第7話 超能力というもの

「それでは話をしましょう。まずはリリィさんの能力について」


 言うが早いか、フェルは動作を一つもせずにリリィの眼前に光の膜を出現させた。

 そこにはリリィの姿が映り込んでおり、これからの説明が映像を伴ってされるのだということを理解する。


「まず、この能力名は《治癒の輪ヒーリング・リング》といいます。発動はリリィさんが人を治そうと意識する、もしくはヒーリング・リングと言葉にすることによって行われます」


 映像にはわかりやすく、リリィが作り出した輪っかがケガをした人を癒している様子が映し出されており、フェルの言葉は映像と共にスムーズに耳に入ってきた。


「そしてこれはこの世界の最新魔法技術ですら解明できない、人の力を超えた能力、超能力とも呼ばれるものです」


「その理由として、治癒魔法と違い《治癒の輪》は肉体だけでなく精神体をも回復させ、その相乗効果によって通常であれば有り得ないほどの治癒力を発揮します」


 治癒魔法は肉体の外傷を治すだけだが《治癒の輪》はそれにとどまらず病気や肉体の欠損、さらには精神体まで治癒するという側面から、消費した魔力までも治してしまうほどのものだという。


 現代の魔法も医学も超越した力。なんとも現実味のない話だと思う反面、その強力すぎる能力から聖女としてここに来たという事実を再認識させられる。


「たとえどれだけ瀕死の重傷を負っていたとしても、生きてさえいればリリィさんの意思一つで即座に完治できます。あなたには、そのような力が宿っていることをしっかりと理解しておいてほしいんです」


 ゴクリ、と固唾を呑む。手にはじんわりと汗が滲み、リリィの心に緊張がまとわりついてくる。

 それは今後の事を案じてのものか、それとも強大な力を手にしてしまったからこその重圧か。どちらなのかは判別はつかないが、きっと彼女はフェルの言ったことを理解できているから緊張しているのであろうことは見てとれる。


「なるほど、じゃあこの力を持っているっていう責任を負うことを意識すればいいってことかな?」

 しっかり理解しているように見えるのに、こうして確認を取るあたり、律儀なところが垣間見えるというものだ。


「はい。この世界に来ること、聖女として世界を救う手助けをしてもらうこと。それにリリィさんの能力に責任を持つべきだということ。頼み通しで本当に心苦しいのですが、上位界の生き物が直接救うわけにはいかないのです。すみません」


「謝らないでフェルちゃん。私がやるって言ったんだから、これは私の責任だよ?最後まで頑張るからね」

 励ますように、堂々と胸を張るリリィ。出来た人だと、そう思わずにはいられない。


 きっとまだ緊張しているだろうに、それでもフェルに気を遣うのだから、なるほど確かに聖女に相応しい人格を備えているのだろう。


 この人でよかった。そう思わせてくれるリリィに感謝を込めてお礼をしよう。

「そうですか、では謝罪ではなくて、感謝を贈りましょう。ありがとうございます、こんな無理なお願いを聞いてくれて」


「うん、任せてよ!」

 トン、と軽く胸を叩いてみせる。その仕草には緊張はあれど気遅れはなく、フェルは安堵の息を吐いた。


「それでは、話を戻しましょうか。えーと…ここからですね。んん、この能力の有効範囲はリングから半径5mの球体状です。そしてこのリング自体もリリィさんから5m以上離れることはできません」


「そして、発現した輪はリリィさんの任意で砕け、周囲5mにいる人全てに先ほど説明した治癒効果が現れます」

「それって範囲は決まってるのかな?広げたりすることはできる?」

「そうですね、リングがリリィさんから離れる距離は伸ばせませんが、回復させる範囲を広くすることはできます。この能力も魔力を消費するものなので多く魔力を込めればその分広げることは可能です」


 いい質問ですねといいたげな表情で答えるフェルは、なんだか教師のようにも見えた。


「これで全部ですね。なにか質問はありますか?」

「んー…あ、一応聞くけど、これってフェルちゃんが言ってた英雄の人にも効くよね?」

 それはまだ見ぬリリィの片割れに関する質問。いや、効かないわけがないとは思ったが、保険をかけて聞いておこうと思ったのも事実だ。


「あ、そうですね。ここで説明しておいた方がいいですよね」

 しかし、フェルのその様子からはリリィが予想していた答えは返ってきそうにない。

 どういうことだろうか。そう思うまもなく鼓膜に届けられるその音に、リリィは耳を疑った。


「実は、今回の英雄であるルード・アルファニウスさんにはリリィさんの《治癒の輪》は効かないんです」



「?」

 リリィは心底不思議そうに首を傾げ、顎に手を当てた。

(この能力が効かないのなら、英雄の対としての役割は果たせないんじゃないかな?)


 そんなリリィの心を察したフェルの言葉にはまたしても首を傾げることとなる。

「大丈夫ですよ。あくまでさっき説明した方法では効かないというだけです」

「???」


 頭上の疑問符を増やし続けるリリィに対してフェルは光の膜を切り替えながら、

「順を追って説明しますね」


「リリィさん、上位界生命体についての説明は覚えていますか?」

「うん、上位界の人は下位界の人とは比べられないくらいにすごいんだっけ?」

 フェルは優秀な生徒を褒めるかのような表情を見せ、その通りですと肯定した。


「その理由の一端が上位界の生き物のみが保有する隔絶防護結界です。これは自身を対象とした実行済みの術式を無効化するというもので、防げる術式は下位界の技術で作られたもののみです」


 フェルからの説明を要約すると、上位界生命体は下位界のいかなる魔法の効果も受け付けないのだそうだ。自身を対象とした実行済みの術式という部分はなんだか複雑な説明がありそうだが。


「例えば、周囲に複数のケガ人がいるとしましょう。その時リリィさんが《治癒の輪》を発動させ、その人たちを治癒しようとする状況があったとして、範囲内にボクがいてもボクにだけは効果がなく、ケガ人は全員回復するということになります」


 これはどのような魔法でも同じらしく、魔力をその現象の源としているのならば、巨大な炎の塊が直撃しようとも、暴風が切り刻もうと襲いかかってきてもフェルは無傷でいられるらしい。


 結界術式に関しては、通常が待機状態であり、その範囲内に起きた状況に応じての機構が発動するという性質上、なにもなければ無効化するわけではないらしい。実行済みの術式というのはここに関わる説明なのだろう。


 ともかくこれがフェルたちを上位界の者たらしめている権能の一つなのだ。下位界のあらゆる魔力的なアプローチを無効化する隔絶防護結界。

 なるほど言い得て妙だなとリリィは感嘆の息をもらす。文字通り、下位界と上位界では隔絶した差がある、ということなのだから。


(でもなんで今この話なんだろ?フェルちゃんには効かないってだけじゃ…いや、英雄効かない…?)

 ハッと思い至るリリィにフェルは首を縦に振って肯定を示す。


 だがそれは少しばかり荒唐無稽にも感じられる思考。もしそうでないのならば、今ここでわざわざフェルが説明した意味がなくなる。


 リリィはフェルの首の縦振りをとてもゆっくりな動作に感じるほど、対面する狼に注視する。

 次いで、その小さな口から放たれた事実は、リリィを驚かせるには十分な内容だった。




「はい、おそらくリリィさんの考えている通り、英雄ルード・アルファニウスさんは上位界生命体の末裔。それも神様の先代、ボクたちの偉大なる父、始祖神竜アルファニウスの先祖返りです」




 その真実に、リリィは思わず天を仰いだ。

「…スケールが大きいよぉ」


「そうですか?でもリリィさんも彼も救世主になるんですから、スケールという話なら最初から世界規模なんですけどね」

 言われてみれば確かにそうだが、そういうことではない。

 そんな人物の対となる聖女が下位界の人間でいいのだろうかと不安になる。というか、そんな大役が自分に務まるのだろうかと、途轍もなく今更に過ぎる感想を抱くあたりがリリィらしいところであった。もしその胸中を知った人物がいたのなら、リリィの楽観的な精神が顔をのぞかせている様子を幻視することだろう。


 きっとここにいるのが自分でなく、誰かほかの適正者であっても同じような反応をした。間違いなく。それは容易に想像がつく。


 だがまあ、リリィもやると決めたのだからこんなことで重圧を感じている場合ではない。むしろ、そんな人が自分の相棒で良かったと考えた方がいい。それだけ困難な状況が減るということなのだから。


(うん、前向きに考えよう。強い人が相棒ならそれなりに楽になるだろうし)

「そう…だね。うん、それじゃあ話の続きをしよっか」

 そう納得してスパッと切り替えてしまえばどうということもない。今はリリィの《治癒の輪》に関する話を進めるのが先決だ。


「はい、それでは、先ほどの権能によって確かにリリィさんの能力も効きません。しかしこれはあくまで通常の方法であれば、というだけのことで例外があります」


 一拍置いて、フェルは小さな前脚を口元に寄せて、一言。

「それは…口です」


「くち?」

 例外が口とはどういう意図があっての発言なのだろう?リリィはまたもや疑問符を頭上に浮かべ、おうむ返しをするにとどまった。


「はい、そうです。口は空気を吸い込み、血液に酸素を送り届けます。それと同じように精神体の口腔もまた空気中の魔素を取り込み、魔力に変換しています」


「つまり、口というのは肉体にとっても精神体にとっても入り口だと言って差し支えない部分なんです」

 ここまで言われれば察しがつく。口を通して体内から魔法を発動させれば結界も効果を発揮できないという意図を。


「リリィさんが出すリングを、口腔に入るほどの大きさにできればいいということです」

 なるほど言われてみればわかる気がする。

 古くから童話では呪いを解く行為は接吻であったことにも、魔力的なアプローチから見ればあながち間違いでもないという証拠が得られるというものだ。いや、この世界の童話も同じような内容だとは限らないが。


 だが、

「うーん、でもそんなに小さくできるのかな?映像を見る限り結構大きいみたいだけど」

 リリィには不安が残る。フェルが説明のために出してくれた光の膜に映し出される《治癒の輪》は、人の頭部よりも大きく見えるのだから。


 しかしフェルは迷いのない目でリリィ見つめ返す。

「大丈夫です。技術を超越した超能力とはいえ《治癒の輪》も魔力を媒介にして発動するタイプの能力。リリィさんが魔力の操作を完全に掌握すれば、理論上は可能ですから」


「そうなんだ、じゃあ頑張って小さくできるようにならないとね」

 リリィの目に火が灯る。元々こういう話を聞くと燃える性格なのだろう。努力することに引け目などがないのは良いことだ。


 フェルは「はい」とうなずき、言葉を続ける。


「それではリリィさんが実際にケガ人を見つけた時に混乱してしまわないように、今のうちに練習しておきましょう」

 言うや否や、フェルは万が一が起きないように、あるいは誰にも悟られぬように周囲に簡易的な結界を張る。それは最も近くにいたリリィですら気付かないほどに静かな動作であった。


 そんなことは露知らず、リリィはフェルの言葉にうなずき、自身の能力を使用すべく意識を集中させる。いざ、能力実践だと意気込んで。

(発動はたしか、ケガを治そうとするか、ヒーリング・リングって言うか、だったよね)


 今この場にケガをしている者はいないので、発動するには能力名を口に出さねばならない。

 一息、深く吸い深く吐く。手は胸の前で大きめのボールを持つように空間をあけておき、そこに輪を出そうと意識して、意を決したリリィはその祝詞(のりと)を言祝(ことほ)ぐ。

(よし…!)


「ヒーリング…リング」

 すると、魔力検査の板に触れた時のように、リリィは全身が淡く発光するかのような錯覚を感じた。しかしその時とは対照的に心臓から伸びる魔力の線は、自分でする時とは比べ物にならないほどにスムーズに肩を、肘を、そして手のひらを伝って、両手を隔てる空気中に魔力で編み込まれた輪を形成する。


 そしてそれに続くように空間を満たす柔らかな光を目にすることになる。

 ふわりと周囲を彩るそれは銀色に輝く光の粒。ここがホテルの一室であることを忘れてしまうほどに、鮮烈に脳裏に焼き付くこの光景に目を奪われぬ方法など、リリィは持ち合わせてはいなかった。


 その光源は言わずもがなリリィの両手の間にあるリング。ガラス細工のようにも見える透明な輪の内部に銀色をたたえるそれは、とてもシンプルな形をしているくせに、何故だか王冠と見紛うほどの存在感を放っている。

 言葉を忘れ、思考を置き去りにし、リリィはただ、浮遊する輪に見惚れてしまっていた。


 数秒ののち、ハッと気が付いた彼女は両手を合わせ、手のひらにリングを乗せてみる。明らかにそこに存在しているのに、重量は微塵も感じなかった。右手で輪に指を通し、掴んでみる。あいも変わらず重さはないに等しいが、しっかりと握れるところに安心する。


 どうやらちゃんと《治癒の輪》は発動できたようだ。失敗しなかった安堵と、自分が初めて魔力的な能力を使用したことへの感動が一気に押し寄せてくる。いつまでも握り締めるのもどうかと思ったのか、リリィは再度両手を合わせ、その上に乗せておく。


 しばし、彼女が感じ入っている様子を確認した後、

「それでは、リリィさん。そのリングを弾けさせるように魔力の操作を行なってください」

 そんなセリフを聞いてハッと気付いた。


 そうだ、まだ完成ではない。これを砕いて周囲5mの範囲に治癒の効果を発揮できるかどうかだった。

 そう思い至ったリリィは目を閉じて、精神体に意識を集中させる。


 両手のひらの上にあるリングに魔力の線を繋ぎ、ガラスのような実体の内部にある銀の光を解き放つように…


 すると、刹那。リリィの持つ輪は実体部分を砕いてその内に秘めた光がゆっくりと、しかし確実に広がってゆく。

 パリィンという耳に心地よい音とともに満ちる銀色は、リリィの体から少しばかり感じていた疲れを消し去って空気へ溶けてゆくのだった。


「リリィさん、おめでとうございます。無事に《治癒の輪》を使うことができましたね」

 フェルの言葉を聞くよりも早く、リリィは成功の実感を得ていた。じんわりと心の奥の方が熱を帯びてゆく感覚。それは明確な達成感。そして高揚感であった。


「ふー、よかったぁ…」

 いつの間にか詰まっていた息をポンプで押し出すように吐き、安堵の言葉をもらす。胸に居座る高揚感はまだ去ってはくれないようで、リリィの心拍数を徐々に上げている。


 これが、これが魔法、いやさ超能力。とっくに納得の谷に落とし込んでいたはずの実感が、リリィの心を強襲する。


 これが高揚せずにいられるだろうか。いや、いられない。想像するだけだった幻想の世界が、今まさにリリィの心に実在感を以ってして響き渡り、心臓は容赦なく早鐘を打つ。


 笑みを隠すことも忘れて昂るリリィの様子に、フェルは微笑み見守るのみであった。



 しばらく経って、リリィが落ち着いた頃に、

「それではもうお風呂に入って寝ましょう。明日もまたやることがありますから」

 と告げて、リリィを風呂場へ促す。


 栓で排水口を塞ぎ、お湯をためていると、ふと疑問に思った。

「ねえ、フェルちゃん。女の子の体の洗い方ってあったりする?」

 一応聞いてみる。もしかすると、男だったときには考えもしないような面倒な手順などがあるやもしれない。それを危惧してのことだろう。


「大丈夫ですよ、ボクが教えますから」

 それを理解して自慢げに言うフェルには申し訳ないが、その小さな姿でどう教えるのだろうと思ってしまう。


 しかしそれは杞憂でしかなかった。

 リリィが湯を止めてフェルにお湯たまったよーと報告したその瞬間、

「よし、じゃあ入りましょうか」


 おもむろにそう言いながら、フェルの小さな体を過剰なほどの大きな光が包み込む。藍色の繭のようにフェルを囲むその光は1秒程度の存在しか許されなかったが、それは幻想的は光景だった。


 光は音もなく弾け、包み込んでいたフェルを解放する。

 が、そこに小さな狼の姿は見当たらない。


 その代わりに藍色に輝く繭の中から生まれてきたのは、美しい女性だった。

 黒く艶やかな髪はリリィよりも短く、肩甲骨のあたりで切り揃えられ、勝ち気な雰囲気を隠すこともない目元は凛々しく藍色に輝いている。


 女性としては長身のその背丈はリリィとそこまで変わらず、ほんの少しの差でリリィに軍配が上がる程度。

 胸元の隆起は控えめではあるものの服の上からでも確かに存在感を放っていて、長くしなやかな手足と相まってまるでファッションモデルのようにも見える。


 全身をリリィと同じ白地に金色の刺繍の入ったローブで覆いつつも、美しさを隠しきれないその女性はカラスの濡れ羽色の髪をたなびかせ、リリィの手を引きながらホテルのバスルームとは思えない広さのスペースへ入ってゆく。


「変身できるんだぁ…」

 近くにいるフェルにも聞こえないように呟く声はバスルームの蒸気で持たされた空間に響くこともなく消え入る。



 リリィにとって激動の一日の中で、最も驚愕に支配された事象が決まった瞬間であった。

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