第57話




 ときわが鈴をかざすと、社の木の扉が鈍い音をたててひとりでに開いた。ときわは恐る恐る外を覗いた。見張りの男が、両耳を抑えて悶えていた。鈴はときわの手の中でひときわ大きく鳴る。これまで音のない世界に生きてきた者にとって、この金属音は脳天に響くらしい。

 ときわははやる胸を押さえて唾を飲み込んだ。鈴は鳴り続けている。

(落ちつけ……逃げるには、今しかない)

 ときわは鈴を扉の取っ手に結わえ付けると、社を抜け出した。頭を抱える見張りの横をそおっと通り過ぎ、薮の中に身を隠した。鈴はまだ鳴り続けている。這いつくばって進みながら、ときわは秘色の言葉を思い出した。

ーー持ち主に危険が迫った時、一度だけ助けてくれるの。

 動悸がはやまる。耳に届く鈴の音が、少しずつ、遠く小さくなっていく。村から十分に離れたと思われるところでときわは立ち上がった。そして、後ろを振り返らずに全速力で駆け出した。もう鈴の音は聞こえなかった。だが、ときわの頭の中には鈴の音と秘色の言葉が交互に鳴り響いていた。

(どういうことだ? )

 走りながら、ときわは自分自身に問いかけた。あの鈴。あの鈴は、納戸で見つけたただの鈴のはずだ。大きな鈴。そう、秘色が身に付けている鈴とちょうど同じぐらいの鈴。

 秘色は言っていた。

 あれは巫女だけに与えられる鈴だと。

 秘色の鈴は秘色が持っている。緋色の鈴は……かきわ。かきわが、持っている。

 ときわの脳裏に、広隆の言葉がよみがえった。

 マヨヒガに行った人間は、なんでも一つ、持って帰ってくることが出来るんだ。

 ときわは混乱していた。

 なんでも一つ……かきわが、もしもあの鈴を持ち帰ったのだとしたら?

 かきわ。背が高く、男らしい少年。そう、どこか広隆に似た……

 ときわは走りながら頭を抱えた。

 納戸の中で偶然みつけた古い鈴。無意識に持って来てしまったただの鈴。古くて色のはげた、大きな鈴。

(巫女の鈴。持ち主を一度だけ助けてくれると秘色が言っていた……)

 ときわは薮の中を走り抜けながら混乱する頭で考えた。

(あの鈴は。かきわは……)

 心臓がうるさいぐらいに鳴り響いていた。決して走っているせいだけではなかった。

 そんなはずはない。そんなことがあるわけがない。この世界の時間の流れが、元の世界とは異なっていたとしても。

(かきわが……兄さんだったなんて)

 では兄は知っていたのか? 知っていて、弟が鈴をみつけるように仕向けたのか。

 ときわの中で広隆の顔がぐるぐるまわった。

 広隆は何を考えていたのだろう。

 ときわにはわからなかった。


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