八章 一話 ### 二十三時一分 ###

 朝通り抜けてきた地下通路を通って、我が家の庭へと出る。なんだか懐かしい様な気になってしまう。

「賢臣。今何時?」

「俺はAIアシスタントじゃないんすけど。ハクト、時間教えて」

「十一時一分ですぴょん」

 賢臣も加織と同じハクトを使用しているが、滅多に使わないらしく、加織のハクトより大人しい。

「ありがと、そういえばまだ親父はあの後どうしたんだ?」

「かおちゃんが宥めて大人しくなりましたよ。流石に身体もボロボロだったみたいですしね」

「そうか」

 あんな別れ方になってしまったが、もう実家に帰ることはできない。

 

 

 

 自宅の扉の前に立った。

「じゃあ、俺はここで見張りしてますね。あんたが逃げてかないように」

「逃げないよ」

 目を見ていうと、賢臣はフンと鼻を鳴らしたが、それ以上何も言わなかった。

 心臓がうるさい。会いたいと会いたくないが心の中で反発しあう。

 俺はドアノブを回した。


 

 

 ダイニングに入ると、見慣れた人の背中が食卓にあった。

 テーブルの上には、すっかり冷めてしまった朝食がそのまま残っている。

 

「加織…」

「英くん…」

 

 加織はスッと立ち上がる。振り向いて、こちらに流れる動作で歩いてくる。

 そして音もなく、握られていた包丁が振われた。

「うっわ! か、加織! 聞いて!」

 頸動脈を確実にかっ切ろうと、刃は次々と襲いくる。

「く…。君は俺を殺して、世界を救うつもりなのか?」

「…贄のことね。貴方も行き着いたんだ。ナガナキのログの最後の記録が中央区の膝元だったってことは、海須伊真に会ったのね」

「君の方はどこでそれを?」

 加織は一度刃を下げた。

「菊華姉さんが家に残してた荷物から神示の原典の写しが出てきたの。実は私、菊華姉さんが家を離れた後もずっと連絡をとっていて、それで原典のことを尋ねたら、いろいろ教えてくれて。駆け落ちした芒さんが研究してたみたい」

「そうだったんだ…」

「確かに、自害するか、若しくはあなたを殺して私も死のうとしていた時期もある」

「そう、だったのか…」

「でも…」

 そこで加織はテーブルに包丁を置いた。加織が改まった雰囲気になったので、俺は言葉を待った。

「あなたに黙っていたことがあるの」

 そう言って、彼女は右のこめかみのあたりに手をやった。大きく目を開ける。

「私、御印が出なくなったの」

「え…」

 彼女の右目は紫色に輝いているばかりだった。

「…それいつから? それに、でも、だっていつも出ているものじゃないし」

「わからない。けど、厄災の日からだと思う。昨日も、寝室で貴方の目には印が浮かんでいた。けれど、私、何も感じなくて。いつもだったら、貴方の御印を見ると、共鳴して瞼が熱くなるのに」

 これも昨日の時点で気がついていなかった。ここでもすれ違っていたのだ。

 ——そんな。これこそ、神示にはない事が起こっているのではないか? けれど、窓の外から見える空は、どんどんと降りてくる。

「どれだけ運命を狂わす事ができるのかわからない。あなたの後に私が死んでも、贄として役に立つのか分からない」

 俯く紫の瞳。加織は手を胸の前に置いて、指輪を触った。

 

「だから私、自分の願いを叶えることにしたの」

 

 ガタガタと家鳴りがする。縦に激しく揺れ、立っているのも困難なほどだ。重心を落として、攻撃に備える。

 ふいに、食卓の上の食器が宙に浮かび上がった。

 そして、ほぼ同時に俺に迫る。弾いてもすぐに方向転換して突っ込んでくるバターナイフや、粉々になっても殺意のこもった皿のかけら。高速で飛んできた目玉焼きを避けると、壁がべっとりと汚れた。

「君の願いってなんだ! 俺がいなくなることなの? 俺は、君に憎まれる様なことをしたのか?」

「違う、これ以上何もしないまま、見てられないのよ!」

 殺気立つ気配。予期して手近な椅子をぶん投げた。加織は念波でそれを撃ち落とす。大破する椅子。

「あなたは、私が、救うわ!」

 ぴしぴしと肌に直に感じる気迫。それに呼応して、ギチギチと家の柱が壊れそうなほどに軋み上げる。

 ダイニングと続くリビングの窓が盛大に割れた。ガタガタと大型家具が揺れ動く。すべての厄が集約されて、今発現する。今日、この世の終わりの日に。

「…!」

 俺は割れた窓から外へと飛び出た。芝生に転がって、受け身を取り、立ち上がる。

「話そう、加織! 俺、エリのところに行ってきたんだ! だけど、もういいんだ!」

「!」

 窓の近くに立って、揺れる加織の瞳。

「もういいんだ。いいんだよ、それで。俺が世界を壊したんだ。世界を救えなかったのは俺だ。俺の罪だ」

「…」

「だから…」

「良いわけない」

 ガラスの破片が耳を掠る。歯噛みして耐える。

 加織は拳を握りしめ、ふるふるとかぶりを振る。

「私は、このままでなんて終われない」

 加織はそのまま走ってきて、俺の片目めがけて拳を振るう。簡単にいなせる、弱い力。

 拳を包み込んで、逃げられない様に掴む。間髪入れずに超音波を出す前兆が見て取れたので、俺はそのまま、此方に引っ張り込んで、バランスを崩させ、後方へと背中を押す。芝生に倒れた加織はキッと俺を睨んだ。

「ご、ごめん。でも、お願いだ、加織。話を…」

「聞きたくない! 私は諦められない。このまま終わりなんて、絶対にダメ」

「…」

「お姉ちゃんみたいにすればいいんだと思ってた。宿命であろうと、魂が救われる場所があればそれで。でもそれじゃあ、私たちはダメだった。二人きりで逃げて、あの家に閉じこもっても、あなたは救われなかったじゃない」

 加織は悔しげに芝生の草を握りしめた。そして、険しい表情で立ち上がる。

「この三ヶ月、話しててもずっと上滑り。調子良く見せてたけど、いつも辛そうで。あなた気がついてないけど、毎晩うなされているんだよ」

「…」

「あなたは逃避しながら、自責に潰されている。全世界があなたを責めても、私はそんなの認めないわ。あなたにすら、認めさせたくなんかない。あなたが世界を壊したわけじゃない。壊させないから!」

「加織…」

「どうせ死ぬのなら、あなたは、英雄のまま死ぬのよ!」

 加織が俺を殺そうとするのなら、俺のため。賢臣の方がよほど加織をわかっている様な気がした。

 

「だから、ちゃんと、私と戦いなさい」

「…」

 くおんっと、加織は力の塊を手の中に作る。斜めに引き伸ばし、再びパチン、と手を合わせる。そこから生成された三日月型の念波が俺を斬りつける。後ろに下がって退避する。

「やめっ…!」

「英雄とは人から現れるもの。そして、人は神様なんかになれはしない。私たちの神様は救ってなんかくれやしないの」

 朝の手入れができなかったせいで伸びていた草が地面ごと削がれる。

「あなたは最期まで英雄のままでいて欲しい。それが私の願いだよ」

 胸に手を当てて、力強い声で言い放つ。

「だから私、悪役にだってなってやるわ。そう決めたの。英雄には悪役が要るでしょう。エリの代わりに、私があなたと世界を滅ぼす」

 そんな風に思い詰めていたとは、つゆも知らずに、俺はなんて馬鹿だったんだろう。

 再度、殴りかかられたのを受け止めていなし、彼女が反転したところを後ろから取り押さえる。

「…私一人じゃだめね、悔しいなぁ…」

「…かお」

「かおちゃん!」

 後ろから頭を狙って横なぎに蹴られる。頭を下げて加織を抱き込んだまま、前回転した。

 加織を潰さないように自分が下敷きになる。

「大丈…」

「心配してる場合じゃ、ない、わよ!」

 隙を逃さず、俺に馬乗りになった加織は俺の頭部を潰しにかかる。首を動かして直撃を避けた。地面が大きく割れ、その窪みのおかげで不利な体勢から抜け出す。

「お次はこっちっすよ!」

「おいっ、賢臣、お前少しは俺の味方も…」

「かおちゃんが悪者になるんなら、俺も悪者でいい」

「いやおい…子供か…」

 

 そこでハッとする。賢臣に気を取られ、俺は気がつくのが数瞬間遅れた。

 加織は天へと両手を挙げていた。月の力を引き下ろすように、手と手の間にエネルギーを貯める。

「んんん…ッ」

 大きく膨らむ泡に全精力を注ぐが如く、腕には血管が浮き、手の先が激しく揺れる。目は赤く充血し、たらりと鼻から血が垂れた。

「加織!」

「あなたが救えない世界なら、私が壊す」

 加織は手を下ろした。力の塊は加織の頭上で第二の月のように丸く浮かぶ。

 鼻血を手の甲で拭って、加織は俺をまっすぐに指さした。

「この時代に月花家に生まれて、私はあなたと結婚することが決まっていた。それでもあなたは私が選んだ人よ」

 その光景はあまりに美しく、言葉をなくした。

 月が落ちてくる。月が日を引き下ろす。これが神示をなぞる、決められたことだったのだろうか。

 でも、俺だって。

 

「ああああああああああああ」

 

 月を受け止める。念力も使わず、スーツを着ているとはいえ無防備な体は、まだ塞がりきっていない傷口から順にほつれていく。

「——」

 壮絶な痛み。意識が持っていかれそうになる。

 でも、これ以上下がれば、加織と過ごした家まで破壊されてしまう。それは絶対にさせない——!

「俺だって加織の事が、大ッ好きだ……!」

 雄叫びとともに力を抱きこんで粉砕する。全ては跡形もなく、消え去る。

 

「ハハ、馬鹿かよ…あれを…」

 賢臣が呟くのが聞こえたと同時に、加織が突っ込んでくる。

 膝立ちでなんとか倒れずには済んだが、対応する余力はない。彼女の手には、外へと飛ばされ出ていた包丁が逆手で握られている。

 額めがけて、白い鋒が突かれる。

 それを目の前に、俺は目を瞑った。

 頭蓋に触れそうになった直前。皮膚を少しばかり割いて、ぴたりと止まった。血が垂れて顎に伝う。

「…どうして? 生きるのももう諦めちゃった?」

「違うよ。ごめん。止めてくれるって信じてた。いつも世話かけてばかりだな」

 情けない顔をしている自覚はある。それでも、言わないままでなんていられない。

「英雄は、神様にはなれないって、言ってたろ。俺もそう思うよ。俺は何にもできない。無力だ」

 彼女の手ごと、包丁の柄を両手で包み込む。

「そうやって…!」

「ううん、ちゃんと、分かってる。出来うることなら、皆の為に最期まで理想でいたかった。苦しさを全部引き受けて幸せと安心を生み出したかった」

 瞳が熱い。俺がなんたるかを示す印。

「英雄に必要なのは悪役じゃないよ。守るべきものだ」

 加織は険しい眼差しで俺を見ている。あの日、俺に帰ろうと言った日と似ている。

「また失敗するかもしれない。けど俺、君との未来を次に繋ぎたい」

 ゆっくりと、柄を握る加織の手を開かせる。

「俺は全部を救いたかった。でも、できなかった。そして、もうできないんだ」

 加織の手から、包丁が零れ落ちる。その何も持たない片手を確かに取る。

「この世界は終わるよ、加織。俺は救うことができなかった。でも、それでも、俺は最後まで、自分がなんたるかを忘れたくない。ただ形ばかり足掻いて見せるのも、君に殺されてしまうのも、俺の終わりじゃないんだ」

 真っ直ぐに見つめ合う。

 加織は、もう片手で俺の手を包み込んだ。

「私だってそうだよ。今日で終わっても、明日がもし来ても、どっちだっていい。どちらにしたって、私は、私が好きなあなたといたい」

 瞳に宿るのは意思だけ。俺はこの人が落涙するところを見ずに死ぬのか。見たかったかもしれない。

「俺、最後をどう終えたいか、決まったんだ」

「…」

「もう大丈夫だよ」


 俺は握った手を離した。

 そして、確かに繋ぎ直して、フェンスの向こうに目を向けた。

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