第50話「恐怖」
実際、人と会うのは久しぶりであった。
だからこそちょっとしたことであっても無駄に会話内容を反芻してしまう。“あの時言ったあれ、ちょっと話を盛ってたかもしれない”と遅れて気付く。かと言って今更相手に対して訂正をするのも中々難しい。
「ごめん。あの時さ、コアラのマーチを亀田製菓の商品だとか言ったけど、あれってロッテだったね」なんて言えるはずがない。電話で言えば百歩譲って笑い話になるかもしれないけれど、メッセージなんて送って日にはちょっときしょいと思われてしまう。
かといってきちんと訂正をしておかないと私のせいで相手がいつか恥をかいてしまうかもしれない。そして無駄に恨まれてしまうかもしれない。
そんなことをぐるぐると考えるわけだ。考え始めた当初こそ大した問題ではないと一笑に付すのだが、時間が経つにつれてその思いの頭を占める容積がどんどん膨れ上がっていき、最終的には個人の手には負えない代物と化す。人との会話についてのブランクがあるとこんなことが起こってしまいがちだ。
その逆もまた然りで、良いことを言うとそのエピソードを延々と噛みしめてしまう。
「ここ最近は意外と北海道の方が温かかったりするんだって」
「そりゃあったかいどうだね!」
なんていう渾身のワンフレーズを味の出なくなったガムをまだまだ味わい続けるかの如く、既にうまみの出切った薄い余韻に浸り続ける。
会話に関しての重要度合で言うと頭の回転の速さもさることながら、こうした一々に悶々とせずにやり過ごせるだけのスキルも欠かせない能力のひとつとして広く認められている。(個人調べ)
昨日は話相手が鈴木赤という親しき人物ではあったにせよ、人と会話をすることが本当に久しぶりだったので、私自身の人間が小さくなってしまっていることにこれでもかと気付かされた。
大学入学までまだまだ時間があるので、それまでにどれだけ人間としてのトークスキルを失われていくかは、逆に見ものである。やはり人間、人同士で触れておかないとダメだとつくづく思う。
ブランクができてしまうとどうしても熟練度が下がってしまう。特に人との会話なんていつでもできるようでありながらも、こうした非日常的な生活スタイルが挟まって来ることで簡単に断絶してしまう。
さらに意外にも人と会話をしなくても生きて行くことができるということにも気が付いた。学生にとっては勉強こそ優先順位の最上位に君臨するものだと言われて久しいが、これは言葉通りの真であって、勉強さえしていれば誰にも文句は言われないのだ。つまり勉強とマンツーマンで取り組めていれば会話が入り込んでくる余地なんて一切ないのである。
そんな事実が恐ろしい。積極的に人と会話をしていこうと思ったのであった。
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