八章 三話 ### 二十三時 四十五分 ###

「英くん!」

「加織…」


 ふらふらになって前のめりに倒れそうになった所を加織に抱き止められて、ほっとしてしまった。フェンスを念力で破壊して作った穴から、彼女はこちら側に来ていた。

 もう俺に目をくれる人は誰もいなかった。

 落胆、諦念、俺の言葉を聞き入れてくれる人もいて、人々の反応はさまざまだった。

 しかし、俺を攻撃する人はいなくなった。

 残り少ない時間を俺に使う事に意味を見出さなくなったのかも知れない。


「英」

「良仁」

 俺はかおりに支えられながら、良仁と向き合う。

「俺はお前を誇りに思ってるよ。何も恨めしくて、俺はここにきたわけじゃないんだ。でも、世界が終わるなら、戦ってくれた人のところで終えたい。今日、お前に再会できたのも、きっと意味があるんだよ。そう思ったんだ。…親父はその、冷やかしらしいんだけどね」

 親父さんは少し離れたところでぼうっと座り込んでいた。

「いいんだ。絡んでこないってことは、きっと母さんのことを思い出しているんだよ。それでいいんだ。俺たちは。じゃあ、俺、親父のところに戻るから」

 良仁はただ笑う。無理やりな笑顔というわけでもなかった。そんな姿にどこか救われてしまっている自分がいた。

 

「かおちゃん!」

 今まで一度も見たことがないような真剣な顔をした謙信は、俺の目の前で加織の手をとった。

「え…おい、賢臣、お前!」

「…ずっと言わない気でいました。けどやっぱり、後悔する明日なんて来なくても、言っておきたいから」

 俺をちらりと見る。それは挑発するようなものでなく、自らの意思を示すためのものだった。けれど、必死な子供のようでもあった。

「たとえ世界が終わっても、その後も振り向いてくれなくても、この命だけは好きな人のために使うって決めてたんだ」

 賢臣は顔を赤くする。

「俺は、かおちゃんのこと大好きだから!」

 言った。正直、嫉妬で死にそうだ。が、賢臣にもだいぶ迷惑をかけたので割り込めない。

 応える加織は無邪気な笑顔でいう。

「私も好きだよ! 賢臣は大切な家族!」

 賢臣は泣き笑いの顔になって、がくりと顔を伏せたが、がばっと再びあげた顔は、晴れやかだった。

「ありがとう!」

 そこで賢臣は俺に向かって言う。

「別に俺はあんたに失望しちゃいないっすよ。あんたはよくやりました」

「どこ目線なんだよ…」

「はは」

 屈託なく笑う。小さな頃に戻ったような懐かしい匂いがする。また様々な記憶が脳裏に展開する。しかし、全てに想いを馳せるにはもう時間が短すぎた。

「二人で家に戻ったらどすか?」

 気を利かせてくれたのか、賢臣が親指で自宅の方を指すと、加織がすかさず言った。

「ここでいいわ」

 俺も頷く。

「うん。みんなと同じように、思う通りに、過ごそう」

「…かおちゃんがいいなら、いいんすけど」

 

 その時、俺のお腹が鳴った。流石に限界だったのだ。加織がくすくすと笑う。

「ごめんね、私のせいだね」

「ははは…あー、パンケーキ食べたいな…」

 口の中は砂と血の味がするばかりだ。

「時間があったら、沢山作ってあげるのに」

「そうだなぁ」

 これで良いのだろうか。迷いは心の底に燻っている。けれど、加織の笑顔を見たら、言わずにはいられなかった。

「加織、大好きだ」

 できるだけ真面目に顔を作って言ってみる。加織ははにかんだ。

 そうだ。思い返してみれば最近、彼女のこんな顔、見られていなかった。

 無視された賢臣がむくれている。


「そういえば英くん、これ」

 思い出したように加織は掌を開けた。

 覗き込むと、中には探し物が握られていた。

「指輪!!! よかった、やっぱり家で落としたんだ! 持っててくれてありがとう」

「次無くしたら、もう許さないからね」

 受け取ろうとすると、手を取られて、左手の薬指に恭しく指輪が差し込まれる。加織の指にも結婚指輪が光っていた。

 加織の指先に触れ、手の温もりを確かめた。

「次があるなら、取りこぼしたものを拾いに行きたい。全部は無理でも、何ができるかわからないけれど、せめて、俺は一つだけでもいい。握りしめていたい」

「そうね。あなたが挫けたら、私きっと同じようにするわ」

「ははは…それは困るな…」

 加織の目は本気の時のソレだった。きっと次の世界でも、彼女の心が知れなくて、じたばたとするのだろう。

「今日知り合った人がいるんだ」

「こんな日に?」

「うん。その人が世界の終わりには必ず英雄が現れるって言ってたんだ」

 俺が加織の顔を見ると、俺が何をいうのか、じっと待っている。今日は絶望と同等の救いを多くの人から得た。そしてだれよりも、女神だとさえ思っていた彼女という人に、俺は救われたのだ。

「君が俺のヒーローだよ」

「ふふ、私にとっては、やっぱりあなたがヒーローだけどね」


 

 

 今日という一日の終わりに、ただ感謝した。

 皆んなと同じ場所で、二人で肩を寄せ合って、波の音を聞く。

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