第20話




 義母ができたからといって、広隆の生活ががらりと変わるということはなかった。変わったのは、広也が生まれてからだ。

 最初、広隆は自分の弟と言われてもなかなか実感がわかなかった。おくるみに包まれた赤ん坊の顔をひょいと覗き込んでみても、たいした感慨はわいてこなかった。

 産休が終わって、光子が職場に復帰するようになると、広也はやはり施設に預けられるようになった。知らない場所に連れていかれ、知らない人に手渡され、不安げにもぞもぞしている赤ん坊を見た時、初めて広隆は弟に対してかすかに痛々しいものを感じた。

 それから何ヶ月かして、仕事が軌道に乗り出したのか、光子の帰りがじょじょに遅くなっていった。

 広隆は一人で家にいることが多くなった。誰もいない家に帰ってきて、もそもそとおやつを食べながら面白くもないテレビと向き合うしかやることがなかった。一人で飲むラムネは全然甘くない。

 広隆が学校から帰ってきてから、光子が広也を連れて帰ってくるまでの時間、その間隔が、日に日に長くなっていった。

 学校が終わったら、自分が広也を迎えにいって、光子が帰ってくるまでの間面倒をみるという提案を広隆が切り出したのは、彼が四年生になったときのことだった。

 光子は子供の広隆に広也を預けるのを最初は嫌がった。だが、広隆は半ば無理矢理その役をはじめた。学校が終わるとまっすぐ施設に行って広也を連れて帰ってくる。夜、光子が帰ってくるまでを、二人で過ごす。広隆は小さな広也が危なくないようちゃんと見張っていたので、後には光子も安心して任せるようになった。

 御飯を食べさせたり、寝かしつけたり——二才の幼児の世話はもちろんものすごく大変だったけれども、一人無為に時間を潰すよりはどれだけましか知れなかった。それに、ずっと一緒にいるうちにようやく弟だという実感が、広隆の中で愛情とともにふつふつとわきあがってきた。幼子はよく泣くけれど、よく笑いもする。つられて笑うと、なんだか妙にうれしくなった。

 あの頃の家庭の中は、ほかほかと明るかった。小さな広也は広隆によく懐いた。自分からふらふら歩きをして広隆に寄って来たりもした。そのまま、ゆったりとした日々が続くのだろうと思っていた。

 正広が命を落とすあの日までは。





 広隆は屈み込んで唐櫃の中をあさった。見覚えがあるようなないようながらくたばかりが散乱している。そのがらくたの中に手を突っ込んで、広隆は埋まっていた巾着袋を掘り出した。赤い紐のついた、黄色い巾着袋。中には数十個のビー玉が入っている。

 広隆はその巾着を持ったまま納戸を出た。

 夜の廊下を静かに渡って、広隆は玄関に向かった。玄関には、広也のスニーカーがなかった。

 広隆は黙ってその場に座り込んだ。

(ここで、しばらく待たなきゃならない)

 目を閉じた広隆の耳に、さわさわという葉ずれの音がとどいた。


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