第3話 見知らぬ世界に思い馳せ

 ログハウスの玄関には、しっかりとリリィのための靴下と靴が置いてあった。

 サイズも申し分ないところを見るにこの体を想定していた何者かの行いだろう。おそらくは、いや、間違いなく、フェルが一度だけ言った神様とやらの。


 随分と用意が良いものだと感心しながらそれを履き、外に出ると……

「森?」

 思わず、口に出るリリィ。


 今しがた、リリィが出てきたログハウスは、木々に囲まれた自然溢れる……いや、自然しか無いような場所にあったのだ。


 がしかし、その認識はすぐに改めることになった。

「ん? ああ、キャンプ場かな?」

 ぐるりと周囲を見渡せば、それらしい調理場などが目に映る。


 蝶々や鳥の羽ばたきが見える度に、のどかな風景も相まって心を癒されるような気分になる。

 虫や動物が苦手でない限り、このような状況を嫌がる者はいないだろう。


 日当たりも良く、風は穏やか。

 なるほど確かに、キャンプ場としてはなかなか良い場所なのかもしれない。

 だが今はその時期ではないのか、キャンプをしている人はいないように見える。


 そして周囲には一際目を引くものがある。それはキャンプ場をぐるりと囲むように光っている線のような薄い黄色のなにか。木々の緑が背景になければ見逃したかもしれないような色をしている。

 キャンプ場と思しき範囲のさらに外側を大きく回って光るそれは特徴的な浮遊物をいくつか結んで大きな円を描いている。


(なにあれ!)

 光の線が結ぶ浮遊物は全て同じ姿で、二つの正三角形の頂点を繋げたような形をしている。それは砂時計によく似ていた。光の線と同じく黄色を纏ったそれは結晶体のようできらきらと太陽光を反射させとても綺麗だった。


 その光の出どころを確認すべく空を見上げれば、眼球が痛くなるほどに差し込む光を見る。これは……などとリリィがあちこちに目線を動かしていると、少し遅れてログハウスから出てきたフェルが、

「こちらですよ」

 キャンプ場の出口へと先導する。そんなフェルを少し足止めし、あの浮遊物はなんなのかと興奮気味に訊いてみる。


 するとあれは虫、動物に対する結界なのだそうだ。思えば蝶々も鳥も、随分離れたところで羽を上下させていた。

 そこまで見てからリリィはやっとこさ、自分の視力の良さに気が付いた。

(メガネかけてないのに……すごい!)


 それなりに視力の悪かった頃とは比べものにならないほどになんでも見えた。ここまで明瞭な視界は小学四年生以来だ。

 広い場所に出てきたからこそ気が付いたのだろう。リリィは小躍りしそうな心を落ち着けるのに精一杯だった。


 生まれて初めて見る物にメガネいらずの視力の良さ。嬉しくてたまらないといった表情を隠す様子もないので、フェルは彼女の顔を微笑ましく見守っていた。


 そしてリリィが興奮を落ち着けてから移動を始め、一人と一匹はほどなくして道路に出た。


 どうやらさっきまでいたあの場所は、少し道から逸れたところにあっただけらしい。

 キャンプ場なのだから、当然といえば当然なのだが、存外に早く砂利道ではなく舗装された道路に出てこられたのは僥倖と言えるだろう。


 しかし道路を見たリリィはまたもや思考にとらわれる。

(コンクリート? いや、それにしては凹凸がなさ過ぎるし、混ざってるようなものが何もない…)


 道路の状態を見ながら考え込む彼女にフェルは、

「どうしたんですか?」

 と問う。


 自分で考えてもらちがあかないと思い、つい先程と同じように疑問を尋ねると、この道に限らず道路の全ては土木事業者が土魔法で作っているとか。

 この道はコンクリートではなく土魔法で作られた、一つに繋がった石なのだ。強度も高めているらしい。

 結界の浮遊物に続き、わかりやすい魔法を目の当たりにしてリリィの心は躍る。


 何か気になることがあれば遠慮せず訊いてほしいとフェルに言われ、これからは気にせずどんどん疑問を投げかけてみようと決めた。


 リリィの疑問が晴れたところで、両者は前進してゆく。

 石の上を歩くリリィ。彼女の前方を先導するフェル。


 二人の行進が始まった。

 BGMには森の音楽隊が有志で集まってくれたらしく、二人の行く道を草木が揺れる音が、生き物たちの鳴き声が、あるいはどこかにある川のせせらぎが、ふわりと優しくいろどってゆく。


 幻想的とは言い難い。

 けれど牧歌的というか、のどかというか、そんなゆったりとした雰囲気が場に満ちる。


 そんな空気に包まれたリリィはすぐさま上機嫌になる。

 今にも踊り出しそうな足取りで、石の道を進みゆく。

 リリィたちの歩くところは道路の端で、白い線が見える。盛り上がってはいないが、自分は歩道を歩いていることだけは分かった。


 とすると、車やそれに近しいなにかもあるのだろうか。道路の幅からいってなにか人よりも大きなものが通るのは間違い無いだろう。現代日本と同じレベルの文化を持つ魔法世界。その言葉が現実味を増しつつリリィの脳内をさらに圧迫してくる。


 楽しい。この世界はどうなっているのだろう。どんな人がいるのだろう。どんな物があるのだろう。未知とはかくも心躍るものなのか。自分の国を出た歴史上の開拓者たちの心境がわかったような気がした。


 そんな喜びに呼応するかのように陽光は燦々さんさんと降り注ぎ、行く先を明るく照らす。


 まるで自分の前途の明るさを示しているようだ。とは流石に思わない。

 そこまでお調子者でもない。けれど、そうあってほしいと思ってしまうのは仕方がないだろう。

 それほどまでに晴れ晴れとした光景であったのだから。


 視界に映るもの自体は、少し変わった道路以外にそれほど物珍しい何かがあるわけではないのだが、左右に木が立ち並ぶ道はリリィの故郷である、ドが付くほどの田舎の道を彷彿とさせる。

 フェルによると、最寄りの町はそう遠くないそうだ。


(早く着かないかな。どんな町なんだろう?どんな建物があるんだろう?)

 元の世界との違いをいち早く楽しみたいリリィはしかし、故郷を思い出させるこの田舎道を時折クルリと回ったりしながら進んでいた。


 どれくらい歩いた頃だろうか、ふと、フェルがリリィに話しかける。

「そういえば、訊きたいことがあるんですが良いですか?」

「もちろん、なんでも訊いて?」


 それを聞いて、フェルは直球でたずねることにした。

「リリアナという名前にしたのはマンガから、と言っていましたがそれだけではありませんよね?」


 その質問に、リリィは、

「あー、気付いた?」

 特に隠すこともなくあっさりとバラす。


 フェルは気付いた理由を述べる。

「なんというか、本当に勘なんですが、おそらくは元の名前に少し近いから。とかかなと」

「んー、ちょっと違うかな。うんまあ恥ずかしいけど、しっかり答えるよ」


 少し顔を赤らめて、リリィは言う。

「えーと、実は私、母さんにリリィって呼ばれてたんだ」


「え? 男性の時ですよね?」

 ここに来てから女性になったのだから、母親と接していたのは当然、男性の時に決まっているのだが、フェルは確認せずにいられなかった。

 男で、しかも純日本人に付けるニックネームでは無いというのが、彼女が恥ずかしいと言った要因であろうか。


「うん。なんか可愛いからっていう理由でそう呼ばれてたんだ。それで、呼ばれ慣れた『リリィ』なら反応しやすいかなって」


 名前を全く違うものにしたら、慣れるまで名前を呼ばれても反応出来ないこともあるだろう。

 リリィは、それによって周囲の機嫌を損ねることを危惧したとのことだ。


「それで、マンガで出てくるヒロインにリリアナって名前の子が居て、愛称がリリィだったからちょうどいいなって。それに今の私と同じ銀髪だったし」


 流石に自分の知っているキャラクターと同じ名前にすることに抵抗感が無かったといえば嘘になるが、その一点を気にしなければ自分にとっても呼ぶ側にとってもわかりやすいと思ったのでこの名前にしたのだ。


「そうだったんですか」

 唸りながら自身の名を考えていた時に周囲のことまで考慮していたのかと、フェルは感嘆した。

「やっぱり、《適正者》はすごいですね」


 フェルが素直に感心していると、リリィは聞き慣れない単語を耳にしたので少し訊ねてみることにした。

「ん? なにその《適正者》っていうの?」


「あれ? 言ってませんでしたか?」

「うん。初めて聞いたよ」

「《適正者》というのは、聖女に相応しい人のことです。いちいち『聖女に相応しい人』と言うのが面倒くさかったようで、神様がそう呼称するようになりました」

「なんか、テキトーだね」


「そうですね。神様はすごくテキトーな人です」

 リリィが率直な意見を口にすると、同意を示し呟くフェル。


 けれどもその表情はどことなく嬉しそうで、まるで伴侶の短所を笑って許す妻のようにも見えた。そんな様子にリリィは、

「ねぇ、もしかしてフェルくんって女の子なの?」

 と確認してみる。


「はい。そうですよ? どうしたんですか? 今になって」

 すると、あっさりと小さな首を動かし頷いてみせるフェル。


「いや、フェルくんが自分のことを僕って言ってたから、最初は男の子だと思ってたんだけど、話し方とか笑い方が女の子っぽくて分からなかったんだ。ごめんね、勘違いしてて」

 リリィも素直に謝る。確かに色々な要素から間違う可能性の方が高かったからとはいえ他者の性別を間違えてしまったことは失礼に当たるだろう。


 しかしフェルは顔に笑みを滲ませた。

「いえ、なんともないですよ。それにボクも応接室であなたの一人称に疑問を抱いたんですから、そこはおあいこでしょう」

 まあ、性別を間違われるのは何百年ぶりかは覚えてませんけどね。とフェルは言葉を閉め、にこやかにその話題を終える。


 かに思われたが、リリィの無邪気な追撃がフェルの表情筋に変化をもたらした。

「それとさっきの反応って、もしかしてフェルちゃんと神様って…」

 そこまで言えばフェルも変わらず微笑み続けることは出来なかったのか、その笑顔にほんの少しの照れを表す。


「え、ええ、まあ、そういう感じです…」

 フェルはそっち方面の会話が苦手なのか。それとも単に神様との関係をリリィに察してもらえて嬉しいのか、顔をふいっとそっぽへ向けて頬を赤く染めた。


 対してリリィは自分の考えが当たったにしては反応が薄く、

「あ、やっぱりそうなんだ」

 と、少し間延びしたような相槌を打つにとどまった。


「あ、そういえばまだ上位界についての説明をしてませんでしたね。町に着くまでに終わると思うので今のうちに話しておきましょう」

 フェルはその照れを隠すように違う話題へと移ることにした。頬の赤みはまだ残っているが、リリィはそれに気付く様子もなく喜んでフェルの言葉に耳を傾ける。


 曰く、リリィのいた元の世界も今いるこの世界も分類上は下位界とされ、フェルの生まれた世界は上位界である。

 上位界といっても様々ありそこに住む者もまた様々いる。まあ下位と上位というだけあって上位界の生命体は下位界のそれとは比べものにならないほどに優れているのだとか。


 たとえ下位界で名を馳せた勇士といえども、上位界の如何なる生き物にも勝てないほどに。それが基本だと、フェルはそう告げた。


 しかし上位界の者にはそれ相応の成果が求められる。大きな能力には大きな責任が伴うというやつだ。

 それ相応の成果とはつまり神話。あるいは英雄譚と言った方がわかりやすいか。

 上位界に生まれた者はそもそもその総数が少ないが、彼らは生まれてから15年経つと下位界のいずれかに赴き、己の能力で以ってして《上位界の生命》であるにふさわしい偉業を成さねばならないのだとか。


 その基準等は小難しいらしいのでフェルは割愛したが、ともかく偉業を成せるまでは上位界に帰れず、すぐに終わらせる者もいれば、長期に渡って下位界で過ごす者も出てくるそうな。

 それのタイムリミットは下位界に降りた日からちょうど10年。それを超えると上位界にいる資格を剥奪され、下位界で生きることを余儀なくされるのだ。幸いなことに救済措置としてか、彼らはその期間中は一切歳を取らないという。


 上述したように上位界の生命体はその特出した能力を持ち、しばしば下位界に降りてくるものだから彼らは下位界の人間から神として崇められた。


 実を言えば《神》という称号はその上位界を治める最も優れた者に贈られる名で、それ以外の者はたとえどれだけの偉業を持とうとも神を自称することは出来ぬらしい。


 そうはいっても下位界に来れば神、あるいはそれに類する者として扱われることも多く、それが面倒だと思う者もまた多いので神を自称することに関しては取り締まったりなどはないのだそう。

 実際上位界で神を自称しない限りはなんの罪もないらしいので、そういったトラブルは少ないそう。


 また、今回のように下位界に干渉することは多くなく、上位界の統治者たちである神が集って決めた協定に従い、下位界に助けが必要だと判断した場合にのみ、このような対応をするのだとも教えてくれる。


 そしてそれに続けるように、この世界での必須技術や魔力というもの、そして人種についても教えてもらった。その内容についてはここでは省くが、おそらくすぐにお目にかかるだろう。


 そんな会話をしながらも道を歩いてゆく。他に人がいないことにリリィは不安になりながらもフェルの話は興味深く、その不安もすぐに消えてしまった。二人は…いや、一人と一匹はどうやら波長が合うのか、穏やかな雰囲気のまま歩きながら話を弾ませていく。


 それからしばらくして、道の終わりが見えてくる。遂に町へとたどり着いたのだ。そこにはキャンプ場で見たような黄色い線は見当たらず、大きな町のその全容はリリィの視界内には収まり切らない。


「さあ、ここです」

 フェルが先導し、町の入り口へと近付いてゆく。


 これからどんなものが待ち受けているのだろうか。知らぬ世界、知らぬ町、そして未だ見えぬ人に思いを馳せながら、リリィはフェルの艶やかな黒き姿を追いかける。

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