第9話「一冊のノート」
「花見にでも行こうぜ」鈴木赤が連日のように話しかけてくる。花見とお笑い研究部への勧誘が私たちの連日の話題となっている。
「今は時期じゃないだろう」遠くに見える満開の桜を視界に入れながらも強引にシャットアウトする。
「桜ならまだ見ごろのはずだ」鈴木赤の視野は相変わらず狭い。
「そういう問題じゃなくてさ」
「人が多いのが嫌なのか」
「平日に行けばいいじゃんか。せっかくの春休みなんだしさ」春休みだから忘れがちだが本日は日曜日だ。曜日感覚は狂うが、外に出る度に日常の空気感を思い出す。休日の空気は少し暖かい。
「平日でもなぜだか人は花見をしたがる。ちょうど暇を持てました大学生やこれから大学一年になる連中が羽目を外してそこら辺りでシートを広げたがってる。現に私たちもその仲間みたいなもんじゃないか」
「そういや大学のサークル勧誘も今から始まるんだっけか。近所の公園もこの時期は人がすごいな」
「そんなところで落ち着いて桜を眺められるか」
「他所は他所、うちらはうちらだ」鈴木赤がまた適当なことを言い始める。この強引さが彼女の持ち味でもある。
「結局、何となく横目に見る桜が一番きれいだったりするんだ」
「良いこと言うね。じゃあ花見に行こうか」鈴木赤が脈絡のない会話を続ける。
「腕が落ちたな。切り返しがつまらなくなってるぞ。幽霊部員とは言えお笑い研究部なんだろう」これは本心からの突っ込みだ。
「絶賛活動中だよ。これもコンビとしてのネタ合わせの一環なのだよ」
「私は赤ちゃんとコンビを組んだ覚えはないし、お笑い研究部に入るつもりもない。それにそのクオリティでお笑いを冠するのはお笑いに失礼だ」
「でも私とは遊んでくれるじゃんか。春休みに入ってから2日に1度はこうして遊んでくれている。これをコンビとしての活動と言わずに何と呼ぶ」2日に1度どころではない。5日の内4日の頻度で会っている。しかもその内の1日休みは雨が降ったから外に出たくないというものなので、ほぼ毎日会っていることになる。
「コンビじゃなくてただの友人だろう。コンビになったとしたらきっとこれまで通りの関係ではいられなくなる」
「あゆと私に限ってそんなことはないよ」
「ちょっとしたビジネスライクな付き合いに代わっていくだろうよ。あぁなんて悲しいことだ」大げさに口にしてみる。
「確かに私たちのつながりはお笑いじゃないもんな。それにしてもどうしてこんなに気が合うんだろうな」
「気はあまり合っていないと思うぞ」
「そうかなぁ」
「好みも違えば守備範囲も違う。高頻度で遊んでいるけれど、その会っていない時間の使い方が全然違うだろう」適当な話を適当に入れ込んでみる。
「あゆは私の何を知っていると言うんだ」鈴木赤は適当な振りに全力で乗っかってきた。
「逆に何も知らないけど、ひとつわかることとしては、私と赤ちゃんの行動パターンが全く違うということだけだ」
「何も知らないのにそれだけはわかるだなんてまるで運命だな」
「意味がわからん」
「2人で1つみたいじゃないか。これを運命と呼ばずして何と呼ぶ」鈴木赤が珍しくうまい返しをしてきた。
「人それぞれとは言え、その両極端にいるんじゃないか、私たちは」
「じゃあ例えばあゆはどんなものが好きなんだ」
「お笑いは好きだよ」
「じゃあ気が合うじゃないか」
「ただし見る専門だ。赤ちゃんと違ってお笑われる方は好みじゃない」
「なんだその新しい造語は。お笑いなんて笑われてなんぼじゃないか」
「笑わせるのと笑われるのは根本的に違う。赤ちゃんのは何というか、お笑われる方だ」我ながらひどいことを言う。
「人のお笑いを見たこともないのに何がわかる」
「前に見せてくれたネタ帳から容易に推察できる」鈴木赤は私に一度だけネタ帳を見せてくれたことがある。どんなお笑いを目指すのかと聞いたときにどこからともなく取り出した一冊のノートが鈴木赤の全てを物語っていた。
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