三章 一話 ### 十二時 二分 ###    

 あれから二時間が経過して、俺は元来た道とは違うルートで、また山中を走っていた。

 殆ど無我で走り抜けてきたので、悪感はなりを潜めていた。

 なるべく獣道を選んで、突き進む。時折後方に気を向けて警戒していたが、追手の気配は感じられなかった。

 力では俺が勝るが、純粋な足の速さは賢臣の方が利がある。足止めには成功したが、賢臣が追いついてくる可能性は大きかった。しかし、現状姿が見えないということは、追跡をやめたのかもしれない。とすれば、加織と合流しようとしているか…。

 

 途中、湧き水を探し当てて、水を飲んで、顔を洗った。中に着ていた_T_シャツをたくし上げて顔を拭く。お腹の辺りがビシャビシャになって、初めて皿洗いした時に、加織に怒られた時のことを思い出した。

 結婚からしばらくして、今の家に住むことになって、初めて家事をすることになった。加織は家から教育を受けていたようで、二人暮らしでも家事に苦戦することは無かったが、俺は何から何まで初めてで、失敗ばかりだった。

「あー、会いたいなぁ」

 辻褄の合わないぼやきがつい飛び出てしまった。会いたいのに逃げている。帰れないからこそ、恋しいのだ。

 それで、これからどうしよう。俺には頼れる友人もいない。

 ——友人がいない。自分で思っておきながら、深く心が抉れるような感覚。いやいや何を考えている? 友達ぐらいいる。皆んな仲間だ。

 しかし、ふっと落ち着く為に吐いた息は、思いの外深く間延びしてしまい、慌てて口を押さえた。

「友達…」

 言葉の形だけなぞって、山中の澄んだ空気に消えていく。

「ナガナキ」

 手首を口の近くに寄せて名前を呼ぶと、声音で起動したナガナキが跳ね出た。

「何用でしょうかッ! 英様!」

「あのさ…ちょっと聞くけど、ナガナキは…俺の友達だよな…?」

「AIといえど、友達は自分で選びますッコ。そういうプロムラミングッコ。それから嘘もつけないッコケッ」

「……。はっきり言ってくれた方が傷つかないんだけど…。お前も変わった気がする。前はもっと優しかったろう…」

「ナガナキは自己学習型人工知能ッコ。英様との会話で吸収変化していくッコ」

 あとは何も言わずに黙んまりを決め込まれた。

「俺にだって友達はいるよ。…いるから!」

 むきになって一人で叫んでしまったが決して強がりではない。

 

 思い当たる人物が一人だけいた。少なくとも、俺が気負いなく、頼れる人物が。

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