第七話 『菜種梅雨』

そんな事があり得るのか、こいつが俺の父親だと?


「本当のところ、血のつながりは無い。

でも俺はお前を実の息子のように大切に思っていたし、お前も俺を父さんだと言ってくれた。

本当の親子と何ら変わらない、さあ倫音、共に行こう。

こんな政府の息がかかった場所にいてはいけない、外の連中とも関わるな。

奴らは平気で俺達を差別する。」


「くだらん、家族ごっこがお前ら組織の教えか?

カルト教団の方がいくらかマシだな。」


俺はさっきの攻撃で地面に出来た水溜まりを蹴って、妻鳥の視界を塞ぐ。

そしてこの場所にある水滴では微々たるものだが、水鏡の原理でいくつかの分身を作った。

僅かでも時間を稼いで、その隙にけりを付ける、そういう戦略だった。

しかし、どういう訳か彼は寸分の狂いも無く、俺本体を正確に捉え羽交い絞めにしてしまう。


「倫音、さっき俺に暴力を振るったよな。

感情に身をゆだねるそのささやかな行いが、やがて戦争の引き金となるのだ。

そして、子供が親に手を出すなんてもってのほか。

躾が必要だな。」


そういうと妻鳥は、俺の腕を物凄い馬鹿力で圧迫するので、たちまち俺は叫び悶えた。

彼は、その行いに正当性があるとでも言うように、黙然と体罰を与え続ける。


「痛かったよな?もうあんな事はしないよな?

そうだ、昔話でもしよう。

あれは確か、過失者排外思想が市民権を得て、全面的な隔離政策が行われる前の話だ。

政府が独自に、過失者を使って適合者を作る為の、非人道的な人体実験を行っていた。

当時は過失者の定義もあいまいで、健常者でありながら実験の対象になった物もいたらしい。

そして、彼らにとって最も重要な実験の非検体に、4人の少年少女が選ばれた。

結果、二人は死亡、一人は廃人と化した。

そして残された少年こそが、嵯峨倫音、他でもないお前だ。

俺は実験が行われた施設の職員を担当していたが、連中の目に余る所業が耐えられなかった。

やがて過失者の権利を唄う思想に感化され、街宣活動を行うなどしたが、連中は俺を過失者とみなし収容所送りにした。

そこで再びお前と出会った、俺はお前に協力する事にした。

でも不思議なんだよな、お前が霧也と名乗っている事が。

塩ノ谷霧也、それは施設でお前と親しい間柄だった子供で、重要な実験の犠牲になった男の子の名だ。」


どういうことだ、まるで理解に及ばない。

記憶を失う前の倫音は、何故にして亡き友人の名を語ったのか。

無論、俺はそんな価値観など持ち合わせていないが、通常死んだ身内の名を語る事で、罪悪感に苛まれたり、古傷をえぐるといった負の感情を招きかねないのではなかろうか。

疑問は山ほどある、だが優先すべきは脅威の打倒だろう。


「お前が馬鹿で助かったよ。」


妻鳥は倒れた、雨が奴の頭を打ち抜いたのだ。

殺してしまったのは流石に不本意だが、自ら雷速を止めるなんて、愚鈍の極みだな。

死体に背を向け、立ち去ろうとした瞬間、後ろからの気配に俺は頭を抱えた。


「おいおいおい…

暴力は振るうなと言っただろうがああああ!」


俺は夢でも見ているのか、だとしたら相当悪趣味な夢だ。

脳を貫かれてもなお生きていられる生物など、この世に存在するのか?

自然の摂理に反したこの現象を、不死身という馬鹿げた結論意外にどう説明をつければいいのだろうか。


「ああ可哀そうな倫音よ。

政府の奴らによって洗脳教育まで施されていたのか、だからそんな事をするんだな。

許さんぞ鷲頭、俺は貴様らに屈しない!」


妻鳥は俺の頭を掴んで、まるで棒切れでも扱うかのように軽々と降りまわす。

雷速に及ばないのは、生け捕りにする事が目的の為、俺の体が耐えられないような動作を避けているのだろう。

しかし、これは娯楽施設のアトラクションのような生ぬるい物では無い。

当然安全装置も無い状態で、ただ滅茶苦茶に振り回し、投げ飛ばした方向に移動してはまた振り回しの反復である。

恐らくは平衡感覚を失わせ、目まいを起こして隙を作るという思惑だろう。

出来るだけ遠くの一点を見つめろ、感覚を保て。

そして最低なアトラクションは執着地点へと到達する。

辛うじて立ってはいられる、しかしそれがやっとだった。

妻鳥は落ち着いた様子で話す、今更ながら、この男には情緒不安定の気が有るらしい。


「これは電磁波を発生させて剣状にした、いわゆるレーザーのようなものだ。

切れ味は、見せるのが早いか。」


硬いコンクリートの地面が、ケーキにナイフを入刀したみたいにいとも容易く破壊されてしまった。

こいつまさか、俺を殺すつもりなのか?


「本当は誰も傷つけたくないんだ、理解してくれ。」


どの口が言うか、妻鳥は剣を振りかざしながら、ゆっくりと迫って来る。

くそ、どうして俺がこんな目に合わなくてはならんのだ。

誰も俺のした行いを咎める権利なんてない、神罰などもっての外。

万人の求める、幸せになりたいと言う普遍的な願望に従っている、それだけだからだ。

ただ幸せに暮らしたいんだ、現状など投げ出して、社会の中で…


「怖いじゃないですか、貴方みたいなサイコパス。」


「奴らは俺達を平気で差別する。」


そうか、どのみち俺に居場所なんてなかったんだ。

妻鳥が剣を振り下ろす瞬間、俺は静かにまぶたを下ろした。

なんだこれは、走馬灯という奴か。


―――――

憩(いこい)が死んだ、自殺だった。

最後に会った時、元気そうに未来の話をしていたのに。


「本当に死にたい人は、誰にも相談しないって、あれは迷信だったんだね。

憩ちゃん、あんなに話してくれたから。」


家族に捨てられた俺達の唯一の居場所が施設だった。

子供にとって大人の存在は絶対的だ、どんなにクズであろうと愛情を渇望し、すがりつくしかない。

俺達にとっての世界は、大人達が作り上げたこの劣悪な箱庭が全てで、それ以外は何もなかった。


「菜種(なたね)、君も憩の所に行くの?」


「私、天国ってどんな所か考えてみたの。

お花畑があって、すごく景色が綺麗で、争いごとが無くて。

そんな秩序を守る為に法律があって、過失者がいて、正義の反対はまた別の正義で。

それって今生きているこの場所と、何が違うって言うの?

人に悪意がある限り、私達は虐げられ続けるの。

私、こんなに理不尽で残酷な世界になんて生まれたくなかった。

生まれ持った気質に優劣なんて無くて、そしたら家族に愛されて、学校に通って、きっとそんな世界でも4人は仲良しで。

ねぇ、貴方はまだ、誰かを疑って傷つけるくらいなら、信じて騙される方が良いなんて理想を信じているの?」

―――――


取るに足らない、くだらない記憶だ。

生存本能で、状況を打破する為の重要な事でも思い出すのかと期待したのだが。

そうもいかない物だな。

そして何より気に入らない事が一つ、この俺が、こんな俗っぽい、軽蔑すべき反応をとったことだ。

泣くなんて。

妻鳥は電磁波の剣を俺の足に突き刺した。


「ごめんな、しばらく意識を失ってもらうぞ。」


雷が落ちる寸前、俺は持てる限り全ての知識から有効的な手段を模索した。

そして俺は、歩道にあったガードパイプの一部を雨で切断し、地面に突き立てる。

金属を伝わせて電流を体外へと追いやったのだ。

勿論、無傷では済まなかったし、最後の力を振り絞って油断した妻鳥の首を切断した。


はずだった。

妻鳥の頭は、異形の化け物に変貌していたのだ。


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