第63話 二度目の出会い

 ルリの後を追って春近は走り続ける。なりふり構わず全力で。


 しかし、凄いスピードで走るルリは、夕闇に溶け込むように消えてしまった。


「ルリっ! ルリぃぃーっ!」

 ダダッ!


「だ、ダメだ。はっ、はっ……は、速すぎて見失ってしまった。何処に行ってしまったんだ。」


 呪力の力だろうか。ルリのスピードは尋常ではない。


「ルリ! ルリぃぃぃぃぃ!」

 いくら春近がルリの名を叫んでも返答は無い――――


 ルリ……そんなに悩んでいたなんて……

 どうして相談してくれなかったんだ……

 いや、違う……

 元気が無いことが何度かあった……

 ルリはずっと悩んでいたはずなのに……


「何でオレは気付いてあげられなかったんだ! ずっと一緒にいたのに!」


 とにかくルリを探さないと。

 でも一体何処に……

 警察……はマズい。せっかく陰陽庁が穏健派に傾いているんだ。ルリが逃げたことが知られたら、また強硬路線に戻ってしまうかもしれない。


「そうだ、咲に連絡して何人かで探してみよう」


 春近は咲に電話して説明した。

 ルリがいなくなったことを。皆で手分けして探して欲しいと。



「ルリ……どうか無事に戻って来てくれ――――」


 ゴロロッ、ゴロッ!

 薄暗くなり何やら怪しくなった空を見上げて春近が呟いた。


 ――――――――






 ルリは川沿いの土手を歩いていた。

 何処をどう走ったのか分からず知らない土地を。一人寂しく。


 ゴロロッ! ゴロロッ! ピカッ!

 ポッ、ポッ、パラパラパラ!

 サアアアアアアアアアア――


 やがて雨が降り出した。ずぶ濡れのまま行く当ても無い。

 ただ、何処へ続くのか分からない道を一人彷徨さまよっていた。


「どうしよう……」


 ハルの手を払い除けた感覚だけが鮮明に残っている。それが心の傷となって、更に気分を暗く沈めているのだ。


 やがて、橋が見えてきた。

 川の上に架かっている大きな橋だ。


 ルリは土手を降り、河川敷から橋の下に入って雨宿りをした。



「ニャー」


 先客なのか、そこには薄汚れた一匹の野良猫がいた。

 ルリが手を差し出すと、「シャー!」と牙を剥いて逃げてしまう。


「あれは私だ――――」

 逃げて行く野良猫を見たルリが呟く。



 あの薄汚れた野良猫は私と同じだ。せっかく差し伸べてくれた手を払い除けて牙を剥く。臆病で誰も信用していなくて全てを呪っている目だ。

 近づいた人を傷つけてしまう。


 私は壊すことしかできない。

 

「こんな私に、誰かに好きになってもらう資格なんか無い……」



 ルリの脳裏に蘇る記憶――――


『鬼だ! 恐ろしい! 近寄らないで!』

『恐ろしい! 鬼の子だ! こっちに来ないで!』


 幼き日の記憶。人々の声が木霊する。



 そうだ……誰も私を必要としていない……私なんて生まれてこなければよかったんだ……


「うぅ……っ、うううっ……うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――」

 声を上げて泣いた。

 泣き続けた。


 全て失ってしまった。

 私が壊してしまった。

 優しい人が手を差し伸べてくれたのに。

 私は外に出るべきではなかったんだ。

 あの、座敷牢のような部屋で、何もしないで静かに息をひそめて暮らしていればよかった。

 そうすれば、こんな気持ちになる事も無かった。


 でも、好きな人や友達や居場所を知ってしまった。

 そしてそれを裏切る事も……

 こんな気持ちになるのなら、何もしなければよかった。

 もう戻れない。

 知ってしまったから――――


 ――――――――





 春近は走り続けていた。

 雨に濡れ、ずぶ濡れで泥だらけだ。

 今は泥や雨など気にはしていられない。

 ルリを見つけるまでは。

 

「ルリっ、ルリ、ルリぃぃぃぃ!」

 春近が力の限り叫ぶ。


「そうだ、あいちゃんの話でも聞いていたはずだ。最強の鬼の転生者と呼ばれる彼女達は、周囲から偏見の目で見られたり危険な存在として扱われ、辛い幼少時代を過ごしてきたはずなんだ。ルリもきっと、辛い人生を歩んできたはずなのに。何でそれに気付かなかったんだ……オレは馬鹿だ! 大馬鹿だ!」



 最初は魅力的な容姿に惹かれていた――――

 でも一緒に過ごしていて、その奇抜な性格も、まるで犬のように甘えてくるところも、嫉妬深くて怒りっぽいところも、授業もろくに聞いてなくて勉強もダメなところも、クッキーが炭みたいになる料理が下手なところも、全部好きになっていたんだ。


 その全てがルリなんだ。

 ルリが居なくなると思うと、心にポッカリと大きな穴が開いたような気持ちになる。

 ルリに会いたい! 会って伝えたい!




 辺りは暗くなり視界が悪くなってきた。

 咲たちも手分けして探しているが、まだ誰もルリを見た者はいない。


 走り続けている春近の足が鉛のように重くなっている。


「はぁ、はぁ、はぁ……ルリ、何処にいるんだ……」


 重くなった足を無理やり動かし走る。足が鉛のように重い。それでも走り続けている。


「うわっ!」

 ズザアアアアァァーッ!


 足がもつれた春近は豪快に転んでしまう。その勢いのまま泥の中に突っ込んだ。



「痛たたっ……」

 バタッ!


 泥の中に倒れたまま、這いつくばって仰向けになる。

 心臓の鼓動が大きな音を鳴らし、体中が血液の脈打つ感覚を感じている。


 ザバザバザバ――


 気付くと雨は弱まり、雨の音に代わって川の流れる音が聞こえていた。無我夢中で走っていた春近は、いつの間にか川沿いに出ていたようだ。



「ここは……」


 川沿いの土手の上から河川敷を眺めると、橋の下にほのかな光を感じる。それは、ほんの微かな燐光のような。闇に隠れて僅かに感じる月光のような。



 春近は、何かに引き寄せられるかのように、その光の元に向かって行く。



 そうだ、思い出した――――


 桜舞うあの春の日……駅で見た光景だ……。

 そこには空間を捻じ曲げる程の存在感を放つ少女が立っていたんだ。

 全部思い出したよ。

 ルリが呪力でオレの恐怖心を消したんだった。


 今では解る……あの時は……この世の者とは思えないほどの妖艶な少女が怖いと思った……。でも今は……自信を持って言える、『なんて美しいんだ! なんて愛おしいんだ!』と。




 光が溢れるように呪力が漏れ出し、周囲の空間に変化を与える程の力を持つ鬼の少女。

 オレは、この少女が好きなんだ!


「ルリ……」


 土御門春近と酒吞瑠璃は二度目の出会いをした――――

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