第6話 ご飯はいかほどうまいのか

 リリィはマーナと共に光を排除しつつある町を歩こうと、役場を出て周囲をなんとなく見渡す。するとここまできてようやく、リリィは人以外の物が道路を通過するところを目撃した。


 それは箱。まごうことなき箱だった。リリィたちが歩道を歩いているのに対して、その箱は車道と思しき中央付近を進んでいるのだから、この世界での自動車のような物だというのはわかる。


 しかしその形状が、車であるという認識を拒んでしまう。それは楕円を描いた球体であったり、直方体であったりと様々あるが、それらにはないのだ。

 そう、車輪が。車と言い張るには些か奇抜すぎるものだからリリィの脳味噌は理解することを拒否し続ける。


 例えるならば、馬車を馬が引いていないのに動いてしまっているような、そんな感覚だ。常識を無視したその姿はあまりにも車とはかけ離れすぎていた。


 車輪がないというのにどうやって車だと判断できたのか。なぜってそれは、


(なんで浮いてるの…?)

 車、それはリリィの記憶が妄想ではないので有れば、いくつかのタイヤで以って大きな車体を支える文明の利器。実際にタイヤがなければただの大きな箱という認識しかできないだろう。


 エンジンもブレーキも、全てのパーツが重要ではあるけれど、外見的特徴としてのタイヤは大きな割合を占めている。内部構造などを理解し尽くしているわけでもなし、それが一般人の考えであると断言してもいいだろう。

 とにかく、リリィにとっての車への認識はそのようなものだった。


 しかし今、夜の町を駆け巡る車と思しき物体は、タイヤなどなく空中に浮いてリリィの視界を横切っている。


 大小様々、形状も言わずもがなそれぞれ違うが、それらは人が入れる大きさの箱でありながら宙に浮かび、風を切る。


 度肝を抜かれるとはこのようなことをいうのか。リリィは度を超えた驚愕に胸中を支配される。

 それこそ、マンガやアニメ、小説などでしか見たことのない宙に浮く車に目を奪われた。


 マーナにそんな様子を目撃されて(そういえば、元の世界とは車の形が違うのかも)と考えられたのか、説明を受けることになったリリィ。


 あれは魔車。前時代の魔道具を遥かに超える文明の利器の総称である魔器の中でも、一際異彩を放つものである。

 箱の中に人を入れ、底面部分に反重力魔法を展開。それによって浮いた車体はベクトルを入力するハンドルによって操作するのだと。


 聞いた上で細かな箇所はまったくもってよくわからないものの、その浮遊する姿はロマンに溢れているのだから、困ってしまうのだ。

 おかげで時間を喰ってしまった。腹の虫は今か今かと胃に届けられる食物を待ちわびているというのに。


 それから二人と一匹はすっかり夜に抱かれた町を歩く。街灯は夜空の星々に負けじとその身を輝かせ、建築物は闇を追い返すために灯りをともしている。


 きっとこれもまた、遠くから眺めるのならリリィの記憶にある夜景と大差ないものでしかないのだろう。けれども、これは魔法なのだ。


 己のよく知る技術はここになく、この世界の人々が研鑽し、築きあげた魔法(ぎじゅつ)がここに座している。まるで世界のルールは自分だと主張するかのように。


 もう、いちいち驚いてはいれらない。もっと見たいのなら、もっと知りたいのなら、この胸の内を驚愕に支配されている時間すらも惜しいのだから。


 マーナに先導され、リリィは夜をかきわける。それほど時間はかからずにマーナの目的地へと辿り着く。


 レストランのように見えるその店はどうやら賑わっているようで、ガラスの張りつけられた装いのため、店外からでもその様子が窺える。


「さあ、入りましょう」

 扉を開くと、照明を絞った天井が、落ち着いた音楽をうっすらと響かせる空間が迎え入れてくれる。


 入り口付近で待機していた店員についていく。他人を連れてくるだけあって、マーナは慣れた様子で席に着きメニューを開いた。


「さ、リリアナ様。先ほども言いましたが料金は気にせず、好きなものを頼んでください」

 メニューの料理は様々あるが、どれもレストランの範疇を超えないようなもので、今まで色々なものに驚かされていた身としては肩透かしをくらったような感じだ。


「うーん、でもどれがいいのかがわからないので、マーナさんと同じものにしたいです」

 そう言うと、マーナはわかりましたと返答し、傍(かたわら)で待っていた店員に注文を告げた。


 店員が去った後は、何も喋らないのもなんだかおかしい気がしたので、当たり障りのない話題を振ってみる。


「そういえば店員さん、フェルちゃんに気付いてたのに何も言わなかったですね」

「それは魔物が清潔だと思われていないかもと心配していたんですか?」

「そうですね。ペットお断りって言われたらどうしようかなと思っていたので」

 その言葉に、ほんのりと微笑んだマーナ。どうやら魔物をペット扱いしていることに笑ったように見える。


「実はですね、使い魔と主人の清潔さは比例するということが証明されているんです。原理はまだ完全には解明されていないようですが、肉体の清潔さが魔力網を繋いだ精神体を通して、相手に影響を与えている説が有力とされています」


 ちなみに、相互に影響があるのではなく、主人から使い魔へのみ影響を与えるので、術者にはしっかりとしたケアを施す義務があるそうな。


「実際に見てわかるので、何も言わなかったのでしょう。結界のおかげで悪さをすることは不可能という点もあります」


 魔物をテイムしていると、双方は遠く離れることができなくなり、また、魔力網を通じて連携を高めるという性質もあいまって、大抵の飲食店では何も言われないのだそう。

 やはりペットとは大きく対応が異なるということだ。


 そんな話をしていると、料理が運ばれてきた。焼き魚の定食だ。盛り付けにおかしなところもない。てっきりレストランなのだから洋風のものが出てくると思っていたのだが、マーナはこれが好物なのだという。なるほど確かに、この世界にとって都合がいいという理由で日本人が呼ばれるわけだ。


 きれいに焼かれた魚は鼻腔をくすぐる芳しい匂いを漂わせ、リリィの食欲を刺激するものだから、腹の虫もたまらず声を上げる。


 グゥゥゥゥ……。

 別に聞かれても恥ずかしくはないが、おやおやといった様子できょとんとするリリィを目の当たりにして、マーナはくすりと笑みを溢す。

「それじゃあ、食べましょうか」


 いただきます。そう言って二人は食事を堪能するのだった。

 さてさて、異世界のご飯はいかほど美味いのか。




 結論から言おう。

「美味しかったぁ」

 ジューシーに、かつふっくらと焼き上げられた魚は口内に設けられた味覚を感じる器官をこれでもかという程に刺激してきた。白米にも味噌汁にも、微塵も不満はなく、気が付いたらペロリと平らげてしまっていた。


「どうでしたか?私のおすすめの品だったのですが…」

 窺いながら、おそらく肯定を確信しているのであろう表情を見せてきた。まあ、ここまで綺麗に食べきれば、確信するなという方が困難だろう。


「すごく美味しかったです。マーナさんがすすめるのもわかりますよ」

 リリィも同意を示す。その言葉には偽りはなかった。


 それをしっかりと受け取ったのか、マーナは満足そうにうなずき、

「そうですか。それは良かったです」

 ついで、にこりと笑った。


 しばらくすると、二人はレストランを出る。リリィはフェルを抱いたままマーナの後を追う。

「この後は、リリアナ様が今晩泊まるホテルにご案内します」


 今日の出来事は本当に面白かった。がしかし、様々なことに驚いたり、そも見知らぬ土地に見知らぬ人、おそらく体はもう疲れているだろうとマーナ考えていた。

「休むことも大切です。今日中にしなければいけないことは終わったので、後はゆっくり休んでください」


 その言葉にリリィは心の中で大いにうなずく。休むこと、眠ることなら任せておけと言えるほど得意だ。いや、そんなことに得意も不得意もないだろうが、大好きな睡眠が待っているならば疲れた足にも力が入るというもの。


 夜の町。地上の光が夜を彩り、宙を舞う箱が道を行き交う。そんな様子を横目に見ながら、マーナの足が止まった。

「ここが、この町で一番のホテルです」


 そのホテルは、率直に言うと大きかった。役場や病院のような横の大きさではない。いや、もちろん横幅もそれなりだが、縦の長さが段違いだった。


 とても立派な建物だ。少なくとも今まで見たこともないような大きさを前にして、その高級そうな雰囲気を感じとらずにはいられなかった。

 何階まであるのだろう?窓の光を数えればわかるか。1…10…などとやっているとマーナから声がかかる。

「さあ、入りましょう。リリアナ様も疲れたでしょうし、早めに休みましょう」


 リリィは上がり続けていた首の角度を戻し、二人は共にドアをくぐる。


 そこにはまさにスイートホテルといった内装が待ち構えていた。天井の照明は穏やかにホールの人々を照らし、床はところどころがガラス張りになっており、底には水が張っているようで波紋が映り込んでいた。


 受付のところにいる職員も、ホールに備え付けられたソファでくつろいでいる普段着の客も、皆がセレブに見えてしまうほどに高級感が溢れる空間が広がっていた。


 こんなところに生粋のど田舎育ちの一般市民が紛れ込んでもいいのだろうかと少しだけ尻込みしてしまうが、マーナと離れてしまうのは得策だとは思えなかったので黙ってついてゆく。


 受付でマーナが職員と何かを話していることはわかってはいたが、周囲の雰囲気に気を取られ、その会話は耳を通り抜けて脳まで届けられることはなかった。


 マーナが会話を終えると、リリィを連れて受付から少し離れた扉の前に立つ。

 それはガラス張りの円柱の形をしており、ガラスを透けて見える底面には大きな紋様が浮かび上がっている。


 これは、まさかこれは…

 そう思っていると、円柱の上から箱が降ってくる。ゆっくりと下降し、リリィたちの目の前に来るとガラスの扉は迎え入れるように開く。


(うわー、エレベーターだ…)

 どうやらこれは外が見えるらしく、ガラスの円柱はホテルの最上階までを貫いていた。


 ガラスのエレベーターは大型ショッピングモールで見たことがあるのでそこまで驚きはしなかったが、こんな高層ビルにガラスで対応できるものなのだろうかと首を傾げた。


 少なくとも、ホテルのエレベーターは重厚感というか、頑丈そうでありながら、それなりに装飾が施されているものが定番だと思っていたのでそこがリリィにとって気になったのだ。


 しかしながらそんな疑問も、エレベーターが稼働した際には消え去ることになる。

 二人が乗り込み、マーナが最上階の24のボタンを押した瞬間、先ほども見た魔法陣がリリィの足元、箱の底面に再度現れ、ついで体に少なからず重力がのしかかってくる。


 ふと、外が見えるものだから眺めていると、さっきまで見上げていた建築物は眼下に広がり、街頭と家屋や店舗の灯りが目に入る。空の星々を鏡が反射しているのかと見紛う程に、光は多く、そして美しかった。


「おおー…」

 そんなふうに見惚れている間に、目的の24階に到着したようだ。

 しみ一つない絨毯を踏みしめながら二人は通路を歩く。


 2408と数字が浮かんでいる部屋の前に立つとマーナは口を開く。

「ここがリリィさんの部屋です。一応一週間泊まるようにしていますが、延長も可能なので気にしないでください。それと明日の朝食は二階の大広間でのビュッフェスタイルのようなので7時ごろにそこへ行き、朝食をとってください」


 先ほど職員から説明があったことを朧げに思い出す。ああ確かにそんなことを言っていたなと考えているとマーナは部屋を開けるために扉のスイッチに触れる。


 するともう見慣れたあの黒い板が壁に現れた。

「さあ、魔力を流してください」

 言われた通りに魔力の線を繋いでゆく。これも少しずつ慣れてはきたが、それでもまだ数秒かかってしまうのは仕方ないだろう。


 魔力の線が板へ到達すると扉がガチャリという音と共にわずかに開いた。

「それではリリアナ様、明日の朝は9時にこのホテルにお迎えに来ますので、その時間までに支度を終えて待っていてください」


「はい、マーナさん。今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」

 言葉を交わすとマーナは去ってゆく。リリィの言葉に笑顔を浮かべ、優しい表情になるのは親と娘ほどに年齢が離れているからだろうか。


 そんなことを思うが、もしかしたらリリィのことを礼儀正しい人だと思ってくれたからかもしれない。少々嬉しくなったリリィは彼女の姿が曲がり角で見えなくなるまで手を振ったのだった。



 さて、それでは部屋の中へ入ろうとドアの取手を奥へと押す。

 2408号室の内部へ一歩踏み入れる、その足にはじんわりと汗が滲む。


 なんだか冒険のようなワクワク感を心に秘めて、リリィはスッと室内に入る。


 扉を開けてすぐそこには玄関のように段差ができていて、スリッパが並べられているところを見るとここで靴を脱いで履き替えた方が良いということはわかった。


 それに履き替え、リリィは扉を出てすぐの通路を見る。右側には凹みがあり、覗いてみるとそこは洗面所だ。ガラスは大きく、コップと歯ブラシ、ヘアブラシに髭剃りまで完備されている。


 そして洗面所から繋がっている左右の扉を開けると、左は白く清潔感を訴えるトイレ。右は脱衣所と一人分には大きい風呂場が広がっていた。


 戻って通路の左側を見やるとそこには壁はなく、大きく開いたスペースにはテーブルに四脚もの椅子が並んでおり、それらもまた、装飾や細工が細かく主張し過ぎない程度に施されていて、高級感が醸し出されている。


 そしてそのリビングのような空間と繋がる扉から一番遠い部屋には、見たこともないベッドが堂々と鎮座している。


(あれこういう大きいベッドってキングサイズとかいうんだっけ…?)

 と、そんな益体もないことを考えていると、いつの間にやらふわふわと浮いていたフェルがリリィに声をかける。


「これは…明らかに一人用の部屋ではありませんね。間違いなくこのホテルで一番の部屋ですよ」

 そう断言するとリリィも頷かざるを得ない。ホテルの最上階なんて人生初だったが、テレビなどで見ていた高級ホテルの最上階もこんな風に贅を凝らした部屋だったのだから、そもそもその時点である程度は察しがついていた。


(いやー、やっぱりかー)

 うんうんと首を縦に振っていると、顔の横にいるフェルに気がついた。


(……)


「どうしたんですか?ボクの顔に何かついてますか?」


(……)


 フェルは町の中では浮いているところを見られないようにすると言っていたが…


「もしかして、さっき少しもらった魚がついてたりしますか?」

 ゴシゴシと小さな前脚で口元を拭う仕草は本当に可愛らしいもので思わず顔が綻び…って、そんな場合ではない!


 遅まきながらフェルが堂々と浮いていることを理解したリリィは、素早い動きでフェルの小さな体躯を掴んで自身の胸元へとシュートする!


「わふっ!?」

「ダメだよフェルちゃん!監視カメラとかがあるかもしれないし!」


 ぼふんっ!と柔らかさを主張する音を奏でながら、双丘の谷間に不時着するフェルはしかし、すぐにリリィに説明をしようを口を開く。


「だ、大丈夫ですよ。プライバシーへの配慮から、ホテルの部屋には防犯カメラなどはついてはいません。そうでなければボクも不用意に浮いたりしませんよ」

 そういうと、フェルは相貌を崩し、にこりと笑ってみせる。


 ああそうか、確かにその通りだ。冷静になってみれば当然のことを理解し、リリィは早まった行動を恥ずかしそうに謝罪した。

「あ、確かに。ごめんねフェルちゃん、乱暴に掴んじゃったかも…ケガとかしてない?」


「ボクはこれくらいではケガなんてしませんよ。それにこっちがいきなり話しかけたことも悪いんですから、謝るならボクの方です。申し訳ありませんリリィさん」


「そんな、気にしないで?それよりフェルちゃんが話しかけてきたってことはなにか大切な用事なのかな?」


 首を傾げながら訊くと、フェルは真剣味を帯びた表情をみせる。

「はい。リリィさんの聖女としての能力と、これからのことについて話しておこうと思いまして」


 リリィはリビングスペースの椅子に座り、聞く姿勢を整えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る