六章 三話 ### 十九時 四十三分 ###       

 案内を受けて、外に出た。一人追い出されるように、俺の後ろで出口は継ぎ目もない壁の一部に戻る。

 一つだけ光を放つ月に、再び向かえ入れられる。

 誰もいなくなってから、壁にもたれてその場にずるりと座り込んだ。

 混乱していたし、疲れていた。

 そうだ。最期の日なのに、水しか口にしていない。ココアだって一口も口をつけられずに全てひっくり返してしまった。思い起こせば最後の晩餐は、昨日こっそり食後に開けたポテトチップスということになる。

「美味かったけどさ…」

 ひとりごちる。混ざり込みすぎて、何も感じられないような、それでいて、このままではいられないような混沌とした感情が胸を満たす。

「ナガナキ。なんでもいいから、音楽かけて」

「承知しました!」

 かかったのは「怒りの日」だった。俺に合わせて変化するとナガナキは説明したが、所詮はプログラム。俺の本心を探って寄り添ってはくれない。

 それでも、音楽は、特に歌詞のない曲は、俺を丸のまま包み込んで、言葉の無いただの抽象的な色の中に感情を溶かしてくれる。

 俺は目を瞑る。赤と黒と白。複雑に絡み合う、瞼の裏の色。

 高校時代に「演奏してる時ってさ、特にみんなで演奏してる時って、大音量で聴くだろ。だから、世界と遮断されるんだ。英はさ、楽器やらないからイヤホンで世界と遮断して、目を瞑って聴くといいよ」と、良仁が教えてくれたことだ。良仁は覚えてくれているだろうか。

 

 俺か加織か、どちらかが死ねば。加織が俺を殺せば。

 もしくは——俺が加織を……。

 

 暗闇の色を知覚して、ぱっと目を開けた。まわりの雑草がやけに青々として見えた。

 立ち上がって、お尻についた砂を落とした。感情が溶けて、頭が冷えてくる。

 世界のためであっても、俺には彼女を殺すなんてできない。刺されたってなんだっていいけれど、殺されることだって、やっぱり嫌だ。

 あたりを見回しても人影はない。彼女はどこにいるのだろう。

 けれど、俺が今会いにいくべきなのは、別の人だ。

 

 それに、加織の側には賢臣がいる。だから加織は淋しくない。

 だから、大丈夫。


「ナガナキ」

「ハイッ! 再生を停止しますか?」

「ううん、そうじゃなくて、ハクトをハッキングして加織の位置を探れたりしないか?」

「そんな機能は搭載していませんッ! あの小憎たらしい白兎のようにはいきませんよッ。そもそも、加織様の能力です」

「そうだよなあ」

 位置だけでも把握しておきたかった。

「ごめんな、ナガナキ。自宅の本体の方に戻っててくれ」

「コケッ…。一人で行かれるのですかッ!」

「うん。ここでお別れかもな」

「さくっと電話したらいいんですよッ。もう時間がありませんよッ!」

「それで解決したらいいんだけどな…今何時だ?」

「十九時五十分です!」

「さぁ、時間がない。その通りだ。じゃあな」

「ナガナキを長らく御愛顧くださり、ありがとうございましたッ」

「こちらこそありがとう。たくさん助けられたよ」

 それきりあっけなくホログラムは霧散する。

 その余韻に浸る前に、俺は端末を破壊した。中央区外に出てしまったので、加織にログを辿られる可能性がある。

 

 俺は自宅のある方角に背を向けた。

 そして、因縁の地へと走り出した。

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