第34話「千利休」

 「春がすっ飛んでいった」鈴木赤が憂鬱な顔をして言う。

 数字前に梅雨入りした。少し前まで肌寒い日が続いていたが、気が付くとじとっとした日が続いていた。気温的には少し暖かめの春と同様なのだろうけど、湿気がある分不快感がある。教室にいると不快さはよりその度合を増す。生徒の数だけ熱が発生し、その熱は逃げ場を見出せないまま教室に籠る。生徒がいなくなると教室はひんやりとした質感を帯び始めるが、その頃には下校の時刻になっているので私たちにとって大した意味はなくなる。廊下も同様で授業中は誰も知らないところでひっそりと冷たく佇んでいるのだろうが、休み時間や放課後にでもなると生徒が行き交うようになり、誰も望まない熱気を纏い始める。一方で朝はまだ寒く感じることもある。布団に入る時はわずかながらも暑さを感じるのだが、一度眠りにつき朝日を拝む頃には部屋も布団も冷めてしまっている。過ごしやすい春の陽気が一度も訪れないままに夏がすぐそこまで近付いていた。

 「花粉だけ残して春の一番良いところをごっそり持っていかれちゃったみたいだね」棗昌が言う。

 「なっちゃんって花粉症持ちだっけ」アレルギーのイメージが全くなかったので尋ねてみる。

 「私は今のところ大丈夫。でも家族がひどくってね。部屋に2つ以上ティッシュを常備しているよ。だから花粉が飛んでいる日は家族の様子を見てればわかるんだ」棗昌が言う。

 「うちは誰も花粉症じゃないから、外に出て他の人たちが苦しそうにしているのを見ないとわからないな。しかも時期が時期だから風邪なのか花粉症なのかわからないよね」鈴木赤が言う。

 「同じく私の身近にもいないからピンと来ないんだよね。ニュースとかでお天気のお姉さんが花粉注意報を深刻そうな顔をしてい読んでいるとその辺も伝わってくるけど、花粉の量とかを聞いても今ひとつわからないんだよね。若い内から花粉症だとその辺の理解も早そうだけど、今後かかった時にその辺のニュースの見方がわからないまま花粉のシーズンを過ごさなくちゃいけないかもね」花粉のことは何もわからないので、できるのならばこのままわからないままでいたい。

 「かからないのが何よりだし気を付けたいところだけど、こればっかりは気を付けようがないね。山の方に行かないとか、花粉をなるべく吸引しないようにするとかが良い対策方法らしいけどいくらなんでも限界があるよね」棗昌が言う。

 「今度山に行こうよ」鈴木赤が唐突に提案する。

 「突然どうした」どうせ山の話が出たから山に行きたい的なノリなのだろうと思いながらも尋ねてみる。

 「高校生活最後の夏になるわけじゃんか。春は桜、夏は山、秋は食、冬は鍋だよ」鈴木赤が元気に言う。

 「秋と冬が被ってるよ。秋を具体的にしたら冬になるのか」棗昌がツッコむ。

 「秋を微分したら冬になるんじゃないかな。だって秋って中途半端じゃん。どちらかと言うと寒い寄りなんだから寒さにフォーカスを当てて言ったらあっという間に冬の出来上がりだよ。だから同じように食も微分をすると鍋になるんだよ」鈴木赤が独特の持論を展開する。

 「じゃあ夏を微分したらどうなるのさ」その持論の隅をつつくかのような質問をしてみる。

 「夏を微分しても夏にしかならない。同じく冬も冬にしかならない。でも春を微分すると夏になる。暖かさを追求すると夏になるからね。でもお正月みたいな”新春”っていう時期は微分すると冬になる。同時に小春日和もまだ寒いから冬になるよ」鈴木赤が考えながら言う。

 「小春日和は秋だよ。秋なのに春みたく少し暖かい日のことをそう呼ぶんだよ」訂正を加える。

 「じゃあどの道冬じゃんか」鈴木赤は開き直った雰囲気を一切見せず、さも当然かのごとく答える。

 「じゃあ立秋はどうなるのかな。8月の序盤のはずだけど」引き続きいじわるな質問をぶつけてみる。

 「立秋は夏だな。8月なんだったら立派な夏だよ。地球温暖化がどうこうっていうより、昔の人は単に寒がりだったんだよ」鈴木赤の答えはもはや滅茶苦茶である。

 「ちなみに赤ちゃんはどの季節が一番過ごしやすいと思う?」棗昌が尋ねる。

 「私はどの季節も良いと思ってるよ。春とか秋は何事もなく過ごせるからそれぞれの良さがあるし、夏や冬なんかは外にいるときついこともあるけど、家に帰ればエアコンがあるわけじゃん。だから家ではそのギャップを楽しめるから夏や冬にはそれなりの良さがあるかなって。もちろんエアコンがなかったら春や秋の方が良いと思うかもしれないけど、エアコンがある以上はどの季節も平等に好きだよ」鈴木赤は考えながら言う。

 「赤ちゃんって風流人なんだね」棗昌が感心したように言う。

 「現代の千利休と呼びたまえ」鈴木赤が誇らしげに言う。

 「どこに利休要素があるんだ」思わずツッコんでしまう。

 「良い思いをしたければ人が普段通らない道を通るべきだし、どうせ通るならちゃちゃっと通っちゃった方が良いよね。逆張って行こう」鈴木赤が言う。

 「「現代の利休だ」」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る