第7話




 座敷に戻った広也は、数学の問題集を開いて机に向かっていたが、ぼんやりとしてやる気が出ずに、頬杖をついて窓の外を眺めていた。網戸をすかして、少し向こうにひろがる裏山に通じる雑木林。闇の中で揺れる葉ずれの音がかすかに聞こえる。

 さわさわさわ。

 ざわざわざわ。

 その時、真っ暗な雑木林の中に、ちらりとかすかな光が見えた。

(あれ……? )

 思わず目を凝らしてみる。が、すでに光は消えており、網戸の外は相変わらず闇ばかり。

(あれ。気のせいだったのかな)

 そう思い、もう一度目を凝らしてみたが、やはり何も見えなかった。

「なんかおもしろいもんでもあったか。窓の外に」

 後ろから声をかけられて、広也は振り返った。広隆が襖に寄りかかってこちらを見ていた。

「こっちの窓からは雑木林くらいしか見えないだろ。じいちゃん達の寝間の廻り縁に出りゃあ、星がたくさん見られるぞ」

「別に、何か見てたわけじゃないよ」

 広隆が右手に持っていたラムネの瓶を差し出した。それを受け取りながら広也は答えた。

「ただ、なんか光ったような気がしたから……」

「蛍かなんかだろ」

 そっけなく、広隆が言った。

「山の中には池もあるから」

 広隆は広也の頭越しにじっと網戸の外を見た。そして、しばらく黙っていたが、急にいつものいたずらっぽい笑みを浮かべると、

「それとも、人魂か狐火かもな」

 それだけ言ってくるりと背を向け、廊下を渡って行ってしまった。


(何が人魂だよ)

 広也はふんっと鼻を鳴らして、椅子に座り直した。ラムネの瓶を机の上に置き、もう一度だけちらっと窓の外を見た。やはり何も見えなかった。

 ほうっと息を吐いてから、ビー玉を落としてぐいっとラムネをあおる。涼しい甘さが広がった。

 机の上に広げた問題集に目を落とすが、もはや解いてみようという気も起こらない。広也は問題集の字から目をそらして、椅子の背にもたれかかった。ラムネの瓶を揺らして、中のビー玉をもてあそんでみる。からからから。涼しい音がした。懐かしい音だ。

 夏になると必ず、兄とラムネを飲んだ記憶がある。飲み終えると、広隆は瓶から抜き取ったビー玉を水ですすいで、手のひらに載せてくれた。もらったビー玉を、広也は大きめの巾着に入れて集めていた。

(あの巾着はどうしたっけ? どこにやったっけ?)

 ふと、そんなことが気になった。どこにやったか、どんな柄だったかも思い出せない。

 こういうことはよくある。だいたいのことは思い浮かぶけれど、どうにも細かいところが思い出せない。昔聞いたおとぎ話の、大筋の内容は覚えているのに、結末だけ忘れてしまったような、そんな感じ。すっきりしない気分になる。

 そのすっきりしない気分に追い打ちをかけるように、外からひんやりした風が、なにやら不気味にすべりこんできた。

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