第171話 雨に映える花
じめじめとした梅雨が続く休日。窓の外には雨に打たれて鮮やかに映える紫陽花が見える。
その花は、むしろ雨に打たれてこそ美しさを際立たせているように見えた。
「雨が止まないな……」
窓の外を見ていた春近が呟く。
買い物に行こうと思っているのだが、雨が降り続いていて出掛けるのを迷っていた。
「よし、今日は買い物は止めて、この前買っておいたエッチな漫画を観よう!」
そう言って春近がガサゴソとベッドの下から漫画を取り出す。
表紙には、凛々しい女騎士が触手族に捕まっている絵が描かれていた。
リアルでは少し堅物で真面目な春近だが、二次元ではとびきりエッチなのが好きなムッツリなのである。
「くっ、この初めて本を開く時の緊張とワクワク……たまらねぇぜ! この表紙絵……如何にも強気で凛々しくアッチが弱そうな女騎士が敵に捕まり、前から後ろからウネウネとした触手が……ゴクリ……」
春近が本を開こうとしたその時――――
コンコンコン!
「ハル、入るよ!」
「わぁぁぁ!」
返事もしない内にルリが入って来た。
「ハル、どうしたの?」
「何でもない、何でもないよ」
バレてないよな……
ギリギリ間に合ったはず……
まさか鍵をかけるのを忘れていたとは……
「ルリ、そんなにすぐ入っちゃったらノックの意味がねえだろ。ハルが一人で変なコトしてたらどうすんだよ」
ルリの後ろから咲も顔を見せる。
咲は、まるで見ていたかのように、春近の行動を予測してしまう。
「ま、まさか見られた……いや、なんでもないなんでもない。まあ、座って」
春近が下手に誤魔化しながらクッションを用意しようとするが、二人は当然のように春近の両側に密着するように座る。
すぐに二人の体温を感じて、梅雨のせいか雨や汗でしっとりとした髪や首筋から甘い匂いが漂ってきた。春近は二人の間で動けなくなってしまう。
「あのさ、ハルは天音とやったんだよな」
ピッタリと寄り添いながら、咲が呟いた。
「えっ、う、うん……」
「アタシより気持ち良かったのか?」
「えええっ、咲、何言ってんの!」
「だってさ……」
咲が口を尖らせてそっぽを向く。
「天音ちゃんが凄いテクニックでハルを虜にしちゃったって噂があるんだもん」
ルリも口を開いた。天音に嫉妬しているようだ。
「ルリまで、そんなこと無いから大丈夫だよ」
「だって、ハルが天音ちゃんとばかりエッチして、私たちとしなくなっちゃったら……」
「そんなことないから」
天音さんの凄いテクニックで搾り取られた噂を聞いて心配になったのか……
でも、ちょっと拗ねた顔が可愛くて微笑ましい……
ルリも咲も大好きなんだから、気にするようなことじゃないのに……
二人の嫉妬した顔が可愛くて、ついつい春近がニマニマしてしまう。
「おい、なに笑ってんだよハル」
「ハルぅ、ふざけてると怒っちゃうよぉ」
二人の顔が近い。グイグイと両側から圧力をかけられる。
「だ、大丈夫だよ。二人共、凄く大切で大好きな彼女なんだから安心して」
二人を抱き寄せてギュッとする。
「ハルぅ♡ しゅきぃ。もっとギュッてして♡」
「くそぉ、そんなんされると、もっと好きになっちゃうだろ♡」
二人がふにゃふにゃになって寄りかかってきた。
「す、好きになっちゃって良いから」
「くぅ、ああぁ! もうハルのバカぁ。そんなんで誤魔化されねえからな。はぁ♡ ダメだぁ、アタシも大好き♡」
「ハルっ、もっとギュッギュしてぇ♡ ふへぇ♡ しゅきしゅきぃ♡」
たいぶチョロ……すぐに機嫌を直してラブラブになる二人だ。
「ほら、やっぱり大丈夫でしょ。咲ちゃんが心配ばっかしてるから」
「ルリだって心配してただろ」
春近を挟んだまま二人で言い合っているが、その都度おっぱいが腕にムニムニと当たって春近が翻弄されていた。
確かに天音さんは凄く気持ちよかったけど、ルリも大好きだから永遠に溺れていたくなっちゃうし、咲も可愛すぎてずっと抱きしめていたくなっちゃうんんだよな。
皆大切なオレの彼女なんだから。
というか、こんな超絶可愛い子たちがオレの彼女だなんて、いまだに夢のようで信じられないんだよな。
こんなの世に知られたら、猛バッシングをくらって各方面から苦情が入ってネットに晒されてしまいそうだ。
どうか許して下さい……ハーレムですみません……
春近が妄想の中で他の男に謝る。
それにしても……
「はぁぁ……ルリが可愛すぎて、ずっと繋がっていたいんだよな。もう、永遠にくっついちゃえば良いのに」
「ええっ、は……ハル……」
「咲は、もう仕草や反応も全てが可愛いよな。はあっ、可愛すぎてツラいぜ。ずっと抱きしめていたい」
「ちょ、また……」
「オレがいつもこんなことばかり考えてるのが皆にバレちゃったら困るよな……」
いつものように、心の中が漏れまくっていた。
「おいハル!」
「えっ……あっ、また心の声が……」
「もう、それ絶対わざとだろ!」
言葉はキツい咲だが、顔はニヤけっぱなしでデレデレだ。
「もう、ハルのエッチ! じゃあ……ずっと繋がってる?」
ルリは上目遣いになり、早く繋がりたいと目が訴えているようだ。
二人の欲情スイッチが入りそうなその時――――
コンコンコン!
「春近君、いますか?」
新たな来客により、危うく3
春近が立ち上がりドアを開ける。
ガチャ!
「春近君、オススメの漫画があるので持ってきまし……あっ……」
杏子が漫画を持って訪ねて来たが、中に先客が居るのを見て少しだけ悲しそうな顔になった。
「ありがとう。杏子、上がってよ」
「でも……お邪魔しては悪いので、私はこれで……」
杏子は中の雰囲気を察知して、漫画だけ置いて帰ろうとする。今から行為が始まるのだと思っただろうか。
そのやりとりを見ていたルリが、ハッっとなってから急に両手をパチンと合せた。
「あっ、私用事を思い出しちゃった。もう、行かないと。咲ちゃん、行こう」
「んっ、あっ、ああ」
ルリが咲を連れて部屋から出て行く。
杏子とすれ違う時に、「がんばって」と一言だけ残して出て行った。
愛され心が満たされているからなのか、杏子を大事な仲間だと思っているからなのか、ルリは溢れ出そうな欲情も嫉妬も抑え下手で優しい嘘をついて帰って行った。
そして部屋には春近と杏子の二人が残される。
「えっと……上がってよ」
「はわわっ、これは急展開でありますか!」
「そうみたい……であります」
「も、もしかして、杏子一兵卒は精神注入棒でお仕置きでありますか! アッー!」
「杏子……例えが分かりにくいけど何か生々しいぞ……」
「とにかく座ってよ。お茶でも入れるから」
冗談なのか本気なのかよく分からない会話を中断し、お茶の準備をしに春近がキッチンに向かう。
杏子がベッドの前に座るが、下に何かあるのを見つけて手を伸ばした。
「杏子~おまたせ……って何見てんの?」
「い、いえ、何でも……」
気付かれないようにソレを後ろに隠した。
「…………」
「…………」
二人でお茶を飲んでいて、少しだけ無言になる。
そして思い出したようにさり気なくポツリと……
「良い人達ですよね」
「うん」
杏子は思う――――
本当に良い人達だと。
中学の頃はコミュ障だったり流行りの話題に付いて行けなかったりして、ずっと一人で行動していることが多かった。
半ば強制的にこの学園に入学させられたのに、今ではこの学園で本当に良かったとさえ思っている。
この人に逢えて、友達がたくさんできて、優しい人に囲まれて――
窓の外は、まだ雨が降り続き青い色の紫陽花が鮮やかさを増している。
江戸時代末期に来日したドイツ人医師シーボルトは、お滝さんという女性と恋に落ち、紫陽花を『ハイドランジア・オタクサ』と名付けて西洋に紹介した。
何故オタクサなのかというと、お滝さんをドイツ語訛りで『オタクさん』と呼んでいたからだと言われている。
雨に映え美しいその花だが、色を変える性質から花言葉は移り気や浮気などと良くないものも多いが、雨に耐える姿から辛抱強い愛情というものもあるのだ。
今、一人の辛抱強く愛情深いオタク女の、人生初の負けられない戦いが迫っていた。
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