第12話 小さきものの大きな決断

 …どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 これまでにリリィが生成した《治癒の輪》は百を超えてから数えてはいない。


 そんな気の遠くなるような回数同じ動作を繰り返したおかげで、《治癒の輪》を作り出す速度はもはや刹那の領域に達していた。


 けれど、けれども…

「…これ、どうやったら小さくできるの〜??」

 規模の縮小だけがどうしてもできなかった。


 大きくするのは簡単だった。ただ単に魔力の線を太くして大きな輪を作ればいいのだから。

 だが、これを小さくするとなると話が変わる。


 そもそも《治癒の輪》を作り出すときの魔力線は実に細く、さらにはその操作方法は緻密、精密を極める。才覚に溢れる芸術家が生涯を賭して作り上げた作品かのごとく精緻(せいち)なそれを、さらに小さく細やかなものに仕上げるのは至難の業であった。


 人の頭よりも少し大きな《治癒の輪》を口に入るほどに小さくするということは当然、それを構成するための魔力線もさらに細くしなければならない。


 そう、現状でさえ髪の毛よりも細いこの魔力線を、さらに、細くするのだ。

(いやいや絶対に無理だよ。もうかなり輪っかを作るのには慣れたけどこれは無理だって)

 もはや人の技術で出来ることなのだろうかとリリィは訝しんだ。


 フェルは魔法の術式やリリィの異能を水路に例えたが、これはその水路を改良するために必要な工具がないような状況だ。道具がなければ何もできない。


 完全に詰みとなった現状を嘆いてか、リリィは無造作に《治癒の輪》を作っては砕き、作っては砕きを繰り返しながら思考を巡らせる。


 パリィンと何度も心地よい音が鳴り響くが、彼女の心は曇天模様。これを晴らすにはどうしたものか…


 ここまでさんざん作ってきてわかったことがある。それはこの異能の構成方法だ。

《治癒の輪》は外側にあるガラスのように透明な輪と、その内側にある治癒の効果をもたらす光の輪の二つで作られている。工程としては透明な輪を生成した後に、その内側に光の輪が出来上がるのだ。


(あ! そういえば片方だけを作るのは試してなかったかも…)

 リリィはそう思い至るとすぐさま行動に移す。まずは透明な輪を作ってみることにした。


 するとリリィの手のひらにカラン、と小気味いい音を立ててガラスのような輪っかが落ちてきた。今までは銀色の光が邪魔をして細部までは見えてはいなかったが、こうしてみると本当にガラス細工のようで、趣きのある美しさだった。


 何か装飾が付いているわけでもなく、遠目から見れば本当にただの輪っかなのだが、よくよく見れば何かの花を模したような文様が施されており、もしこれが店に置かれていれば注目を浴びること間違いなしと言えるほどの素朴な美しさがそこにはあった。


 とはいえガラスのような輪は何の用途にも適さなかった。投げてもただ壁や床に当たって割れるだけ。試しに右手で握って左腕に思い切り振り下ろしてみても、何の感触も残さぬまま塵と消えた。


 これでは何の意味もない。やはり《治癒の輪》において重要なのは光輪の方なのだろうか。


 そう思い至り、光輪だけを作ろうとしてみたのだが、これがまた困難を極めた。何度挑戦しても上手くいかない。


 いや、厳密に言えば作ることならば成功している。だがそれがすぐさま周りに銀の粒子を散らしながら空気に溶けてしまうのだ。これでは人の口腔に入れる操作などする暇がないだろう。


 そもそも光輪の部分は外側のガラス輪を砕いたとき瞬く間に拡散していたことを思い出す。本当に今更だが、ガラス輪の部分は光輪の拡散を防ぐ容器の役割を果たしていたらしいと気付く。


(やっぱり片方だけを作るのは意味ないのかなぁ。作業量は半分になって楽になるけど)

 そうしてまたリリィは意味もなく《治癒の輪》を作っては砕きを繰り返している。何か考え事をしているときにペン回しをしてしまうようなものなのかもしれない。


 完全に行き詰まってしまったリリィを見かねてか、フェルはこう切り出した。

「今日はもうここまでにしましょう?焦ってもいいことはないですし、何より、発動までの時間短縮は上手くいっているんですから」


「それにボクとしてはここまで上手になるとは思ってもみませんでしたよ。時間短縮だけでも数日はかかると思ってたんですから」

 それは紛れもなく本心だった。フェルの予想では《治癒の輪》の発動時間短縮とサイズの縮小化の二つを達成するにはどれだけ少なく見積もっても一ヶ月はかかるだろうとふんでいたのだ。


 けれどリリィは片方だけとはいえたったの数時間で成し遂げてしまった。もちろんサイズを小さくするよりも簡単なこととはいえこの成長速度はもはや異常だった。


 軍に入り魔法を覚えた才ある人物が、それを一瞬で発動出来るようになるまでにかかる期間は十日ほどだという事実を鑑みれば、リリィの現状がどれだけ常軌を逸しているかがわかるだろう。


 さらに言うならばリリィは魔法という技術が発展した世界で生まれてはいない。魔法や魔力というものに初めて触れてからまだ二日目なのだ。

 才能に恵まれているだとか、センスが卓越しているだとか、そういう表現に収まりきらない何かを感じてしまうのも無理はない。


 ここまでずっとフェルが言葉少なに見守っていたのは、もちろんリリィの集中を邪魔しないようにという考えからではあったが、同時にリリィのその才に驚愕の念を抱いていたからでもあった。


 だがそんなフェルの褒め言葉を彼女はお世辞と受け取ったのか、不承不承といった様子で提案を受け入れる。

「うーん、まあそれもそうだね。そこまで急ぐ理由もないしあとはゆっくり休もうかな」


 時計を見てみるとどうやら二時間も熱中していたらしい。《治癒の輪》を連発していたおかげで肉体に疲労感はないが精神的には疲れているような気がする。


 治癒に関しては万能だと思っていたこの異能も流石に心の中の疲れまでは取り除けないのかもしれない。そう考えるとまだまだ深く掘り下げることができそうだ。


「んー、疲れたけどやっぱりこういう細かい作業って好きだなー!」


 〜〜〜〜〜〜


 先ほどまでとは打って変わって晴れやかな表情を見せる彼女に、フェルは言いようのない不安を覚えた。


(なぜ、こんなにも普通でいられるんですか……?)


 今までも何度か違和感を感じてはいた。

 最初に聖女になって欲しいと依頼をした時、あっさりと家族や友人との繋がりを断ち切ることを選択した躊躇のなさ。その時はただ、何か不満を募らせていたのかもしれないと思うだけだった。


 しかしその後も、自分の容姿が変わったことを簡単に受け入れたり、慣れ親しんだはずの名前をあっさりと変えたりと、自身の過去に対しての執着のなさも見られた。

 この時はまだ、自身に対しての関心の薄さは個性の一部だと勘違いしていた。


 町に着いてからのリリィといえば、まるでテーマパークに来た子どものようにはしゃいでいたのも印象的ではあった。思い返せばこの世界の技術に触れた時だけ年相応の反応をしていた気がする。


 だが極め付けはゼレーナの「ガドルとマーナは母親と話したくないなんてを思っていたわけじゃない」というセリフを聞いた時の反応だった。


 その言葉は、家族との離別を決断したリリィの行動を否定するに等しいものだった。ゆえにこそ哀しみにしろ怒りにしろ、彼女が感情を表に出すだろうと思っていた。そうなった時に支えになれるように言葉をかけるつもりでもいた。


 …けれど、それでも彼女はゼレーナに普通な様子で返事をするだけだった。ほんの少しの悲しさを滲ませながら。

 その時、彼女から漏れ出るように滲んだ悲しさが、フェルは忘れられなかった。


 フェルはリリィのことを詳しくは知らない。【彼】の資料にも簡単なプロフィールが記載されていただけ。それ以上はたとえ上位生命体でも勝手に調べることはできない。


 下位界に干渉する際の制限として禁止されているが、そもそもプライバシーへの配慮に欠ける行動をとるわけにもいかない。


 リリィの過去に何があったのか。それはわからないけれど、あんなにも寂しく悲しい思いを胸に秘めているのかと思うと居ても立っても居られなかったから、フェルは行動を起こした。


 それが魔力操作の練習だった。本来ならばもっと落ち着いてから切り出す予定だったのだ。


 ただでさえ乾いたスポンジのようになんでも吸収するリリィに、調子に乗ってあれやこれやと教えていたのはフェルの失敗。

 そんなリリィにさらに詰め込もうとすれば彼女としてもたまったものではないだろう。


 ここらで無理難題に直面して、フェルを糾弾するまではいかないものの「ちょっとフェルちゃん、こんなの出来ないって!」なんて言ってくれたなら彼女も気安い態度を取れるようになるかと思ったのだ。


 そうなってくれればフェルも「ここの魔力線はこうしてですね……」という風に助言をして、お互いに頼り合うことのできる関係を構築出来るかと思ったのだ。

 そうしてゆっくりと目標を達成できれば、互いに信頼感が芽生えてゆくだろうとも。


 しかしそれが間違いだった。

 彼女は、そんな無理難題すら乗り越えようとしてしまった。事実、提示した二つの条件のうち片方だけとはいえ達成してしまったのだ。


 フェルの想定した達成不可能な条件は、リリィにとってはただの困難な条件でしかなかった。思惑通りにいかなかったことよりも、彼女がたった一人でなんでもやり遂げてしまうことの方が悔しかった。


 きっと彼女はフェルの期待に応えようとしてくれたのだろう。しかし今回ばかりは、今回だけはほんの少しでいいから弱音を吐いてほしかった。


 それはあまりにも自分勝手な願いなのだ。今までさんざっぱらリリィの強さを頼りにしてきて、今になって相手にも頼って欲しいなんて虫のいい話だ。


 そんなことは理解している。しかしフェルとしてもきっとリリィは弱音を吐いてくれると、きっと頼ってくれると思っていたのだ。なぜならば、彼女の肩には他者の命という果てしなく重いものがのしかかっているのだから。



 リリィは善良だった。誰かのためになるように行動していることが見てとれる。


 けれど彼女自身だってストレスを抱えているはずなのだ。元から自分の環境に不満があったであろうことは今までのやり取りからも推測できる。


 その上、異なる世界、異なる生活、異なる技術。そんなものを立て続けに見せられてストレスを感じないわけがない。


 さらには魔力循環不全症候群を患ったカナリア。間違いなく、この世界で治療できるのはリリィだけだと断言できる症状を持つ患者に出会った時も、彼女はカナリアのために、そしてその家族のために異能を振るった。


 それは命に触れる行為だ。その時カナリアの命の重さは確実にリリィの心にのしかかっていたはずだ。


 だが、彼女は生命の重圧を知ってか知らずか、いとも容易くカナリアの命を救い、その事実に達成感と満足感に満ちた表情を見せたのだ。

 リリィは心底から、カナリアを救い出せたことを喜んでいた。


 そう、まるで自身にはストレスなど微塵もないかのように喜んでいた。そのことが、なによりもフェルの心をきつく締め付けた。


 止めるべきだった。間違いなく。リリィのことを思えば、ガドルやマーナの想いを多少無視してでも後回しにすれば良いと助言すべきだったのだ。


 けれど、彼女の決意を固めた表情に気後れしてしまった。

 一瞬だけ、その覚悟を邪魔してはいけないと思ってしまった。


 しまった、と感じた時にはもうカナリアを救った後だった。


 リリィに《治癒の輪ヒーリング・リング》のことを伝えるのはもっと後でよかったと深く後悔した。そうしたら、彼女が他人の命を背負うこともなかったのに。


 もしくは下位界への過干渉規制に違反しようとも、ガドルとマーナの家庭事情を詳しく調べていれば未然に防げたのかもしれない。


 考えれば考えるほどドツボにハマってゆくようで、もう手遅れになってしまったことを再確認するのみ。どうしようとも事実はひっくり返ることはない。


 だからこそ、後戻りはできないのならば、とフェルは思い至ったのだ。

 リリィは、彼女は、他人の命を救ってみせた。他者の命を軽んじるような言動は一度として見られなかったのだから、その両肩にはカナリアの命が確かにのしかかっていたはずなのだ。


 意識していようがいまいが、リリィの背には、カナリアの命が重荷としてのしかかっていたはずだった。

 ならばその重さに耐えかね、弱音の一つでも吐くだろうと思い込んでいた。


 本当は、リリィの過去を直接聞いた方がいいのだろうけれども、不用意に踏み込んで彼女の心を蔑ろにしてしまう可能性もあった。


 なにより、出会って二日目の小さな狼に何もかもを打ち明けてくれるはずもなし。だからこそ、少しばかり回りくどいやり方で彼女の重荷を肩代わりしてあげようと思ったのだ。


 全てを解消するとまではいかないものの、フェルに対しては肩の荷を下ろして接してもいいのだと、そう思ってくれれば充分だった。


 そうしてフェルは魔力操作の練習をしないかと誘った。


 しかし結果は上述の通り、何一つ上手くはいかなかった。彼女は何もかもをその細い体で背負い込み、さらにはフェルの期待に応えようと全力で頑張っただけ。


 本当に全てが今更で手遅れだった。

 彼女の異常性に気付かず個性だと思うことにしたのも、彼女の適応力の高さに甘えて色々なことを教えすぎたことも、そして彼女が他者の命に関わり、その末に命を救うという重責を果たしてしまったことも。


 全て、フェルの不徳こそが招いてしまった事態だ。


 そしてなによりも問題なのが、そんな彼女が普通の様子で過ごしていることだ。

 これほどの異常性を持ちながら、至極普通に過ごしていることのアンバランスさが、もはや恐ろしい。


 さらに付け足していうならば、彼女の人間性から目を逸らせば、今までの行いの全ては聖女として何一つ間違っていないというところがまた不自然だった。


 人を救い、人を助け、人の命を守る。そんな役割を担って欲しくてこの世界に連れてきたのは事実だ。


 けれどもその行いにはこのような但し書きが付いてしまっている。

 ただし、誰にも頼らずに。と。


 それがなによりもどんなことよりも間違えているのだ。

 どうしてそこまで、たった一人でなんでも終わらせてしまうのか。


 その姿があまりにも寂しくて、あまりにも悲しくて。どこまでも孤独で、どこまでも優しい。


 彼女の不自然さや不安定さはきっと、いや間違いなく生来のものではない。こんな性質を持って生まれてしまえば、自己の心を破綻させ、自らを害してしまうだろうから。


 リリィの、【彼】の人生が、周囲の環境がそうさせたのだ。

 その事実を受け止めた上で、自分にできることはなんだ?


 何でもかんでも乗り越えて、自分で背負おうとしてしまう彼女のためにしてあげられることはなんだ?


 きっとこれからも彼女がフェルに頼ることはないだろう。それどころか、誰にも弱い部分を見せることはないかもしれない。


 ならば、それならばせめて…

(せめて、ボクはリリィさんの友だちに…!)

 絶対に裏切ることのない友になろう。リリィと心底から笑い合える友になろう。

 その笑みが、きっと彼女の心を癒してくれると信じて。


 それが、小さな狼の、大いなる決断だった。


 ※お知らせ。この話で小説になろうストックは終わりです。ここからは不定期更新になりますのでお気を付けください。

 あと、今は他の作品も書いてます。よければそちらもどうぞ。

 タイトルは『ここは噂の奇跡屋さん』です。

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