二章 三話 ### 九時 三十八分 ###
光毅さんに見送られて玄関を出る。首のあたりがそわそわして落ち着かないのを気にしながら、出口まで続く回廊を歩く。
「うぃす」
「うわ、賢臣…」
黒壁近くの庭園に戻ってくると、待ち構えていたかのように、見知った人物がいた。
月花賢臣は、加織の従兄弟だ。
二十歳になったばかりで、最後に会ったのは半年前。今日も明るい茶髪を無造作風に子綺麗にセットして、洒落っ気のある年相応の服装をしている。例えば、Tシャツ一枚でも決まる男。彼は光毅さんの小間使いをしているので、本家に住んでいる。
「うわって、なんすか」
「あ、ああいや…久しぶり」
俺は慌てて賢臣から顔を背けた。彼に気づかれるのはまずい。
「あれれ。一人すか? かおちゃんは?」
「うっ…」
速攻で核心をつかれて、黙り込む。そんな俺を見て、賢臣は口の端を片方だけあげて、じっとりとした視線で俺を見た。
「まさか、喧嘩して、うちに逃げてきたとか言わないっすよね?」
「………喧嘩では、ない」
「かおちゃんを泣かすような事、あんたがしたって事ですよね? そんな奴にかおちゃんを任せてなんてられねぇな」
と、ドスを効かせた声で脅しかけてくる。昔から賢臣は俺に当たりが強い。まあ、その理由は可愛いものなのだが。
「まったく相変わらず——」
「——なんてね」
覆い被さるような声に反応するよりも前。
ビュォッという風を切る音。
「——ッ!!!」
気がついた時には、吹っ飛ばされていた。
咄嗟に腕で受けて、上段蹴りが急所に入るのを阻止していたが、痺れる感覚が腕の骨まで響く。
折角いただいた光毅さんのシャツも一緒に貰った上着も、また袖が破れて速攻で無惨な姿になってしまった。
「いっきなり…何すんだよ…! このシャツ、光毅さんからの頂き物なのに!」
「すんません、知らないフリしました。かおちゃんから聞いてるんで、あんたが一人でここにきたのは知ってました」
「え…」
という間に、地面を蹴って、賢臣に間合いを詰められた。
左脇腹のあたりがぞわりときて、左の手足で受け、そのまま返す。手応えはあったが、感触からして、さほどダメージは与えられなかったようだ。
「かおちゃんのお願いなんですよ」
涼しげに賢臣は言う。待ち構えていたかのよう、ではなく、待ち伏せていたらしい。
「加織に殺せって指示されたのか」
「いや? 殺せとまでは。昨日連絡が来て。あんたを足止めしてって、かおちゃんが」
加織は賢臣と協力して、俺を殺害する予定らしい。
「何で加織は、俺を…」
「さあ? 俺はかおちゃんにそれだけお願いされただけなんで。あとは知らないっす」
「お前な…動機くらい聞くだろう…」
「かおちゃん、あんたのこと殺そうとしたんすか?」
平然と言ってくるので、言葉に詰まる。そうだけど。そうじゃないのだ。
「お前が思ってるような理由じゃないと思…」
「じゃあ、俺が殺してもいいのかな?」
俺が言い終わるのを待たずに、賢臣はにひるに笑って威圧してきた。純度の高い殺気。しかし、すぐに纏う雰囲気を霧散させる。
「なんてね。俺が決めることじゃない。いずれ殺すにしても、勝手に殺したらかおちゃん嫌がるかもしれないし」
そんなことを言ってから、賢臣はらしくない顔をした。物悲しげな、何かを必死で我慢している子供のような表情。その表情の理由はすぐに思い至る。
「お前本当に加織が好きなんだな…」
「アンタに言われるのが本当に腹が立つ」
賢臣が加織を好きなのは、周知の事実だ。俺と同じくらい分かりやすく態度にでる。しかし、肝心の加織にはいまいち真剣さが伝わっていない。
加織は基本的に誰にでも友好的であるが、身内にはすこぶる甘く、幼少期から加織の後をついて回っていた賢臣を特別に可愛がっている。
「あんたはいいさ。ずっとかおちゃんの隣にいられるんだから。俺の方が、早くかおちゃんに出会ってたのに…」
「そりゃお前がおくるみに包まってた頃からだからな…」
その頃の写真を加織が気に入っているので、何度かアルバムを見せられた。当時二歳の加織の方ばかり見ていたから、賢臣の印象は薄いのだけれど。
「さあ、おしゃべりはここまでっすよ。かおちゃんが来る迄にもっと痛めつけておかないと」
「やめろって。それよりも俺に協力してくれないか、賢臣。光毅さんには断られちゃったけど、お前が間を取り持ってくれたら、きっと加織も…」
「はぁ? 俺があんたの言うこと聞くと思ってんすか?」
いつのまにか、賢臣はその手に砂利の礫を持っていた。
握り込んだ拳の上の一粒が親指で弾かれる。
パンッという破裂音。
俺の肩を翳めて、軌道が上の方に行ってしまい、屋敷の庇に直撃する。
「うっわ、おま…」
負傷した肩よりも庇の状態に気を取られた俺が振り向いた隙に、謙信は目の前まできていた。
堅強な足による、加減無しの蹴りが腹に入る。
「くっ…ふっ…!」
倒れ込みそうになった俺の肩を掴んで、謙信はつぶやく。
「俺の方がかおちゃんのこと幸せにできるはずなのに、なんで俺は月花なんかに生まれたんだろうな」
傷口に賢臣の指と爪が食い込む。
この家に生まれさえしなければ。その境遇だけ取れば、気持ちはわからなくもなかった。
俺だって、日色に生まれなければと思っていた時期はある。
しかし。
そんな毎日を晴らし、今もまだ俺を突き動かすのは、妻の存在だった。
「どこに生まれようと、加織をいちばん好きなのは、俺だっ!」
叫びに合わせて、俺は左手を賢臣の眼前に向けてかざした。
幾重にも重なった傷の上から幾度となく治癒修復した跡が折り重なった手の甲が目に入る。
賢臣の方は俺の掌の中心に釘付けになり、顔が緊張で強ばる。
俺は、そのまま手に力を入れて、横なぎに手を払った。
直後、今度は賢臣の体が真横に吹っ飛んだ。
俺は返す手で、周囲に向け、右に手を振り切る動作をした。
「————ッ」
賢臣は背後にあった岩のいくつかを巻き込みながら、最終的に数メートル先にあった黒壁にそのままぶつかった。
数秒後、砂埃の中、ふらりと人影が立ち上がる。
「もう二度と使わないんじゃ、なかったんすか」
「…俺だって、殺されたいわけじゃないから」
「は、本当は死にたいって顔に書いてあるっすよ」
「……」
「俺だったら、いっそのこと、かおちゃんに潔く殺される」
真顔で断言して賢臣は、鼻血を拭った。
「かおちゃんに殺されるなら本望」
いや、俺は流石に無理だ。せめて理由を教えてほしい。先に死ぬのは、嫌だ。
かおりが言ったから。それだけで全てを許容する、この男の一途な純粋さには何度も驚かされてきた。きっとこの男は、加織が死ねと言ったら簡単に命を捨てるだろう。勿論、加織がそんな命令をするはずもないが。
けれど。俺もあの白刃を素直に受け入れればよかったのだろうか。
「気持ちはわからなくもない。けど、少なくとも今、お前には殺されないよ」
俺は、片手でそこにあった石灯籠を肩より上に持ち上げた。
「ちょっと、あんた、それ…!」
「悪いな賢臣。全部お前に擦る」
この力は、日色家と月花家——そして、もう一つの家の者だけが奮える、特別な力。発現する力は人によって異なるが、基本的には肉体の増強と、念能力。
加織はサイコキネシスを得意としており、今朝はこの念力にやられて、実はいまだにダメージが残っていた。
「光毅さんに謝っといてくれ」
数年前にも加織の事で大喧嘩して家を損壊して怒られたな。なんて思い出をなぞりながら、俺は振りかぶって石灯籠を賢臣に向かって投げつけた。
「うおあ、」
賢臣は一回転しながら、宙にある灯籠の下をくぐり抜ける。硬い石の塊が、更に硬い壁にぶつかって盛大に砕けた。
「あんたの方が派手にやってんじゃないすか!」
確かに。光毅さんに直接謝れない事が心残りになるだろう。
「————ッ!!!」
賢臣は、そこで気がついたようだ。
自分の頭上に庭石の大群が浮遊している事に。
こういう時決め台詞の一つでもあったら派手でかっこいいのに。だけど、言葉によって何かを操るのは、この世界において、神の御技だ。
なんてことを思いながら、左手を上げて、手首だけを前に倒し、賢臣を指差した。
それを皮切りに、隕石のように賢臣に向かって庭石が一斉に降り注ぐ。
「くっ…——」
雨霰のようにぶつかってくる立石を受ける賢臣。
正面の大岩を脚で蹴り割った直後、逃さぬように別の小岩で追撃する。あたりに割れた岩が散乱した。加織には物理攻撃も当たることなく防がれるだろうが、肉体強化系の能力しかない賢臣には有効な攻撃だ。
俺は右手を攫うように振るう。次にかき混ぜるように空間に渦巻きを描く。それに従って、玉砂利が賢臣を荒々しい竜巻に姿を変えて取り囲む。
「——————…!!!」
玉砂利の乱打に苦悶の声が上がる。
そして、視界の効かない彼は気がつかない。気がついた頃には遅いはずだ。
賢臣の周囲に円を書くように、次々と縦に積み重なる岩。避けられたもの、蹴り割られ散乱したもの。大小様々な岩は急速に組み上がり、賢臣の身長を超えていく。
それはドームのように、賢臣の周囲を覆い尽くした。
「!」
そして遂に、賢臣は庭石でできた岩室の中に完全に取り込まれた。
中からの破壊が間に合わないように、続々と庭の石を集めるように操作していく。光毅さんの自慢の庭園が見るも無惨に穴ぼこだらけ。加織だけでなく、光毅さんにも殺されかねない。
「おい、出せって!」
低い位置から声が届く。押しつぶされたことで、足を折って態勢を低くせざるを得なくなったのだろう。
「じゃあなっ! 光毅さんによろしく!」
「あ、クソッ! 待て!」
そろそろ光毅さん達が騒ぎに気がつくだろう。早々にこの場を立ち去らなければ。
岩壁の隙間から悪態が漏れ出る。
「あんたの帰る場所なんて、どこにもないだろ!」
「——」
俺は、背後からの声に突き刺されて、仰反るに立ち止まった。反動で、がくんと、猫背に俯き、膝に手を当てて踏みとどまる。
どくどくと存在感を強める胸の音。
朝日に照らされた、白い白刃を再び想起した。
しかし。
俺は逃れるように、振り返る事なくひた走った。
屋敷の門をくぐり抜け、黒壁の横を駆け抜ける。
汗がだらだらと吹き出し、悪感に胸が痛んだ。
次第に閉じ込めていた記憶が情け容赦なく、頭の中を埋め尽くしていく。
肩の傷の痛みなど、どうでもよかった。矛盾も事実も全てを拒否して、纏わりつくものを振り払うように、ただ疾駆した。
——帰る場所なんてどこにもない。
その通りだ。俺は今日、唯一の帰る場所を失ってしまったのだから。
加織は俺を殺そうとしている。賢臣を使ってまで、確実性を高めようとしている。最悪だ。俺は加織にずっと疎まれていたのだろうか。ならば、いつ嫌われてしまったのだろう。
思い出す加織の表情は笑顔ばかりだった。
彼女は泣かない。感情がないわけではないが、弱みを見せたり、負の感情を表立って表す人ではない。それは生まれたのが月花家だったからかもしれない。いつも毅然とした態度で俺のサポートに徹してくれていた。
俺には加織しかもういないのに。なのに。
二人で暮らしたあの家から離れれば離れるほど、戻りたくないあの頃に逆もどりしていくような気がする。
ここで加織を待って、会えばいいのかもしれない。
けれど、決定的な言葉を受け入れるにはまだ時間が足らなかった。
「私たちには時間がない」そう言った彼女の目には真摯さがあった。それでも、覚悟を得る時間が欲しかった。
重い足を力任せに動かす。疲労と心労で思考はおぼつかない。
白けた脳は現実を拒否するために、幸せな記憶を手繰り寄せる。
加織と過ごしたあの家は、楽園だった。そして、シェルターでもあった。幸せでいられた。永遠に続けばいいとさえ思った。
閉じた世界で二人きり。
「加織…」
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