第62話
ときわは同じ景色が続く獣道を歩き続けていた。
音無しの村を逃げ出してから、どれくらい経ったのか、ときわは疲れ過ぎてくらくらしていた。つい涙目になって、視界がぼやけてしまう。おまけに何度か転んだので、自分は相当ひどい有様をしているに違いないと、ときわは思った。
とうとう膝が折れて、ときわはその場にへたり込んだ。
森の中は静かで、ときわがぜいぜい肩で息する音だけが、むなしく辺りにただよっていた。
(秘色とかきわはどこにいるんだろう)
ときわは心の中でそう呟いた。もう何十回も繰り返した問いだった。
(かきわ。かきわの正体は………)
ときわは目を閉じて考え込んだ。
かきわの正体が広隆なら、十三才だった頃の広隆なのだとしたら、元の世界に帰れるのはかきわだということだ。 では、自分はどうなるのだろう。ときわは広隆の笑顔を思い浮かべた。兄はこんな世界があると知っていたから、あんなに遠野や、不思議な物語を愛していたのだろうか。でも………
(兄さんは、知っていたのかな?)
ときわは顔を歪めて頭を抱え込んだ。
広隆は、ときわの正体が自分の弟だと気付いていたのだろうか。いつか、弟がこんな世界に迷い込んで、そして、戻って来れなくなると、知っていたのだろうか。それを知った上で、弟がこの世界に迷い込むのを、止めようともしなかったのだろうか。
(違う。そんなはずはない。兄さんは、そんな人じゃない。知らなかったんだ。知らなかっただけだ)
だが、同時に全く正反対の声がときわの中に響いた。
(兄さんは、ぼくなんか戻ってこないほうがいいと思ってたんじゃないのか?いつかはいなくなる弟だから、せめてそれまではかわいがってくれてたんじゃないのか?)
馬鹿げたことだと思いながらも、ときわはその声を打ち消すことが出来なかった。
そんなはずはないと、心の声と戦っているうちに、ときわはいつの間にか眠ってしまった。
耳になにやら心地のいい音が響く。
とんとんちゃらちゃら
とんとんちゃらちゃら
ときわは目を開けた。気のせいではない。かすかに楽しげな音がしている。
ときわは耳をそばだてて辺りを見回した。人の姿は見えない。が、確かに何か音がする。しかも、そう遠いところではない。むしろ、ごく近くから………
音のするほうを探って、ふと視線を落としたときわは、自分の股の間のきのこがぴょこぴょこ動いているのに気付いた。
驚いたときわが声も無くみつめていると、緑の草の中を色とりどりのきのこの頭がちょこちょこと移動していく。
「なんだ、これ」
ときわがそっと草をかき分けてみると、大きさも形もまちまちなきのこ達が、それぞれ太鼓やら篠笛やらを楽しげに吹き鳴らしていた。きのこにはどうやら手足らしい四つの小さな突起がついていて、楽隊をやりながらちまちま行進していく。
(変なの。でも、かわいい)
ときわもつられて楽しくなって、きのこの頭を見失わないようにゆっくり楽隊の後をついていった。きのこたちはとんとんちゃらちゃら、どうやら祭り囃子を奏でながら、ときわの前を進んでいく。
不思議なことに、その音を聞いていると体の疲れがとれていくような気がした。
どれほど眠っていたのか、辺りは薄暗くなっていて、風も冷たくなっていた。ときわはすっかり冷えた肩の辺りをさすりながら歩いた。
その時、ときわの目の前を、すいっと白い光が通り過ぎた。
ときわは驚いて、慌てて光を目で追った。光はしばらく無目的にただよっていたが、やがてときわの足元、きのこの楽隊の頭の上に浮かんで、彼らを誘導するように動き出した。楽隊は相変わらずとんとんちゃらちゃらやりながら、ついてくるときわにも突然現れた光にも頓着せず、行進を続けている。
そのうちに、ときわはずっと前方の木々の間から漏れる、やさしい光に気付いた。確かにそこだけが、ぽっかりと明るくなっている。そして、そのあかりのほうから、かすかに歌のようなものが聞こえてくる。
ときわの胸が、どきんと跳ね上がった。とぎれとぎれに聞こえてくる歌に、聞き覚えがあるような気がした。
(この歌は………)
ときわは歩調を早めてあかりを目指した。楽隊を追い抜いてしまったが、どうやら目的地は同じらしく、今度は楽隊がときわの後をついていく形になった。
(この歌は、もしかして………)
あかりに近づくにつれ、歌がはっきり聞こえてくる。
悲しかったら迷うてこ
苦しかったら迷うてこ
間違いない。この世界に来る時に聞いた、あの歌だ。
ときわは息を切らせて灯りの中に飛び込んだ。
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