二章 一話 ### 九時 零分 ###

「コッコッコッコケー!! コッコッコッコケーーー!! 九時ですッ! 庭の手入れをしてくださいッ! 九時ですッ! コッコーーー!」

「うわわ、びっくりした」


 俺は山中をたった一人疾走していた俺は、驚いて足を止める。

 日課のために端末のセットしてあったアラームが定刻通りにけたたましく叫んだのだ。すっかり忘れていた。


 腕についた端末のボタンを押すと、マスコットキャラの〈ナガナキ〉のホログラムが飛び出すように姿を現した。ナガナキは一般に普及している生活支援AIアシスタントだ。鶏冠がナガナキのやたら高いテンションに合わせて、真っ直ぐ立ち上がる。

「時間ですッ! とッととイチャつくのをやめて、さッさと庭に出てくださいッ」

「生憎、いちゃつきたくても加織はいないよ…」

「ンンッ?! コケッ?! どうしたんですか、ココッ庭じゃないじゃないですかッ! どこですかッ、ココッ」

「北第五地区のはずだよ」

 ほとんど崖のような傾斜のある道、獣の通り道と、道なき道をひた走ってここまで来た。

 地区間の境には関所や塀など目印はない。よって、肌に張り付くような冷たさの外気温から推測した答えを返す。

 今住んでいる家のある北第一地区は、北部とはいえ比較的穏やかな気候の地域だ。その為、長袖といえど羽織がないということもあって、余計に寒く感じる。

 それにしても、今は九時ということは、かれこれ三時間近くも山を越え、森を進んだようだ。

 目的の場所がある、北第五地区。

 だいぶ時間がかかってしまったが、山道を自分の足だったのでこんなものだろう。

「コケッ!? ヒデ様! その腕は! 首の傷は! いかがされましたカッ!」

「……ああ、それが…——」

「コケッ!? 加織様が!? 好きすぎて永遠に私のものにしたいとかそういうアレですカッ!?」

「だっよな、一回そう思うよな! 加織ってちょっと思い詰めすぎるところとか、俺のことが好きすぎるところ、あるし! だけどなんかそれとは違うみたいなんだよ…」

「気持ち悪いくらい相思相愛ですからねッコケッ」

「気持ち悪いは余計だよ…」

 今まで、痴話喧嘩すらしたことなかったのに。加織は俺を子供のように嗜めたりはするが、責めたりはしない。

 なのに。なのに。あんなことを言われるとは。

「なんか、その、違うみたいなんだよ、とにかく」

「というと?」

 下顎を突き出して、下を向く。あまり、口にしたくなかったが。

「……今のあなたは好きじゃないって言われたんだ」

「今までずっとそう思ってたんじゃないですカッ」

「そんな事ないって!」

 ——確かに堪忍袋の尾が切れたとは言っていたが…いや、そんなことはない。

 毎日笑いかけてくれた加織の笑顔が全て嘘だったなんて思いたくはなかった。

 そういえば、ナガナキの指摘で首の傷の状態を確認しようと首筋に触れ、探る。

 そして、首に違和感があるのに気がついた。

 あるべきものが、ない。

「嘘だ………………指輪が、ない」

 いつもは銀のチェーンに通している結婚指輪が無くなっていた。

 指につけているのは何かと不便なので、代わりに肌身離さず身につけられるように首にかけていたものだ。

 頭からさぁっと血の気が引いて、内臓まで冷えた。

「うっわ…ナイですッ! それはナイよッ!」

 AIに、それもニワトリにまで言われてしまった。

 思い返せば、加織に首の当たりを狙われた時、何かがちぎれたような感覚はあった。走っている最中に落とした可能性の方が低いことは幸いだ。

 俺は慌てて来た道を振り返った。道の向こうは木々に埋もれ、その奥に険しい山々が崛起している。

 加織は、俺を追ってきているのだろうか。

 俺は足元に視線を落とし、行く道の方に視線を向けた。

「ナガナキ。エロイカ、かけてくれる?」

「承知しましたッ!」 

 

 

 

 現実から離れるように、音楽に包まれ、俺は一歩、踏み出した。

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