第三話 『悪徳の栄え』

うっそうとおおいしげる木々が光を閉ざし、落ち葉で覆いつくされた細い山道は、獣道とでも呼んだ方がいくらか妥当な程であった。

そんな薄暗く寂しい山道を走行する一台の白いワゴン車。

一見すると何の変哲もない光景だ、無論その中で起こっている出来事に目を瞑ればではあるが…

私は普段の日常を送れる事がとても幸福で、恵まれていたのだという事実を噛みしめていた。

しかしそれも今は味がしなくなったガムのようにこびりついてよりいっそう不安を掻き立てるだけであった。

それもそのはず、自分達はこの男、脱獄犯の塩ノ谷霧也によって人質に取られているのだから。

運転手の男性、見た目からして30代後半と言った所か、災難だった。

怪我人を装わせられた私を、善意で車に乗せたが為にこんな事態に巻き込まれてしまうなんて。

霧也は苛立ちからか、時折舌打ちをしてみせたり威嚇するような動作をして、それが時限爆弾のタイマーみたいに緊張感を煽る。

彼は私のケータイで自分について一通り調べた後、誰に聞かれても無いのに、ベラベラと説明口調で状況について話し始めた。

合理主義だのなんだの言ってはいるが、きっとその行為は歪んだ自己顕示欲で完結していて、彼にとって他者の意見などは配慮するに足らないのだろう。


「状況を確認しよう。

まずは俺について、いわゆる記憶喪失状態にある。

街中で高校生の知念のどかと接触した際、塩ノ谷霧也と名乗った。

その後未知の生物と遭遇し、戦う為注射器によって何らかの物質を投与、以降記憶の全てを失う。

本来の素性は脱獄犯、嵯峨倫音。

テロ組織、『黒い雨』の指導者で国家反逆等多数の犯罪を指示、実行に移させたテロリスト。

3日前、収容されていた施設が何者かによって襲撃され、倫音を含む複数の『黒い雨』メンバーが解放、脱走した。

未知の生物について。

非常に高い身体能力、再生能力を有し、人間に対して明確な敵意を持つ。

記憶喪失以前の俺が生物の襲来をほのめかす発言をした事から、以前の俺は生物に何かしらの形で関与していたと推測される。

雨を操作する能力について。

注射器で投与した物質により得た特殊能力、発動は有限ではない、体力を消耗する。

俺が現在もっぱらナイフに頼っているのもいざという時の為に体力を温存しているからだ。

体そのものを液体に変える事は出来ない、また、雨を敵の体内に降らせると言ったことも出来ない。

これ等の事から推定される結論として、以前の俺もとい嵯峨倫音は生物を町にけしかけた可能性が高い」


待ってくれ、いよいよ理解出来ない。

少年はあの時確かに、身を呈して人々を守ろうとしていたんだ。

テロリストだとか難しい事は良く分からないけど、あの危険を顧みず、見返りを求めない行為を、正義と呼ばず何と呼べばいいのだろうか。

私は反論する。


「霧也…いや倫音?どっちでもいいけどさ。

私は前のあんたが悪い人なんて思えない、そんなこと考えられない!」


「聞いてなかった、もう一度言え」


その言葉に私はただ唖然とするしかなかった。

自分はあれだけ冗長に話しておきながら、こちらの話には耳を貸そうともしないその傍若無人っぷりにはもはや清々しさすら感じさせる。

無論100%皮肉であり、実際は嫌悪感あるのみなのだが。


「言わないのか、まあ大方予想は出来るが。

お前が感じているであろう、生物に対して俺が戦う意思を見せたという供述、それはそう見えただけで能力を使って生物と破壊活動に協力しようとしたという線が濃厚だろう。

生物の襲撃を知っていたことに加え、超能力ともいえる力を手に入れられる物質と怪物、関係が無いと言う方が無理のある話だ。

さらに俺が投与した物質に、恐らく他意的に倫音を暗殺する為の細工が仕組んであった可能性が高い。

それは失敗に終わり、記憶喪失となった。

そうだ、『黒い雨』の他にも物質に関与している組織がいて、彼らとは相反する立場にある。

そして『黒い雨』らは既に物質にまつわる技術を実用化しているであろう、つまり…

俺の他にも、能力を使える奴が存在する!」


私は戦慄に身を焼かれるような思いだったし、多分呼吸するのも忘れていた。

あんな強大な能力を持っている奴が他にもいて、しかもそいつらがテロリスト?

想像しただけでも目まいがする。

霧也が続けざまに何かを言おうとした時、運転手がやっと絞り出した声で話し始めた。


「あの、さっきから何を言っているのかわかりませんが…

命は助けて下さるんですよね!?

私には妻と娘がいるんです、あいつらを残して死ねない。

貴方にも大切な家族がいるはずです。

気持ちは分かりますよね?」


彼に対し、霧也はこの世の谷底を見つめるような冷たい視線を浴びせこう言い放つ。


「お前、何も理解していない。

まず俺は一切の記憶が無い、当然家族の思い出などあるはずがない。

そして最も不愉快なのは、家族がいるから助けてくださいなんて下らん情に訴えかけるような真似をこの俺に対してしたことだ。

俺は情けなんていう下等な価値観に左右されることは断じてない、そうだ、この場合お前の妻と娘も人質だ。

これから下す指示に従わなかった場合、貴様を殺した後で免許書等から個人情報を特定しお前の妻と娘も殺す。

さあ、無礼な発言をしてしまい誠に申し訳ございませんでしたと謝罪しろ」


「無礼な発言をしてしまい誠に申し訳ございませんでした。

これ、運転手さんの分、許してあげて。」


運転手に代わり私が謝罪した。

何も悪い事をしていない彼の、尊厳を踏みにじるような事はあってはならないからだ。

だからと言って、霧也に屈した訳では無い。


「私の分は、これ!」


頬を叩いた音が、気持ちいくらい反響する。

我ながら、大会が有ったら優勝しそうな程渾身のビンタだったと思う。


「痛い。」


霧也は、私にビンタをし返した。

彼に僅かでも善意の心があって、それが目覚める事を期待していたのだけど。

でもこれくらいじゃ怯まない。


「あんたは強がっているけどさ、本当はただの臆病者なんでしょ!

人を見下して、攻撃的な言葉で支配して、自分より優位に立たれそうになるとそうやって取り乱す。

俺は至って冷静だって?

でも叩かれた時、あんたの手震えてたよ。

本当は自分に自信が無くて、それが悟られるのが怖いんだ!」


「黙れ。

俺を侮辱する事は、万死に値する。」


ヤバイ、完全に殺される流れだ。

私、もう終わったかも…。

短い人生だったなぁ、悔いしか残ってないよ。

友達と同じ大学にいくって約束、果たせそうになくてごめん。

成人式で晴れ姿、皆に見せたかったな。

将来の夢、結婚、子供、私まだ何にも出来てない。

死にたくないよ。

そう思いながら、ゆっくりとまぶたを下ろした。

しかし、いくらたっても何も起きないので、恐る恐る目を開けてみると…


「は?」


私に向けて振り下ろされたはずのナイフは、霧也の腕に突き刺さっていた。


「なんだこれはあああ!?」


おかしい、何か異常な事が起きている。

非常に形容しがたい感覚だが、右が左で左が右で、上が下で下が上になっているような。

運転手が叫ぶ。


「まともに運転出来ないです、酔っても無いのに!

崖から落ちます!」


その瞬間私は確かに見た、夜空に浮かぶ二つの月を。

車はガードレールを突き破り、崖を転がり落ちていく。

車内は遊園地のアトラクションのように揺れたり回転したりして、それが収まり気が付くと辛うじて私は無事だった。

赤いランプの光が窓から差し込み、ふと辺りを見回すと大勢の警察や機動隊らしき人達に囲まれていた。

通報があったんだ、助かった、でも…

霧也には能力がある、全員殺されるかもしれない。

ふと、彼の方向に目をやると、何やら独り言を話している。


「俺以外の能力者が近くにいる可能性…

勝利する確率…」


警察らが車から次々と私達を保護していく。

その時だった、霧也が突然奇声を発しながら暴れだしたのだ。

頭を何度も地面に打ち付け、拘束される。

精神が錯乱しているのか、しかし何か違和感がある。

私は最近見たテレビ番組の事を思い出していた、海外で起きた事件をドラマ仕立てで再現したオーソドックスな物で、ある犯罪者が、無罪を勝ち取る為に精神障害を偽るという内容だった。

なんでも、精神障害者が犯罪を犯した場合、責任能力が無いとされ無罪になることがあるらしい。

私は嫌な予感がして、連行される霧也の方に目をやると、彼はこちらに向かって笑った。

その笑顔は、子供の時に見たホラー映画のワンシーンのように不気味で、脳裏に焼き付いて離れなかった。

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