第二話 『方時雨』
私、知念のどかの今日は異常だ。
出会ったばかりの少年に付きまとわれて、化け物が来るとか言うから最初は信じてなかったけど本当に現れて、今度はその少年が意味不明な事を言い出した。
「答えろ、俺は何者だ?何故にして、どういった経由でこの状況に至ったのか簡潔に説明しろ。」
「誰って…さっき名乗ったばかりでしょ?塩ノ谷霧也!
さっきから君が何言ってるのか全然分からないし、急に突き飛ばすとかあり得ないんです
けど!?」
霧也は、物憂げな表情を浮かべながら口を開く。
「一つ目に俺は合理性に欠いた行動を選択しないし、そういった人間の心理を理解できない。
いかなる時も常に自分にとって最善の行動を取るのみである。
そして二つ目に俺はここに来るまでの記憶の一切が存在しない、いわゆる記憶喪失状態に
ある。」
彼は機械のように抑揚のない声で、まるで急いで会話を切り上げないと終電を逃してしまうかのように捲し立てて話す。
理屈っぽさを限界まで煮込んだようなその喋り方が与える印象は、賢明さよりも不快感が勝っている。
そこにさっきまでの霧也の面影はまるで感じられなくて、にわかには信じがたいがどうやら記憶喪失と言うのは本当の事かもしれない。
それに考える時間は残されていないらしい、化け物がこちらに向かって歩き始めたのだ。
黒板をひっかいたみたいな金切り声を上げて迫ってくるその様には、明確な敵意が感じてとれる。
「来るよ、あいつをどうにかしなきゃ!」
「どうにかするだと、決まっている…俺は逃げる。
まず攻撃の手段が無い、止めに入った所で犬死するのが目に見える。
そもそもあの生物を駆除するという義務は俺に存在しないしそれを強制する権限がお前にはない。
この場合最も優先すべきは自身の生存である。
出来るだけ人の多い場所に誘導してターゲットを分散させその隙に逃走を図る、この場所でお前をおとりにする事も考えたが一人では時間稼ぎに到底及ばないだろう。」
今なんて言った?
私は冗談か、聞き間違えたという可能性に期待して問いかける。
「それって他の人がどれだけ犠牲になっても構わないって事?」
「そうだ。」
その瞬間、下水道の水を脊髄に直接流し込まれたかのような悪寒が私を襲った。
彼の言葉に後ろめたさや、罪悪感の一切も感じなかったからだ。
ただ平然と、日常会話のように他人の命を犠牲にして当然と語る男の目は、自分以外の物全てを餌と認識するサメの目を思わせた。
そして同時に、私の中で怒りの感情が薪をくべた焚き火のようにメラメラと燃え上がる。
「出会ったばかりの自分が言えた事じゃないけどさ。
さっきまでのあんたはね…皆を守ろうって必死に足掻いてるように見えた。
自分の危険をかえりみずに得体のしれない注射器を刺しちゃうくらいに腹くくって、覚悟きめてたんだよ。
同じ口で、そんなことを言うのは許さない、前の霧也に対する冒涜だ!」
霧也は少し考えるような仕草を見せた後、ぼそりと呟く。
「注射か、あくまで可能性だが。
試してみよう」
そういうと彼は唐突に化け物のいる方向に走り始めた。
今での言動は確かに見過ごせない部分があった、だからと言って自己犠牲に走ろうとでもいうのだろうか。
困惑する私の気持ちなど知る由も無く、不意に肌を突き刺す感覚がにわか雨を告げる。
しかし、何か違和感が有る。
空は清々しいくらい青一色だ、そして風も無い、なのに一体この雨はどこから降っているというのだろうか?
「俺が感じた可能性、それは前の人格が注射器を投与した際何らかの変異が起こると期待した場合。
変異はすでに起こっていると想定出来る。
そして人は危険に苛まれると潜在的な能力を発揮する物だ、誰に教わるでもなく自ずとその使い方を知ることになる。」
化け物が手を振り上げ、今にも襲い掛かろうとした瞬間だった。
プールごとひっくり返したかのような大量の水がどこからともなく、その怪物目掛けて降りかかる。
この超自然的な現象の意味を霧也は瞬時に理解する。
「雨を操作する能力の獲得、それが俺に起きた変異だ。」
程なくして雨が止むと、化け物は地面に膝をついて倒れ込んでいた。
あまりに一瞬の出来事だったため定かでは無いが、まるで見えない壁のような力に挟まれ圧し潰されているように見えた。
「高度の水圧で全身を圧壊させたつもりだったんだが…
あまり効果的では無いのか、あるいは使い方の問題か。」
言葉の通り先程の攻撃はダメージこそ与えたものの、僅かばかり動きを止めた程度に過ぎなかったようで、相手は即座に立ち上がると、貪欲な獣の執着心で霧也に強襲を仕掛ける。
凄まじいスピードで繰り出される打撃は人間のそれを遥かに凌駕していて、まともに当たれば一たまりも無いだろう。
霧也は雨を分厚い板のような形状に変化させこれを凌ぐ。
「水中では通常、動きが早い程水の抵抗は強くなる。
故に攻撃は弱体化し回避可能となるだろう。
そして、一定の距離を保ちながら持続的に雨を降らし相手の隙を狙う。
例えばこんなふうに」
化け物の腕が旋回しながら、空中で曲線を描く。
「高圧の水は鉄をも貫く、しかし頭を狙ったのだが…」
目の前のモンスターはSF映画のお約束を律儀に守ろうとでも言うのか、切断された部分が再生を始め、瞬く間に元の腕が形成されてしまった。
再生能力に加えあの動きの俊敏さ…
このままではらちが明かないと悟ったのだろう、霧也は雨で敵の視界を曇らせ、その隙にこちらに駆け寄り、強引に私の手を引いて散乱する瓦礫の下に身を隠す。
私は率直に感じた疑問をぶつけてみる。
「なんで助けたの?ひょっとして良い人だったりする?」
「愚問だな、俺が情などと言う非生産的な感情に身をゆだねるとでも期待しての発言だろうが…
まだお前に聞きたい事がある、ただそれだけだ。」
聞きたい事といっても本当に何も知らないのだけれど、その事は隠しておこう。
そう思った矢先、今日何度目だろうか、またもや目の前に理解出来ない光景が飛び込んでくる。
確かに今隣にいるはずの霧也が、もう一人化け物の近くに現れたのだ。
無防備かつ無計画な獲物を当然相手が見逃すはずはなく、即座に攻撃を仕掛ける。
しかし、その体は幻かあるいは陽炎のように不確かで実態が無いようで、何度体を貫いても傷一つ負わず平然とそこに立っているのだった。
「要は水鏡と同じ原理だ。
雨が降った直後、空中を浮遊する水滴を操作し俺の姿を反射させた。」
虚像に気を取られている内に一滴の雨が、化け物の脳天を貫く。
化け物は体勢を崩した後、今までの驚異的な生命力が嘘のように、力なく地面に転がり動かない。
その亡骸が、曖昧だった勝利と言う事実を実感させるに至らしめたのだった。
時刻は午後6時を回ったというのに、夏の太陽は有り余る元気を発散するかのごとくカンカンと輝いていた。
あんな事があったとういのに、私の心は驚くほど平常である。
それは恐らく、幾度となく重なった非日常的な出来事へのストレスから来た疲労感によるもので、今はただこの自宅という安住の地で疲れを癒す事に全神経を注いでいたい、そんな気持ちだ。
霧也に関して、まずは記憶喪失を直す為に病院に相談しに行く事にした。
記憶が戻れば謎の能力やあの化け物の事だって分かるかもしれないし、何より今のアイツは何をしでかすか分からない。
取り合えず格好が汚いからシャワーを浴びろといったら意外にも大人しく応じたようなので、(彼いわく容姿で悪目立ちしてしまうと非効率的etc…)それが済んだら病院へ直行だ。
ふと、何気なく付けていたテレビの報道番組に目を向けると、何やら不穏な単語が次々と聞こえてくる。
過失者?ていうのは分からないけど、脱獄がどうとか、凶悪犯だとか…物騒な世の中だな。
その程度に思っていた、テレビ画面に脱獄の主犯格として映し出された男の顔を見るまでは。
まぎれも無く、霧也本人だった。
「動くな、殺すぞ」
その言葉に、私はこれ以上何をしても遅いと悟った。
首筋に今にも噛みつかんとばかりに、向けられた刃物から伝わる温度は、異常なまでに冷たく感じた。
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