるから、私もプログラミングは少しだけ分かるよ」

「お兄さんがいるんだ。今、高3とか?」

「ううん、今年で二十一。天王坂てんのうざか高校を卒業して大学に入ったまではよかったんだけど」

「天王坂高校か――天王坂高校だって!? 超秀才じゃないか!」

 学区、いや県内でもぶっちぎりの進学校だぞ。公立で偏差値77。

 ちなみに貴津学園が学区二番手ではあるけれど、天王坂高校とは偏差値が滅茶苦茶離れている。

 そのためか入試前に天王坂高校を諦めた、もしくは落ちた人が貴津学園に流れてくるので、かなり頭が良い人が毎年一定の数だけこの学園に入学している。

「大学を一年の時に中退して、今は家で毎日ゴロゴロしてるの」

「そ、そうなんだ」

 天王坂高校卒ということは、エリートロードを歩むことを確約されたも同然だ。きっと異性にもモテるだろうし、高い社会的地位だって手に入ったはずだ。職業選択の幅も広かっただろう。

 なぜ、その道を自ら外れたんだろう。

「………………」

 星川さんの悲しげな横顔を見て、そんな無粋な質問はできなかった。

「そ、そろそろ作業を開始した方がいいかも。時間も時間だし」

「本当だ。お話ししてると時間が経つのがあっという間~」

「作業、頑張ってね」

「ありがとう。また明日ね」

 ホッとしたような、残念なような複雑な心境でパソコン室を後にする。

 いやぁ、今日ほど異性と長く会話をした日はないなぁ。記録更新だ。

「さてと、帰るか……」

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