第4話 疑われるのも世の常

 リリィとフェルは町に入る前に、道すがら話しておいたことを実行する。それは人目のあるところではフェルはリリィの使い魔として振る舞うということ。


 この世界ではペットのような愛玩目的で動物を飼う他に、魔力ある動植物、略して魔物と呼ばれる生き物を魔法による契約かもしくは絆を結ぶことによって連れ歩くことができる。


 その際には主人と魔物の間に魔力網が張られ、基本的にそれは本人たちの任意によってあるいは契約の破棄によってのみその状態を解除することが出来る。


 マンガやゲームになぞらえて表現するならばテイムだ。町中を使い魔と共に歩くならば検査が必要となるがテイムしてすぐに検査とはならないので、検査を受けるまでの数日間はそれがなくとも町中を歩けるのだそうだ。


 とはいえその検査待ちの期間に魔物が騒ぎを起こせば検査は取り消し、魔物は危険性によっては魔力網切断による追放。最もひどい措置になれば殺処分になることも。

 だがそもそも、魔物を侵入させないための結界には特殊な機構が施されており、しかもそれが何重にも重なっている町の内部で、魔物が暴れられる時間は数秒有るか無いかというところ。

 そんな数秒だけで、魔物が殺処分されるほど暴れ回るなど不可能なのだ。


 まあしかし、リリィを聖女とするためにサポートするはずのフェルが暴れだすこともないのでこれは危惧するまでもないだろう。

 フェルの話はそんな内容であった。


 ちなみにその魔力網はリリィとフェルの間にはない。実際テイム状態ではないのだから当然だ。このままでは使い魔であるということが嘘だとばれてしまうので、フェルに指示されるままに擬似魔力網を作り出す。

 とは言っても、リリィは魔力をフェルと繋げただけであって、魔力網に見えるように細工を施したのはフェルだったのだが。


 そして流石にフェルが浮いたまま町に入ることは目立ちすぎると言うのでリリィはフェルを抱いていくことにした。

 別にフェルが地べたを歩いてもそれはそれで怪しまれはしないだろうが、この小さな体躯では見失ってしまう可能性もあり得ると思い、抱いてゆくことにしたのだとか。


 それは合理的な判断だった。両者が離れては無駄に時間を浪費するだけ。フェルとしてはぬいぐるみ扱いをされているようにも見られるかもしれないので、抵抗感がないわけではなかったが、そこはリリィの提案を受けることにしたのだった。


 そんなこんなで今リリィはその胸にフェルを抱いている。いざや異世界の町と言わんばかりの面持ちで歩んでいたリリィだったが不意に立ち止まる。なぜ立ち止まったのか。

 その理由はリリィの頭上、ちょうど道路と町との境目に「ようこそセルムの町へ」と空中に浮かび上がる文字を見つけたから。


 それはどこからか空中に映し出している映像のようには見えず、文字自体が標識の高さあたりで浮遊しているような雰囲気だった。


「おお〜」

 短く簡潔な感嘆を表し、その看板を見つめているリリィにフェルは先を促した。


「ほら、早く行きましょう」

 その言葉を聞きハッとしたリリィは歩を進める。


 リリィがフェルをなおも胸に抱きしめながら、ついに町に着いた。

 特に関所のようなものは無く、町に入る。まあ、現代日本でも関所などないので、文明レベルを加味するならばあるほうがおかしいか。


 そう結論づけ、リリィはフェルにあらかじめ教えられていた道をナビゲーション付きでなぞってゆく。


 周囲をなんとなしに見渡すと、木造や石造の家屋、大きな看板を掛けた何らかの店と思しき建物たちが目に映る。こうしてみると町というより都市といったほうが適切だろうか。これまでの風景を鑑みてもっと自然溢れるような場所を想像していたけれども、店やら家屋やらの数によってその考えは否定される。


 しかし看板は先ほどの文字と同じく浮かび上がっているように見える。近づいて見てみないと詳しくはわからないがちょっと不思議な感じだ。


 まあそんな文字は後でじっくり見るとして、それらの建築物にはしっかりと窓にガラスがはまっていて、気泡の無い綺麗な窓は高度な技術を容易に想像できるほどだった。


 建築技術がどうだとか、評価出来るほど精通しているわけでは無いし、それに強く興味を惹かれたことなど今まで一度も無かったのだが、何故か立ち並ぶ建物に目を奪われる。


 看板の文字以外に目を引く物は見られず本当にわからなかったのだが、答えは意外と簡単に出てきた。

 それは感動だ。


 未知の世界の技術で作られたという建物が、いかにも町と言わんばかりの風景が、新しく買ったゲームを始めた時のような感動をリリィに届けたのだ。


 ささやかだが明確な興奮に誘われて、右へ左へ視線が遊び回る。


 次に目に入るのは町ゆく人々。彼らの服装は誰しも平凡だった。もし歩いているのが都会だと言われれば一瞬信じてしまいそうになるほど、目立つものは少ない。


 しかし目を凝らせば気付くものがある。それは尖った耳を持つ老人だったり、獣の特徴を隠す素振りもない少年だったり、日傘を差した八重歯の発達した淑女だったり。


 それらはリリィの常識にはない身体的特徴であり、油断すれば物珍しそうに不躾な視線を向けてしまいそうで、そんな感情を押さえ込むのに必死になる。


 もしフェルから事前に聞いていなければもっと驚き、周囲の人へ不快な視線を送っていたかもしれない。興奮に囚われ無いように気をつけつつも、それでも眼球は初めて見るものを追いかけようとするものだから、リリィは我がことながら少しばかり情けなくなる。


 そんな風にあちこちに視線を散らしていたリリィは、やがて遅まきながら周囲の様子に気付く。

 それは集まる他者の視線。

 町行く人々がこちらを見て、二度見三度見して驚きの表情で固まっているのだ。


 一瞬、自分があまりにもあちこちを見るものだから観光客か何かだと思われているのかもと考えたが、それならばこんなにも驚かれることはないだろうと結論づけ、己の体を見てみると答えは簡単に見つかった。


(ああ、まあ、こんな美人がいたら驚いちゃうよね)

 忘れていたわけではなかったが、変わったばかりの体のことを意識の外に追いやるほどには心ここに在らずな状態だったのだろうか。そんな風に考えるリリィ。


 がしかし人々が彼女に目を奪われる理由はそれだけではなかった。


 それはリリィの格好にあった。

 白地に金の刺繍が入ったローブという、いまどき演劇か物語にしかいないような姿も、人の目を惹く要因となっていたのだ。端的に換言するならば、前時代的な服装とその容姿によって人目を集めているのだ。


 銀髪碧眼の絶世の美女が小さな犬を抱きしめながら歩いているという噂はすぐさまこの町に広まることになる。

 余談だが本人が気付いたのはそれから少し後のことだったという。


「そこを右に曲がるとひときわ大きな建物があります。そこが役場です」

 フェルのナビに従い、リリィは歩く。

 フェルの言葉は辛うじてまだ聞こえてはいるようだが視線はあれはなんだこれはどうだと忙しなく動き回る。二足歩行になれた子供ですらもう少し落ち着きがあるのではないだろうかと思いつつも、役場に着いた。


 大きな建物の中に入ろうとガラス扉の前に立ち、取っ手がないものだから押すのか引くのかスライド式なのかと悩む前にウィーンという音とともに扉が横に滑り、リリィたちを迎えてくれる。


(自動ドアまであるんだ……)

 フェルの言葉通りに、変わらぬ文明に舌を巻く。さっきまでは近くでまじまじとみることはなかった町の風景にもこのような機械じみた何かがあるのだろうか。

 自動ドアがあるならエスカレーターは?エレベーターもあるかも?そう考えるとリリィの興奮はさらに熱を帯びてくる。


(科学で自動ドアなら絶対に驚かないけど、これ全部魔法なんだよね。そう考えるとワクワクするなぁ)

 役場に入ったリリィは、入り口付近で、ジーンと感じ入る。


「それじゃあ、受付に行きましょう」

「あ、そうだね。行こうか」


 入り口に立っていると邪魔になってしまうと思い、催促するフェル。

 注意され、まるでお上りさんな自分に気付き、顔を少し赤らめて早足になってしまうリリィ。

 そんな彼女を誰も責められないだろう。


 役場の中をざっと見渡す。近代的なデザインと皆が来ているスーツによく似た衣服からは異世界やら並行世界やらの雰囲気が全くと言っていいほどない。ここの写真を撮って元の世界の友人に見せたなら「どこの役場行ってきたの?」という疑問が返ってくるにとどまるであろうことは容易に想像できた。


 あまりにも違いがなさ過ぎて、今まで見てきた役場との相違点を探すほうが難しいのではなかろうか。

(あ、一個発見。文字がやっぱり浮かび上がってる)

 いや、それはいったん置いておこう。とはいえ、先ほどの町並みもおかしな建造物やあまりに異質な何かがあったわけでもないのだから当然と言える。


 そんな思考もそこそこに、リリィはフェルに指示された場所へと近づいてゆく。

 さあ、とうとう異世界人との初めての会話だぞ。とリリィは意気込みながら。


 フェルの言葉によれば、この世界での共通言語は日本語なのだそうだ。歴史においての言語の成り立ちなどは長くなってしまうので割愛されたが、なぜ日本語が通用するのか訊ねてみると、

『だって、異なる言語を話す人を連れてゆくなんて手間が増えるだけでしょう?この世界に連れてくるためには言語と文明レベルがある程度似通っていなければいけなかったんです』


 先ほどの看板が読めたのもこれが理由だった。

 つまり、この世界にとって都合のいい人物に絞って、その上で聖女に足る人材を探していたのだそうだ。


 リリィはこの世界についての説明を思い出していた。応接室ではその説明になるほどなと納得したが、いざこうして自分が見知らぬ人に話しかけるとなると、少しだけ緊張してしまう。


 だが、そんなことに足を止めるわけにはいかない。元々自分は度胸のある方だったじゃないかと、リリィは自身に喝を入れ、ほんのちょっぴり強張る喉に音を通す。


「あのー、すみません」

 受付に着くと、リリィは小さく声をかける。

 受付窓口にいる女性職員は何かの作業に集中していたのだろうか、目線は手元を向いていたがしかしリリィの声に素早く反応し、

「はい。どのようなご用件でしょう」

 とすぐさま返答した。


 先んじて言語は通用するとは聞いていたとはいえ、会話が可能なことに内心ほっとしながらリリィはその女性と話を進める。


 そこからは事前にフェルと話していたように会話を進め、自身がおそらくは異世界から来たこと。そして大きな建物に入るとここだったという旨を伝える。

 リリィの言葉を聞いた女性は一瞬だけピクリと眉を動かしたが、その笑顔を崩すことなく行動へと移す。


 彼女が自分の手元で何かを操作した瞬間、女性職員とリリィを隔てる卓の板が開き、その中には黒い板のようなものが設置されていた。

 なんだろうかこれはと考えていると、

「それではこちらに手を触れて魔力を流してください」

 と言われる。


 これが魔力検査か。こちらの世界では基本的にこれが必要になってくるそうだ。いわゆる指紋認証のような、個人を即座に特定できる要素として社会に根付いた技術。

 人はそれぞれ魔力の形が違うのだという。魔力の形というのがなんなのかはきちんと理解はしていないが、ともあれそれは個々人が保有する最もわかりやすい存在証明となる。

 その特性を用いて、人は生まれと同時に魔力検査を行い、その魔力を登録する。戸籍にも関係するらしい。


 ともかく簡単に言えば魔力検査を行い、それを戸籍と共に登録していなければ、社会で受けられる恩恵は無いに等しい。だからどんな事情を持っていても、この世界では生まれた人間ならば誰もがこの魔力検査で特定可能なのだ。


 これもまたフェルから聞いてはいたがなんともまあ、ファンタジーガン無視の機械的な造形だと思いながらそれに触れる。


 おそらくこの女性職員が一瞬だけピクリと眉を動かしたのは冷やかしか、友人同士での罰ゲームだと思ったのだろう。

 フェル曰く、この世界では最近、異世界の観測に成功し、巷ではそれに関する話題が多いのだとか。また、それに乗じて自分は異世界から来ただのという嘘をついて注目を集めようとする人も、それなりに出てきてしまったらしい。


 しかしそんな悪ふざけはこの技術の前ではなんの意味もなさない。こうして魔力検査を持ちかければどんな馬鹿な人間でも即座に家へと帰るのが常。


 彼女はリリィもそういう類の人だと思ったのだろうが、言われるがままに検査機に触れる様子に度肝を抜かれる。


 だがそんなことは露知らず、リリィはフェルの言葉を思い出す。魔力の流し方を。

『いいですか?役場へ行けば必ず最初に魔力検査を持ちかけられます。どんな些細な用件でもそれが基本となっているからです。そのため、今ここで出来るようになっておかないとお先真っ暗です』


 リリィとフェルの間に擬似魔力網を作るためにしたその会話は、録音していたのかと思うほどに滑らかな音声として脳内に残っている。

 そんなふうに言われたが、実際そこまで難しくは無いそうで、しっかりと集中することが出来れば誰でも可能なのだそう。それこそ五歳児でも。


 まだ町へ着く前の会話をなぞってゆく。フェルと擬似魔力網を繋げた時のことを。魔力の操作方法はまだ一度しかやったことはないが、しかしその感覚は鮮明に脳内にこびりついて離れない。


 心臓から流れる血液を想像し、そこに沿うようにして光を走らせる。光は心臓から繋がり、肩へ、そして腕、徐々に手へと伝わる。じんわりと温かい感覚を覚えるが、末端器官へ近づくほどに光の線は揺らめいてしまう。


 光の線は細く、か弱く、吹けば消えてしまうかのようだが、精一杯集中し続けた成果は如実に顕れる。やっと魔力が手から板へと流れたその刹那、リリィは自分の体が淡く光ったような錯覚を覚える。


(よし、これでオッケーだよね?)

 確かな手応えを感じ、リリィは光の線を心臓のところまで戻す。まるで家電の伸びたコードを巻き取るかの如く、戻すときはとても簡単で呆気なかった。


 ふう、と一息つくと温かい感覚も消え去り、いつもの体温をその身に迎えるリリィ。

 町への道の途上で試したとはいえ、まだ慣れるわけでもないのだからやはり体は強張っていた。


 しかしそんな顔の筋肉の弛緩したリリィとは対照的に、女性職員は時間がかかり過ぎていることに訝しげな表情をほんの少し覗かせた。

 いや、違う。訝しげな表情はおそらく手元に現れた空中に浮遊しているテレビ画面のようなものを見たからのようだ。


 空中浮遊ディスプレイなんて、SF作品でしか見たことがないものだからリリィは当然驚いた。


 そこには何が書かれていたかは見えないが、その内容は流石に察することが出来る。おそらくは該当者無しとでも書かれているのだろう。


 これは社会に根付いた技術なのだから、個人を特定する、あるいは自身を証明する基本的な行動であるのだから、そのような結果であって然るべきといえよう。


 なぜならリリィはこの世界の人間ではなかったのだから。


 女性はしばらく空中の画面を見ながら、これまた空中に現れたキーボードを操作していたが、やがて何事かを思案する表情へとその顔を変化させる。


 その後、女性は意を決したように立ち上がり、

「すぐに戻りますので、少々お待ち下さい」

 といい、奥へと消えた。


 リリィは言われた通りに受付窓口の椅子に座って待つこと数分。


 ほどなくして、先ほどの女性職員が同じくスーツ姿の女性を連れて来た。

「お待たせしました。ここからはこちらの職員が対応致します」

 女性職員が促し、スーツの女性が、

「はい。マーナ・セルテスと申します」

 と簡潔に名乗った。


 リリィが自己紹介を返した後、マーナに連れられ、違う窓口に移動。

 茶色の髪を邪魔にならないようにまとめ、スーツをピシッと着こなしたマーナは、出来る女性の雰囲気を醸し出している。

 先ほどの女性よりも少し年齢が高く見え、40代くらいだろうか。美人というか、年齢に合わせた立ち居振る舞いは威厳をも感じさせた。


「それでは、要件をもう一度確認させていただきます。リリアナ様は異世界よりこちらにいらっしゃいましたので、まず、この役場を訪ねたと」

 改めて異世界だとか確認をされるとなんだか笑いがこみ上げてきそうになるがグッと堪えてリリィは頷いた。

「はい。多分そうだと思うんです」


「それではこの世界に来た時の状況をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 マーナの顔は笑顔ではあるが少し怖い雰囲気を感じる。

 それはそうだろう。近年初めて異世界の観測に成功した研究者たちのニュースが、人々を賑わせている状況だというのに、異世界からの来訪者とあっては心中穏やかでは無いのも致し方ない。


 おそらくはなんでわざわざ私のいる職場に来るのよ!とでも思っているのだろう。リリィは申し訳ない気持ちになった。


 だが、今はそれを横に置く。そしてリリィは説明をするために口を開いたが、あまりにも突飛なことを言うと不審がられるので、ある程度の部分は伏せて伝えることにしている。


「はい、私はいつものように自分の部屋で寝ていたんですが、目が覚めるとキャンプ場の丸太小屋にいました」

「なるほど、ここからなら東の方にあるキャンプ場ですね」


 リリィは頷き、言葉を続けた。

「はい。そこから出て、黄色い線を超えたところで小さく震えていた」

 言い終わるや否や、リリィは胸に抱き続けていたフェルを見えやすいように持ち上げる。

「この子に手を当てて撫で続けていたら、なんだか不思議な感覚がしてこの子も元気になったんです」


「そして、この子に人の匂いを辿ってもらって町に着きました。その後は大きな建物に入ろうと思ってここまで」

 そこまで言って、リリィは穏やかに微笑んだ。出来るだけ幸運に恵まれたように見せるために。

 ここで不審がられてしまうと面倒になりそうな予感がしてたまらないので、内心冷や汗をかきながら、マーナの返答を待った。


「ふむ、なるほど。魔物と友好関係を築いてテイム状態にしたと…」


 そのセリフから数秒ののち、マーナはゆっくりと口を開いた。

「もしもあなたが本当に今日、異世界から来たのであれば知らないと思うので説明します」

 少しだけ雰囲気が変わったことを感じ取り、リリィも背筋を伸ばして真剣な表情に変わる。


「この世界では昨今、最新の魔法技術によって異世界の存在を証明することが出来ました。とはいえ今は異世界に一つのペンを置いてくるのが関の山という程度でしかありませんが」

 彼女曰く、この魔法技術の進歩を鑑みるに、人を送り出すのに早ければ20年で実験に踏み切れるという。


「だからこそ、不可解なんです。人が世界を超えていることが。一体どうやったらそんなことが可能なのか」

 それは単なる疑問なのだろうか、いや、まずい、嫌な予感が的中してしまった。今からでも本当のことを言うべきだろうか、しかしそれは頭がおかしいと思われてもっと悪い雰囲気になるだけだろう。


 沈黙を守って来たフェルはしかし、動揺することもなくリリィの言葉を待った。

 確かに張り詰めた雰囲気ではあるがこれもフェルの想定内。リリィは緊張しつつ声を出す。


「申し訳ないんですが私もわかりません。気が付いたら知らないところにいて、やっと人のいる町に来られたんですから、もう後のことは明日にでも考えたいくらいなんです」

 疲れていますと言わんばかりの表情も忘れない。


「それに、さっきからマーナさんが言ってる魔法っていうのもよくわからないんです」

 首を傾げ、理解不能だという表情を隠そうともしないリリィにマーナも思わず、

「え?」

 と、一文字呟くにとどまった。


 その様子からリリィはここが攻め時と考え、畳み掛ける。

「私がいたところでは文字が空中に浮かび上がることもないですし、魔法技術なんてなくて科学という学問が人の暮らしを支えていました」


「かがく?それはなんですか?」

 今度はマーナが首を傾げることになる。そんなマーナをよそに、リリィは説得できそうだと胸を撫で下ろした。


「少し長くなるんですが…」

 それから、一通り科学についての説明と魔法への無知を語ることができた…



 …のだが、ピリッと張り詰めた空気は消えることはなかった。

(あ、あれー?うまく話題すり替えられたと思ったのにな〜?)

 そう思うのも束の間、マーナは口を開く。


「なるほどすごい話ですね。それが作り話でないのなら、ですが」

 言うや否や、マーナの鋭い眼光がリリィを捉える。視線で人を貫くというのはこういうことか。

 こんな状況なのに益体もないことを考えてしまうのはどうしてだろうか。人の心は不思議なものだ。


 どうやら話題のすり替えがお気に召さなかったらしい。策士策に溺れるという言葉を実感する。

 緊張感が体を強張らせる。喉を通るツバが鉛のようだ。

 思わず、フェルを抱く腕にも力が入ってしまう。

 そんな様子を確認してだろうか、マーナが告げた。



「それでは最後に質問です。あなたはですか?」

「え?」

 質問の意図が分からず、放心してしまう。



 すると途端にマーナは満足したような顔を見せ、

「いえ、どうやら杞憂だったようです。驚かせてしまって申し訳ありません」

 リリィが感じ取った嫌な雰囲気はいつのまにか消え去っていた。


 両者、張り詰めた空気を感じなくなったためか、偶然にも同時に息を吐く。

 何秒経っただろうか、先ほどよりも表情の柔らかくなったマーナが、

「実を言うと、こちらとしてもどう対応すべきかわからなかったんです。なにせ、こんな事は初めてでマニュアルがあるわけでも無いですし、それに魔力を登録していないなんて…」

 前代未聞のことなのだと、嘆くように言った。

「まあ、それはこちらの都合なのでいいんです。本題はここからです」


「あなたのことは少しだけわかりました。少なくとも今すぐ人や社会に牙を剥くような真似はしないでしょう。私と話している時、あなたの心を読み取った魔物が暴れないように強く抱いていたのも、平和的に対話するためだったのですよね」

(いや違います普通に怖かっただけです)

 喉どころか口腔まで出かかった言葉を飲み込む。好意的に解釈してくれたのならそれに乗っかることにしよう。


「それに最後の質問のリアクションを見るに、本当にこの世界のことを知らないのだということが分かりましたから」

 それはどういう意味だろうか。彼女は呆けた表情を見るのが趣味なのか?変わった人もいたものだ。


 失礼な思考を繰り広げるリリィをよそに、マーナは言葉を続ける。

「実は、あなたの話を聞いた時すでに害意はないとわかっていたのですが、念のため少し探るようなことをしたのです。不快な思いをさせてしまったこと、本当にすみません」


「ああいえ、そんな。それもマーナさんの仕事でしょうし、気にしてませんよ」

「そう言っていただけると助かります」


「それではこれからあなたの魔力を登録して戸籍を作ることにします。何はともあれそうしないことには病院にも行けず困ることが多いでしょうし」

 そう考えると、最初にここに来たのは正解でしたね。そう付け加え、声は続く。


「登録することでなんらかのマイナス要素が発生する事はありませんのでご安心ください。それと、これが一番重要なのですが」

 咳払いをして柔らかくなった表情をもう一度険しく変えたマーナ。


「これからあなたのことについてのレポートをまとめる必要が出てきます。なにせあなたは初めての来訪者。異世界研究の参考になる部分があるかもしれませんし、上に報告して諸々考えることが…ああいえ、今はそうではないですね。レポートをまとめる上であなたには同意書にサインをしてもらわなければいけません」


 同意書については後ほど用意します。そう言うとマーナは先ほど見た浮くパソコンのようなものをどこからか取り出して、作業を始めた。


「とりあえずは、戸籍登録を済ませましょうか」


 それからのやり取りは単純な受け答えのみで、名前と性別の確認、そしてフェルの使い魔登録に関する話もあった。


「まあ町の中では結界がありますし、見た感じではありますが魔力網は安定しています。すぐに申請しても問題無しと言えるでしょう」

 ああ、使い魔の登録ってここでできるんだとリリィは安心した。何事も早い方がいいだろう。思いもよらなかったがこれは僥倖と喜ぶ。


 それにしてもずいぶんと軽い扱いなのだな、これでも魔物という扱いなのにと思ったが、使い魔に関しての防止策は多く、そもそも町中であれば脅威にすらならないのだから当然なのかもしれないと納得する。


「それでは名前はリリアナ様、性別は女性でいいでしょうか?」

 仮にも戸籍なのだからもっと面倒な質問などがあると思っていたが、この世界に来たばかりで住所もなければ身長と体重もわからない状況では妥当なのかもしれない。


 もっと言えば、魔力検査をするだけで個人を特定できるのだから小難しい手続きは不必要になったのだろう。技術の進歩のよって人の手間が減る事は当然だ。


 そして最後にマーナはそのパソコンもどきでリリィの顔を写し、戸籍登録は完了とあいなった。

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