第8話
ざわざわざわ。
風に揺られて、葉ずれの音がほんの少し大きく響いた。じっとその葉ずれの音を聞いていた広也の胸に、ふいに奇妙な光景が浮かび上がった。真っ暗な闇の中。泣いている小さな子供。辺りを取り巻くのはただ闇と葉ずれの音ばかり。
泣いているのは自分だ。と、広也は思った。幼い頃の自分が泣いている。たった一人で、泣いている。
それがいつのことで、なぜ自分が一人で泣いているのかもわからなかった。迷子にでもなったのだろうか。そんな記憶は全くないけれど。
突然浮かび上がってきた幼い頃の光景は、自分がどんな状況でなぜ泣いているのかもわからないくせに、妙に生々しい不安と、どうしようもない恐怖を伴っていた。 一人で、取り残されてしまった、不安。そして、恐怖。恐怖は、何に対しての恐怖だろうか。 暗闇に対する恐怖? 違う。どこに行けばいいのかわからない前後不覚の恐怖? 違う。そうじゃない。何かはわからないけれど、確かに何かに怯えている。なんだろう。なんだろう。胸が締めつけられるような気がして、広也は頭を振ってその光景を振り払った。
だが、不快な心持ちは消え去らずに残り、広也を落ち着かなくさせた。
投げ出されていたシャープペンシルを握り直し、再び問題集に向かいあってみるが、頭なぞ働こうはずもなく、数字だけが意味もなく頭の中をめぐった。
広也は再びシャープペンシルを机の上に投げ出し、頭を抱えた。なんだろう。今日に限って、妙に昔のことばかり思い出す。やはり、遠野に来たせいだろうか。
(やっぱり、こんなところ来なきゃよかった)
広也は思った。
(だって、東京ではこんなこと、思い出す暇もなかった……)
「広也」
光子の声がした。広也はギクリとした。
「勉強していたの? 」
「う、うん……」
広也は慌てて光子に見えないようシャープペンシルを握った。
「お風呂に入りなさいって」
そう言うと、光子はパタンと襖を閉めて戻っていった。 広也はほうっと息を吐いた。
顔にかかった前髪をかき上げて、それからのろのろと立ち上がった。
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