第五話 『医師の見解』

留置所内の一室で俺、塩ノ谷霧也は勝利を確信していた。

睡眠薬らしきものを飲まされたせいで記憶が曖昧だし、拘束されている上に能力も充電切れらしいが、そんなことはどうでも良かった。

心神喪失状態であるかのような演技をして、責任能力無しと判断されたなら無罪。

なんて事は無い、この世の中は実に単純だ。

大衆は道徳や世間体なんて非生産的かつ非効率的な思想を疑いもせず飲み込み、この世の中を自分で息苦しい物にしているにすぎない。

だが結局はどうだ、俺が少し脅しただけで周りは言う事を聞くし、嘘をつけば国家機関ですらこのざま。

全ての事が思い通りに運ぶ今なら、この世界の神羅万象や、ありとあらゆる宇宙の法則さえもが自分を中心に形成されているとでも本気で思えたし。実際ドアノブが回された時のガチャリという音すら、勝利を告げる福音のように聞こえた。

扉を開けて現れた人物は、白衣を着た女性だった。

20代半ばと言った所だろうか、ラベンダーカラーの髪を後ろで束ね、その瞳に代表されるあどけなさと妖艶さの同居した彼女の風貌は、まるで神々の住む禁断の楽園で、良く似合うシロツメクサの花冠をしてこの世の終末を見届けていそうな、そんな印象を受けた。


「初めまして、精神科医の四十(あい)川(かわ)胡(くる)昼(ひ)と申します。」


そう名乗った女性は、何かの拍子に折れてしまいそうな程細い首を傾けてこちらの様子を観察している。


「彼は、例の手術はすませているのですか?」


「はい、確かに。」


その言葉を聞くやいなや、四十川はたちどころにこちらへと飛び移り距離を詰める。


「あなた、それって演技ですよね?」


落ち着け、演技に徹しろ。

どうせ何かのハッタリだ。


「私、表情や仕草なんかでその人の症状があらかた分かっちゃう凄いドクターなんですけどー。

貴方の狂気は自然体じゃないっていうか、どうも演技っぽい所が有るんですよ。

それにさっき、私が演技ですかと聞いた時も驚いて眉が上がったように見えました。

本当は言葉の意味分かっていますよね?

責任能力、十分にあるじゃあないですかぁ。

でも分からないな、実際のところ何故そう言う真似をするんです?

貴方にメリットなくないですか?

確かに昔なら話は別ですよ、心神喪失で無罪なんて事もありましたから。

でも今は違う。

過失者認定されて即収容所行でしょう。」


駄目だ、自白させるための嘘の可能性が高いが、何しろ動揺が止まらない。

相手もそれを察していると考えるのが妥当、ならば…


「嘘をついたのは悪かった、でも俺は記憶喪失で!

信じてもらえないかもしれないけど、報道を見て身に覚えのない罪で逮捕されるのが怖かったんだ…」


「本当ですかぁ?」


疑念の晴れない様子の四十川が警察に尋ねる。


「その件ですが、被害者の女子高生も同様の証言をしています」


「ふ~ん」


そう言うと四十川は再びこちらに向かって、拘束されている俺の周囲をグルグルと回りながら、一通り観察すると


「まぁ、記憶喪失に関しては事実で間違い無いでしょう」


とため息交じりに言った。


「それにしても傑作ですね、まさかあの国家転覆を計ろうとした男、悪のカリスマ、嵯峨倫音その人が記憶喪失とは…

マジでウケる。」


嵯峨倫音、ここ数日で嫌と言うほど聞かされた名だ。

自分の事なのだから当然興味はあった。

しかしどうだろう。

化け物に他の能力者、しまいにはテロ組織だと。

俺は命を脅かされるような事に首は突っ込まない主義だ。

例え世界が蝕まれていたとして、救ってやる義理も無い。

危険とあいまみえる事なく、狡猾に、野心を思って、利用出来るものはとことん利用する。

きっと成功するだろう、俺は完璧で、人より圧倒的に優れているのだから。


「それと、勘違いしている所申し訳ないのですが、どのみち貴方は収容所行きです。」


四十川は丁度、母親が子供たちに夕食のメニューを伝えるような優しい声で、平然とそれを口にしたので、しばらくの間冗談だと思っていた。


「適応機能過失障害ってご存じ?

まあざっくり言うと、社会不適合者の事ですね。

当事者の犯罪率の高さなどから、徹底した隔離生活を強いられるのが現状…

共感性の欠如、それから、恐らく自意識過剰の傾向もありますね。

あなた、《典型的》なのですよ。」


冷静に振舞う事がこの場では得策だが、何しろ俺は怒っていたし、実際苛立ちを露わにした声で言った。


「は?

ふざけるのも大概にしろ。

黙っていれば、ペラペラと根拠のない仮説を立てやがる。」


「仮説ではありません、事実です。

例えば、周囲から空気が読めないと言われたご経験は?

部屋を片付けるのが苦手でしたり、後は何かに対して強いこだわりがあるとか…

ああ、これ記憶喪失の人に対する質問じゃありませんでした。」


「障害者、社会的弱者とも言う。

この俺が弱者な訳が無いだろう、人より劣っているはずがあるものか。

俺は完璧なのだから。」


「それです、自意識過剰!」

「は?殺すぞ。」


俺は我慢がならなかった、発言もそうだが、とりわけ気に入らないのはその目だ。

この場にいる全員が俺を見下している、うわ言を抜かす異常者を見るような、軽蔑とも哀れみともとれる眼差しが、俺にとって本当に許しがたい最大限の侮辱であった。

四十川はわざとらしく怯えたようなジェスチャーをして見せたあと、相変わらずの調子で話を再開する。


「適合者に選ばれた以上、特別待遇を受けて収容も免除されるのが鉄則ではありますが…

怖いじゃないですか、貴方みたいなサイコパス野郎を野放しにしておくなんて。

普通の人は人質取ったりしませんから。

審議の結果次第ですが、やはり収容所送りだと思いますよ。

ていうか、それまで収容所で待機してもらいます。

そちらでの暮らしぶり、是非お聞かせ願いたいものですねぇ。

お手紙下さいよ、あ、それも無理な話か。」


俺は拘束されている事を忘れて立ち上がろうとし、頭から崩れ落ちた。

無謀ながら、この場から逃走を図ると言う魂胆だった。


「俺は病気なんかじゃない、病気なんかじゃ…」


完全無欠、非凡にして天才、自分をそう信じて疑わなかった少年にとって、唐突に告げられた一生付きまとう宣告は、余りに軽率で、無慈悲で、残酷な余韻だけを残した。


    

私、知念のどかはこれから、過失者収容施設に居る塩ノ谷霧也こと、嵯峨倫音との面会を控えている。

もっとも、ここに来れば何か変わるかもしれないと言う希望的観測に過ぎないのだが。

あの日起きた事がまだ、焼き付いて離れない。

何の罪も無い少年に対して、国家権力であるはずの警察が、麻酔銃を使用した事。

そしてその少年、夜剱照から聞かされた話。

間違いなく、圧倒的に理不尽で、許されがたい行いがこの国で平然とまかり通っている。

そしてそれはとてつもなく莫大な規模であると言う事も。

到底黙って見過ごすなんて事は出来なかった。

受付を済ませ、通路を進んでいくと、そこには見知った顔があった。

夜剱照、通路で便所ずわりをして通行人の妨げになっている。

相変わらず馬鹿が服を着ているようだ。

実際、馬鹿でも服は着ている物だけれども。


「よぉこの前の、元気か?」


「私、今でも心配して損したって思ってないの。

凄くない?

あんたは他人の体調を気にする前に、マナーやエチケットについて小学校から学びなおした方が良いよ。」


「ち、スターは求められる物だな。

有名税という奴か。


「あんた、有名人なの?」


「これからなる。」


何じゃそりゃ、と言う言葉は胸の中で留めておく事にした。

そうしているうちに、霧也の待つ面会室へと到達する。

私はそこで、分厚いアクリル板の向こうにいるそれを、霧也と認識するまでに数秒を要した。

まるで自分の持つ自尊心の全てを、根こそぎ折られたかのような失意の表情に、普段の独裁者的に振舞う彼の姿がどうしても重ならないのだ。

霧也は、命が尽きる手前みたいなか細い声で、やっと喋っている様子だった。


「収容所の中、酷い有様だった。

薬漬けにされて廃人同然の奴、壁にずっと頭を打ち付けている奴、急に大声を出して暴れる奴…

そしてそいつを監守が殴るんだ。

なあのどか、俺は普通ですらないのか?」


その時だった、辺りが突如暗闇に包まれたのは。


「落ち着け、停電か?」


思いのほか停電はすぐに治った、しかし問題はそこではない。

さっきまで確かに、私達しかいなかったはずのこの場所に、男が立っているのだ。


「迎えに来たぞ、倫音。」

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