第六話 『雷帝」

のどかは震撼した。

その男が醸し出す雰囲気が、彼が常軌を逸した存在である事を物語っていたからだ。

胸に掛かるくらいまで伸ばした髪に、蓄えた髭、顔のパーツはそれぞれ特徴を誇張した似顔絵のようで、背丈は190cmくらいもあった。

そして何より不気味なのは、その子供に絵本を読み聞かせる時のような生暖かい声だろう。

男は霧也に話しかけている。


「倫音、外の世界は辛かったね、分かる、分かるぞ。

お前の事だから、虐められただろう、差別されただろう。

お帰り、後で俺が話を聞いてやるからな。」


その瞬間、霧也と私達を隔てていたアクリル板が、粉々に砕け散った。

ありのままを伝えるのであれば、夜剱が殴ったのだ。


「倫音、話次第で渡すつもりだったが…

緊急事態だ、やむを得ない。

これを使え!」


霧也へと投げ渡されたのは、紛れも無くあの時の注射器だった。

彼は何のためらいもなく、それを注射し、それと同時に雨が男の視界をふさぐ。


「奴も恐らく、何等かの能力者だと仮定するのが妥当。

相手の能力が分からない状態で、この閉鎖空間は分が悪い。

外に出るぞ。」


私達は霧也を先頭に、通路を走り抜けて出口を目指す。

そして、出口が見える場所に差し掛かった時、私は愕然とした。

遥か後方にいたはずの男が、旅行客をもてなすホテルのフロントのように、出口でこちらを待ち構えているではないか。

交戦を覚悟したその時、建物の外で銃声が鳴り響く。

男が振り向くと、そこでは事態を聞きつけた機動隊が、武装して建物を包囲していた。

それを見るや否や、男は禁断症状でも起こしたみたいに、頭を掻きむしりながら取り乱す。

もはや、機動隊員がメガホンで呼びかける、降伏せよの、メッセージなど、まったく耳に入っていない様子だった。


「貴様ら、そこにいる全員だ。

その手に持っている物は何だ、有無を言わず答えろ。

答えろと言っているだろうがあああ!

兵器、すなわち人殺しの道具だ。

ましてや、その銃口が、何の武器も持たぬ一般市民に向けられている。

ああなんたることか、国家の為にとうそぶき、玉砕を美談にした映像を垂れ流すことで、未来ある若者を戦争へと駆り出そうという、軍国主義者共のプロパガンダがここまで進行しているとは。

もう終わりだ、この国の行く末は、大日本帝国の再来になってしまう!」


もはや言いがかりか、揚げ足取りの域だった。

平和主義を唄うと言えば聞こえこそいいものの、理解出来ない物にレッテルを貼り排除しようとする男の主張は、極めて身勝手で独善的な物に過ぎなかった。

そして最も恐ろしいのは、歪曲した正義感ばかりが肥大化し、支離滅裂な暴論を正しいと信じて疑わない人物の手に、強大な力が渡ってしまったと言う事。


「まずい事態になったぞ。」


夜剱が、インカムで何か重要な事を伝えられたらしい。


「収容所内の職員数名が、変異体と化した。

あいつらに安定剤を打って、化け物に変えたのはお前だな。」


「聞くに堪えない蔑称だ、まるで理解していない。

彼らは至上の純粋にも等しい存在、不完全な我々の進化系なのだ。

知能が無い、記憶しない、悪意を持たない、故に彼らは同じ種族同士で争う事をしない。

我々、黒い雨の悲願は、地球の意思に代わってこの世界をそんな至上の純粋で満たし、戦争も、虐めも、差別もない真の平和を実現する事だ。

申し遅れた、俺は黒い雨所属、妻(め)鳥(とり)薊(あざみ)。

自由平等の大義に誓う、今日歴史に刻まれるのは我々の勝利である。」


こいつが黒い雨のメンバー、脱獄犯の内の一人…。

とても正気とは思えなかった。


「これより、対象の射殺を許可する。」


機動隊が一斉に銃弾を放ったその先に、妻鳥はいなかった。

狙いは正確だったけれど、刹那と表現するのもためらうほどに、彼はその時既に隊員の首をへし折っていた。


「打ったな、この人殺し!人殺し!人殺し!」


「殺したのはお前の方だろッ…」


また死んだ。

人の命が軽々しく、安直に奪われていく凄惨な様に、思わず目を背けたくなる。

何が起きているのか、非常に説明しがたいのだが、瞬きをする瞬間ですら緩慢に思える程に、妻鳥の姿を認識したその時、そこに妻鳥はいないのだ。


「兵器は持たず作らず持ち込まず、それが原則だろうが…

弱者を武力で屈服させ悦に浸る、貴様らのその慢心が戦争を肯定するのだ!」


ものの数10秒で、隊は全滅に追いやられてしまった。

圧倒的な力を前にして、私は臆していた。

戦慄と言う言葉が似つかわしい程に。

その時、辛うじて命を取り留めた隊員が、妻鳥に発砲する所を私は見た。

しかしそれも虚しく、妻鳥の能力によって阻止されてしまう。

そしてその場にいた全員が、彼の能力を理解してしまったのだ。

しまったと表現したのは、知らなかった方が良かったと思えるほどにこちらに勝算が見込めないからである。

それは、紛れも無く落雷だった。

雨と雷、水は電気を通しやすいと言うのは小学生でも分かる理屈だ。


「おい、そこのお前、能力は何だ。」


霧也の思惑は断たれた、夜剱は露骨に目をそらしながら、小さく「俺は戦えないんだ」と言うのだ。


「理由を言え、何故、どうしてそう思うのか簡潔に答えろ。」


「気持ちの問題です。」


胸ぐらをつかむ霧也をよそに、夜剱は取って付けたような敬語口調で謝ったり、ただ白々しい言い訳を繰り返すばかりであった。


「もういい、これをよこせ。」


霧也は夜剱からインカムを強引に剥ぎ取り、妻鳥に近づく。


「戦う必要なんてないだろう、倫音。

俺とお前の仲だろ?」


「俺は記憶喪失なんだ、故にお前の事など知らん。」


それを聞いた妻鳥は、またもや頭を掻きむしってそれから、同情を含んだ声で話す。


「記憶喪失、そんな、可哀そうになぁ。

そうか、そうだ、そうに違いない。

これは政府の奴らが仕組んだ陰謀だ、我らが革命の象徴である倫音を挫く事で、同胞の士気を削ぐ魂胆なのだ!

許すまじ、軍国主義共め…。」


「妻鳥薊、貴様の思想は破綻している。

平和だとか戦争だとか、そんな物に興味は無いが。

俺はお前のような、もっともらしく独りよがりな正義を振りかざす輩が死ぬほど嫌いだ。

徹底的に潰させてもらうぞ。」


      

俺はまず、戦闘に入る前に面倒事を処理する必要があった。

知念のどかの事だ。

「おいのどか、夜剱!

俺がこいつを相手している間、建物内の化け物を処理しろ。」


「分かった、霧也って以外と融通が利くんだね!」


無論、誰を思った訳でもない。

他でも無く、自分の為だ。

あいつがこの場に居なければ、人道を無視した戦い方をしても咎められる事は無いだろうし、機転を利かせて配慮したと思わせれば、俺に対する信頼が高まり利用しやすくなる。

それと、取るに足らない事ではあるが、妻鳥がまた、取り乱している様だ。


「何故お前がその名で呼ばれるんだ、倫音!」


そう言うと妻鳥は消えた、高速移動が始まったのだ。

雨を広範囲にわたって降らせた場合、コンクリートの地面が水を吸収せず、水浸しになった地面が奴の攻撃範囲を拡大させてしまう。

つまり、少量の雨を集中的に、確実に命中させることが得策。

そこでだ、夜剱から拝借したインカムが役立つ。

ラジオを聞いている時、雷によって生じた電磁波の影響で、雑音が入る事がある。

奴が雷速で動いている時も同様に、電磁波が発生しているはずであり、そのときの雑音をインカムが捉える事で、出現時間を特定出来ると言うわけだ。

しかし、これだけでは愚策に過ぎない。

時間は特定出来ても、どこから来るかまでは予測不能だからだ。

何しろ、相手は四方八方あらゆる位置から現れては、攻撃を仕掛けてくる。

突き飛ばされた、仕方ない。

後方に雨の壁を作って衝撃を緩和する。

こんなことに貴重な水を使ってしまっていてはらちが明かない。

早急に終わらせよう、最も有効的な手段とは、時に至ってシンプルな物なのだ。

俺はここを狙えと言わんばかりに、首筋を露わにして見せつけた。

そしてついに、俺は妻鳥の体を掴む事に成功した。

能力の理論上、自然現象やその特性を操る事は出来でも、現象そのものに体質まで変化することは不可能、つまりこいつは実態のある生身の人間。

俺に落雷を落とせば、こいつもろとも黒焦げだ。

もう能力は、封じられたも同然!

俺は、動けないようにと高圧の雨で妻鳥の足を打ち抜き、それから掴んだ手を離した。


「化け物でもない限り、これで当分は動けな…」


しかしそれが誤算だった、驚くことに、さっきまで痛みに悶え立つ事さえままならなかったであろう妻鳥が今、平然と二本の足で立ち上がったのだ。


「化け物か。」


「暴力で解決しては駄目だ、倫音。

重要なのは対話する意思、お前も分かっているはずだね。」


「率直に疑問が一つ、何故そこまで俺にこだわる?」


妻鳥は張り付いたような、気味の悪い笑みを浮かべて、こう答える。


「親が子を思うのは当然だろ?

俺はお前の父親なのだから。」

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