第19話
唐櫃の蓋を持ち上げると、すぐに懐かしいクッキー缶が目に入った。
広隆はそれを拾い上げ、静かに蓋を開けた。どう見てもがらくたにしかみえないものばかりが詰まっているが、こんなものでもそれなりの思い出を持っている。
広隆はその中から鈴が消えていることを確かめて、蓋を閉めた。
目を閉じて大きく息を吐いた。なにか、大きな仕事をやり遂げた後のような、不思議な充足感があった。しかし、同時に広隆は強い不安も抱いていた。
(俺は、うまくやれただろうか)
自分に向けて問いかけて、それから、広隆はふっと小さく笑った。今の俺、きっとすごく情けない顔をしている。昔みたいに。
広隆には、物心ついた時すでに母親がいなかった。
父親の正広は、毎朝会社に行く前に広隆を育児施設に預け、夜、仕事が終わってから慌てて迎えに来たものだった。
一人で子供を育てるのは大変だ。幼心に、広隆はそう悟っていた。毎日毎日、父のせわしない背中しか見ていなかったからかもしれない。
だから、広隆は仕事に行こうとする正広を引き止めて泣きじゃくったりしたようなことは一度もない。そうすれば、父を困らせることになるのを知っていたし、施設通いにも慣れっこになっていたからだ。
ただ、やはり幼い子供だから、時々は不平が口をついて出そうになることもあった。
そういう時、広隆はまず息を止める。二秒、三秒……苦しくなるまで息を止めて、それからそっと、誰にも気付かれないように静かに息を吐き出す。息を止めている間、広隆はずっと自分に言い聞かせている。言っちゃいけない。言っちゃいけない、と。
人間って、うまく出来ているもんだ。と広隆は思う。どんなことでも、何度も繰り返しているうちに平気になってくる。
ただ、その“慣れる”ということは、成長と呼べるものなのか、あるいは同じところで足踏みしていることなのか、広隆にはわからなかった。
そんなある日、見知らぬ女の人が、広隆を迎えに来た。それが光子だった。正広の会社の後輩と名のった彼女は、それからたびたび広隆を迎えにくるようになった。そして二年後、広隆の小学校入学と同時に、二人は結婚した。その話を切り出された時も、広隆は別に驚きはしなかった。うすうす予想していたことであり、いつか切り出される話だと思っていたから。
広隆はいつものように息を止めた。二秒、三秒……そして、二人に気づかれないようにゆっくりと息を吐き出した。それから顔を上げて、広隆はにっこり笑ってみせた。
「おめでとう」
そんな台詞が言えるくらい、広隆はいい子だった。まだ七才だったくせに、こういう時の広隆はまるで分別ある大人のような顔をしていた。だけど、それは裏を返せばこの年で感情の隠し方を知ってしまっているということでもあった。
この時隠した感情、飲み込んだ言葉は、自分の胸の一番奥にこっそりしまい込んだ。
二度と、開いてはいけない扉の中に。
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