第9話 それはすごいこと

 その後、リリィはフェルと共に時間通りに来たマーナと合流すると、昨日散々大きな見た建物へ入ってゆく。

「こちらがリリアナ様の個人情報に関する同意書です。しっかりと目を通してからサインしてください」


 それの内容を確認し要約すると、リリィの体の定期的な検査とその結果報告、研究に必要な情報の提供、元の世界の情報の詳細をある程度公開すること、そしてリリィ自身の存在をプライバシーに配慮した範囲で世間に公表することの許可が欲しいというような旨の書類だった。


 そもそもリリィにはこそこそと隠れてフェルたちからの依頼を達成できるほどの手腕はないし、世界に一人だけの来訪者を誰にも知られずに隠し通すことの苦労は推して知るべし。


 それにきっと自分のことが知れ渡った方が、まだ見ぬ英雄くんも見つけやすいだろうとも思った。この書類自体に不審な点は見受けられないし、もしもこういう事に明るくないリリィが不利益を被るとして、その時はフェルたちがなんとかフォローしてくれるだろうと楽観的な算段があったのもあり、リリィはあっさりとその書類に名前を書いた。


「そして、こちらの書類も受け取ってください」

 サインを終えた時に、マーナから一枚の紙が渡される。

「この書類はなんですか?」


「これは万が一、私や町長、情報を得た研究者によってリリアナ様にとっての不利益や実害が発生した場合に使用する書類です。大事に保管しておいてください」


 端的に言えば、裁判で使用できる書類だそうだ。リリィが情報という利益を与える代わりに、その管理を怠った場合のペナルティを支払わせるための切り札というわけだ。


 この世界の人間にとって、初めての並行世界出身者がもたらす利益は研究という点において計り知れないものがある。その情報を聞き出すのだから、相応の対価が必要になるということなのだろう。


 ハイリスク、ハイリターン。別にここでリリィを騙して利益だけを得ることも出来ただろうし、この世界の権力者が束になれば、リリィの抵抗など虫の鳴き声よりもか弱い存在だ。揉み消すことも造作もないのかもしれない。


 けれども、それは賢明な判断とは言えない。もしリリィが元の世界と通信する技術を持っていたら?もし見知らぬ世界の文明が進んでいて、今すぐにこの世界を侵略するようなことが可能だとしたら?そうでなくとも、世界を超えるような人物に対して実害があれば何かよくないことが起こるのでは?というある種の迷信めいた想定すら切り捨てることができないのだ。


 そうやってあらゆる状況を考慮して、今ここでリリィを害するような真似は今後の事態に悪条件が追加される可能性を捨てきれなかったという線が濃厚だ。初めてだらけの異世界外交。ここで下手を打つわけにはいかないだろうし、そういう諸々の事情を加味した上での慎重な判断だと言える。


 そこまで考えて、リリィは、

(元の世界との繋がりなんてそもそも今の私には無さそうだけど…)

 と思案する。世界を超えた手段は上位界とかいう世界に住む生き物による技術であるし、性別も変わっていて、そもそもリリィには元の世界との接点など、もうほとんどないのではないか。


 フェルの言う神様とやらの仕業であるこの世界間移動が、下位界の知的生命体に易々と解き明かせるとも思えない。自分のできることと言えば、せいぜいが日本という国と記憶に基づく科学技術のざっくばらんな説明だけ。


 異世界からの来訪者として過剰に期待されているであろう事に、申し訳なさを感じずにはいられない。こんな書類まで用意してもらったのに、この世界の文明に利益を与えられそうにない事に、リリィは心の中で頭を下げるのだった。



 その後、昨日と同じ道をマーナ、ガドルと共に歩く。目的地は病院だ。

「昨日のは身体検査で、今日行うのは精密検査です」

 そう言ったのはガドルだったか、書類云々が終わるとすぐに移動を開始した。


 病院に入り、受付を終えるとゼレーナがリリィに手を振りながら近づいてきた。

「やっ、昨日ぶりだね。知ってる人の方がいいと思って今日もあたしが検査を担当するよ。よろしくっ」

 緑色の髪、尖った耳を惜しげもなく晒しながら、朗らかな笑みを見せるゼレーナにリリィも頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「うん、お願いされたよ。リリィちゃん」

 おどけるゼレーナには楽しそうな雰囲気が漂っていた。


 昨日と同じように、フェルはマーナに預け、一行は病院の奥の方へ移動する。

 見えてきたのは大きな部屋。入って左側に何やら機械的なものが多く並べられており、その付近にはSFチックな空中浮遊ディスプレイが列を成している。


 そして、壁には綺麗なガラスがはまっていて、隣の部屋がよく見える。察するにそちらの方に患者が入って検査をするのだろう。ドラマなどで見たことがある。


 気になる事に、昨日の検査の部屋とは違ってその中には複数の看護士がおり、その全員が女性だった。

「一応、今日のは精密検査だからね。それなりに人が必要だったんだ。それと、全員女の人だから何も気にすることはないさね」

 ということなのでマーナと町長にも、部屋の外で待ってもらっているのさ、と胸を張ってゼレーナは告げた。


 なるほど、リリィへの配慮というわけか。正直リリィにとっては男性だろうが女性だろうが、この肉体を見られる事に嫌悪感はないが、もしかしたらリリィの美貌に目を奪われ、襲いかかってくることもあるかもしれない。


 男としての目線から鏡を見たあの衝撃は未だに記憶の中に残っている。そういう危険性がないとは言い切れないような容姿をしているのだから、気を付けるべきなのだろう。

 万が一に備えたゼレーナの配慮は、そう思えばありがたいものだ。


 リリィは素直に礼を言う。

「ありがとうございます」

「いやいや、年頃の娘の無防備な姿をおっさんに見せるわけにはいかないからね。女の人の検査の時は絶対こうしてるのさ」


 それはそうか。誰も自分の体を異性に見て欲しいなんて考えないだろう。そう考えつつ、リリィはゼレーナに言われるがまま、着替えるための部屋へ移動する。

 どうやら二つではなく、三つの部屋が繋がっていたらしく、そこには一人の看護士が立っていた。


 年の頃は30代そこそこ、頭から垂れ下がる髪は静謐な水色で、瞳は黒。顔立ちは綺麗でも不細工でもなく、特徴もなく普通といった感じだ。


「それでは下着はそのままで構いませんので、こちらの服を着て隣の部屋へ入り、ベッドに寝てください」

 看護士の指示を受け、白いローブを脱ぎ、薄い素材の淡い桃色をした患者服を見に纏い、ガラス越しに皆が確認できる部屋へと入る。


 その部屋はさっきの機械的なところよりかは広く感じられる。壁は淡く緑色に染められており、そのおかげでなんとなく森の中を想起させる。


 中央にあるベッドはなんというか、近未来的なフォルムをいていて、ある種の威圧感すら感じる。

 ゴツゴツとした外見はもちろんのこと、どちらが上でどちらが下かわからないようなデザインをしていて、もしもこれにガラス製の扉でもついていればコールドスリープ用のポッドと勘違いしただろうなという印象だ。あるいは物語に登場するマッドサイエンティストの基地にありそうな培養槽に見えなくもない。


 なんて、少しばかり失礼な感想を抱きながら、その中に横たわる。

 すると、リリィの存在に反応したように、そのベッドごと大きな円柱のような何かが囲う。


 目を凝らしてみると、それは水色の電気回路のような模様を浮かべながら緩やかに回転を始め、その視覚情報は、もしこれからタイムトラベルを開始しますと言われても信じてしまいそうだ。

 そんな光景を目の当たりにして、リリィは興奮を落ち着けることに集中する。


 そして、隣の部屋にいるゼレーナの声が響いてくる。

『それじゃあ、あんまり動かないでね。そんなに時間はかからないから』

 スピーカーでもあるのか、天井の角からそんな言葉を聞くと、リリィとベッドを囲む水色の円柱はほんの少し光を強めた。


 次いで、リリィは周囲の円柱から魔力の線がいくつも伸びるのを確認した。リリィとベッドをもろとも貫通し、上下左右、縦横無尽に交差するその光の線は、淡く穏やかな水色の輝きをたたえながら、目でも追える速度で円柱ごとゆっくりと回転を続ける。


 するとリリィは理解する。この魔力の線、これは魔法陣だ。昨日の身体検査とエレベーターで見たようなこの光。あれとは異なり平面ではなく立体に重なり形を成した魔法陣だと、直感的に理解したのだ。


 冷静に考えれば、最新の魔法技術であるのだろうから、そこに帰結するのはなんらおかしなことではないけれど、平面ではない立体の魔法陣という事実が、リリィの驚愕を誘う。


 夜空を飾り立てる星の輝きのようで、あるいは芸術家が繊細な色使いで作り上げる美しい絵画のようで、目を奪われてしまう。まるでそれを1秒たりとも見逃さないという意思でも宿しているのか、リリィの目は、瞬きもせずにじっと立体魔法陣を見つめ続ける。


 ゆっくりとベッドを回ったその円柱はどれぐらいの時間稼働していたのだろうか。見惚れてしまってほんの一瞬のようにも感じた。

 もう一度やってくれと言えば稼働してくれるのだろうか、とリリィはそんな傍迷惑なことを考えてしまう。


『よし、オッケーだ。お疲れ様。起き上がって着替えておいで』

 美しい光景を網膜に焼き付けた余韻を、無粋なスピーカーの音が遮る。

 致し方なし、リリィは着替えるためにベッドから降り、扉を開けた。



「よしよし、ちゃんと作動したみたいでよかった。これの結果はすぐには出ないからね。明日まで待ってて」

 着替えを終え、観測室のようなところでゼレーナと向き合って座っている。ガラスを越えた向こう側にさっきまでリリィはいたのだという実感が湧かないのは、周囲を見渡すと視界に入るディスプレイのせいだろう。


「できれば昨日の時点でこれをしたかったんだけど、無料期間中には使えなくてね。とっても高価で一回の使用料金がバカみたいに高いんだ、これが」

 戸籍登録後の1ヶ月だったか、さすがにここまで大掛かりな装置は無料とはいかなかったらしい。


「だから正規の方法で使用できるように手続きをする必要があったんだ。面倒で困るよ、ほんと」

 もしかすると、昨日ガドルがまだ仕事があると言っていたのはこれの手続きに手間取ったからではないだろうか。いや、十中八九そうだと思う。

 別にリリィが悪いわけではないが、なんとなく申し訳ない気持ちが出てくる。あとでガドルにはお礼をしようと彼女は決意した。


「まあ、そんな世間話はどうでもいいか。さっきも言ったけど、結果は明日出るから今日はこれでおしまい。手続きとか面倒なことも町長が終わらせてるから気にしないでおくれ。それじゃあまた明日、今日と同じ時間でね」

 最後にそう言ってゼレーナはリリィに席を立つよう促す。手元でなんらかの操作をして空中の画面を見つめている様子からまだここで作業があるようなので、リリィは扉の前に立つ。


「ありがとうございました」

 ゼレーナが数秒画面から視線をずらしこちらを見て、笑顔で手を振る。リリィも同じように手を振ってから退室する。



「終わりましたか。どうでしたリリアナ様」

 よほど結果が気になるのか、ガドルが心配そうに聞いてくる。その心配を無用だというかのように、笑顔でリリィが、

「大丈夫です。結果は明日わかるそうなので今日のところは帰ってもいいそうです」

 と返すと、ほっと息を吐いた。


 次いでマーナが、

「でも、もう現時点でできることは無いんですよね。とりあえず、いったん役場に戻りますか」

 と三人と一匹は移動を開始する。



 昨日レポートを書くために入った部屋で三人はソファに埋もれるように腰を下ろす。

「今のところはできることが終わってしまいましたので、今後の事について話をさせていただきます」

 ガドルの落ち着いた声が鼓膜を響かせる。


 彼の言によると、この世界でのリリィの人権は容認されることになる見通しで、報道機関への公開も数日後に予定されているのだそうだ。

 その際にリリィがその場に出るかどうか、自由に決めてくれを言われたので、出てみる事にした。どちらにせよ、どうせ外見も映されるのだろうから報道のカメラに収まってみるのも一興だと考えたのだ。


「そうですか。ならそのように伝えておきましょう」

 次いで、リリィには自由が保証されると彼は言った。それは住所の自由、職業の自由、そして望むならば教育を受ける権利も与えられるのだという。


 人権に基づく自由は全て保証されるのだそう。そこまで聞いてから、リリィの脳内に可愛らしい声が届く。

『リリィさん、リリィさん』

(どうしたの?フェルちゃん)

『ここで、この世界を救う使命があると言ってください。リリィさんの能力を見せれば納得しますし、このタイミングを逃せば言い出すことが難しくなりそうです』


 うっ、と口の中で苦悶する。

 そんなリリィの様子を知ってか知らずか、ガドルが捕捉を付ける。

「実際、研究の協力によってそれなりの金額が支払われますし、世界にとっての賓客とも言える立場なので、複数の国から生活援助として多額のお金が回ってくるでしょう。なので職業の自由に関してはそこまで深く考えなくてもいいかもしれません」


 その言葉を聞き、なるほど確かに先ほどフェルが言ったように、このタイミングを逃せば、賓客として扱われ、ちょうどいい機会が失われるのだろう。


 ガドルの気遣いが滲む言葉が聞こえてくるが、リリィの胸中は少しばかり穏やかではいられない。

(うーん、ここで世界を救うとか言うの?なんだか恥ずかしいんだけど…)


 いつかは言わねばならない事なのだろうが、そんなクサい台詞でか。と思わざるを得ない。

 しかし背に腹は変えられない。勇気を振り絞って喉から音を捻り出す。

「えーと、ガドルさんとマーナさんに言っておかなきゃいけないことがあります」


 頬をかきながら、言いづらそうにするリリィに二人は微笑み、はいなんですかと続きを促す。

「実は…私はこの世界の危機をなんとかするために来た…ような気がするんです…」


 顔を羞恥で赤らめ、消え入りそうな声で発したその突拍子もない言葉に、二人が呆けたような顔を見せ、ものを言えなくなる。

 そんな空気に1秒と耐えられなかったリリィはヤケクソ気味に、

「こ、これがその証拠です!《治癒の輪ヒーリング・リング》!」


 と、銀の輝きを内包する輪を生み出し、砕いて、小さな部屋に白銀の光を充満させた。

 二人の呆けた表情は徐々に驚愕の相へと変わり、マーナはようやく、といった様子で口を開く。


「これは、魔法じゃない…超能力…?」

 ガドルも続けて、

「私も、初めて見ましたよ…」


 唖然。そう形容するのが正しいだろう。兄妹はしばし黙って光が収まるのを待っていた。

 何秒経っただろうか、マーナが声を発する。

「すごい…これは、すごいことですよ。異世界から来た人が、超能力を持ってるなんて」

「ええ、私もこの目で見るのは初めてです。マーナ、これはとても綺麗ですね…」

 感嘆の息をもらす両者に、なんとか納得してもらえたようでよかった、と安心するリリィだった。

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