第14話 陰と陽

 崔月倫がもう一度やってくる日取りは、五日後と予測された。

 李珠が『くだんの角』に問いかけたところ、そのように反応したのだった。道士の中には似たようなあやかしを友とする人がいて、その占いの結果も同じ。

 南に嵐の雲があり、悪天に乗じる形で、決戦を挑むという。


「崔月倫は、その日に決戦の覚悟を決めたのだろう」


 黒龍堂で、王仙夏は言った。

 店主は李珠にその日取りを告げたと思うと、お店の方へ出て行ってしまう。


「李珠よ、そのまま湯を沸かしておいてくれ」

「あ、はい」


 李珠らが胡同フートンで崔月倫と会ってから、翌日のことだった。

 店には、朝から多くの道士、そして道士に協力するあやかしがやってきていた。昼前になっても客足は途切れない。

 厨からそっと顔を出しながら、李珠は目をぱちくりさせる。


「こ、こんなに賑わってたんですねぇ」


 十一歳の少女があやかしと道士の中にいるのは、どう考えても目立つ。実際、李珠はとても注目された。

 こういうのはひどく苦手なので、すぐに厨へ引っ込んでしまったのだった。

 お茶を用意したり、饅頭マントウをふかしたりするのは飯屋の雑用で慣れている。

 李珠が見ていると、訪れた客人達――おそらく道士だろう――は、王仙夏から青い宝石を受けとる。そして首飾りにしたり、大事そうにしまったりして、丁寧に礼をして去った。

 その中に道士、揺蘭の姿もあった。


「私が戦っても、おぬしが陰気を浴びないようにする仕掛けだがのう。賭けといっても、単純なことなのだ」


 客足が絶えたころ、王仙夏は李珠に教えてくれた。


「陰の気を、大辰国の道士にも引き受けてもらうのだ」


 李珠は目をぱちぱちさせる。


「どういう、ことです?」

「ううむ、つまりだな」


 王仙夏は眉を跳ね上げた。


「よく聞いておけ。胡同フートンの倉庫では、おぬしは私の陰の気配を強く浴びた。心の結びつきがあったゆえにな」


 王仙夏の話では、あやかしと友達になった人は、そのあやかしから影響を受けてしまう。

 人は『陽』の気配、あやかしは『陰』の気配を持つ。強いあやかしである龍――王仙夏から陰の気配を浴びて、李珠本来の陽の気配が揺らいでしまった。

 それが、先日の気絶の理由なのだった。


「それを、私の龍珠が解決する」


 王仙夏はぐっと手を握り、開く。掌には青い宝石が生まれていた。


「『友の宝珠』とでも呼ぼうか。陰の気配を、この宝珠を持つ大勢で分担できるのだ」


 李珠は想像してみた。

 一番しっくり来たのが、重たい荷物をみんなで持つという状況だった。

 李珠一人では、たとえば机は持てない。つぶれてしまう。けれども徐文や揺蘭と一緒に持てば、持ち上げることはできるだろう。

 そのたとえを話すと、王仙夏は苦笑した。


「そういうたとえで差し支えない」


 李珠は王仙夏から渡された宝石を、日にかざしてみた。


「それは私が生み出した龍珠だ。これを持つ人間は、李珠と一緒に私の気配を引き受ける。結果、李珠、おぬしの負担は軽くなる」


 原理は、崔月倫の龍珠と同じらしい。

 龍珠とは、いわばあやかしの体の一部。龍珠をもつ人を操るのが崔月倫のやり方なら、王仙夏は龍珠をもつ人に協力を求めるのだ。


「すごい」


 李珠は素直にそう思った。この人は、きちんと対策を立てていたのだ。


「とはいえ、使うのは初めてなのだ。その意味では、まさに賭けになろう。それに」


 王仙夏は李珠を見やる。


「……またしても、人の子供を巻き込んでしまったのう」


 王仙夏が見やるのは、李珠のかんざしだった。李珠と夜叉国を結ぶ、あやかし道具だ。

 けれども、この道具にはもう一つの意味がある。大辰国ができる時に王仙夏と戦った道士、その形見なのだった。

 あやかしと同様に、優れた道士も特別な『あやかし道具』を残せるらしかった。


「……その人って、同じ簪なんですよね? 長い髪をしていて」


 王仙夏は眉をひそめた。


「そうだが……」

「その人、私を黒龍堂まで案内してくれたかもしれないです」

「なに」


 李珠は、初めて黒龍堂をおとなった時の、不思議な光の話をした。金華と一目五に気づかせてくれた時も、同じ光があったことも。


「……そうか。おそらく、同じように才がある者を、私の元へ招くよう、助けるよう、作られていたのだろう。おぬしが見たのは、その道士の幻影だ」


 王仙夏は懐かしむように首を振る。


「おせっかいな人間である」


 けれどもすぐに目を厳しくした。


「李珠よ、これからおぬしの身はさらに危険になる」


 李珠は驚いてしまった。昔なら固まってしまっただろうけれど、今は不思議と、余裕がある。


「……危険?」


 ちょっと頬をかく。


「い、今までもかなり危険だったような」

「崔月倫が、おぬしを狙う」


 さすがに、ええ、と声を出してしまった。


「な、なんでです?」

「龍の入れ物としての才能は、おぬしが勝っている」

「へ」

「強力なあやかしの場合、人の世で自由にふるまうだけで周りに影響を与えるものだ。崔月倫の場合、おぬしの姉の体を奪っているわけだが」


 王仙夏は膝を曲げて、李珠と視線を合わせる。


「そのような体は、実は多くはない。崔月倫は、おぬしの体により強く惹かれたようだ」

「つ、強く、ですか?」

「うむ。おぬし、崔月倫から体を取られそうにはならなかったか?」


 王仙夏は膝を曲げて、李珠と視線を合わせる。


「そういえば……」


 姉の体と引き換えに、李珠の体を奪おうとした。


「黒龍堂のあやかしを連れて姉を探し回っていた時、崔月倫はおぬしに目を付けたのだろう。だから、おぬしの前に直接姿を現した」


 李珠は怖くなった。

 けれども、もう後ろには退けない。あやかし達と一緒に、姉を取り戻すために戦うつもりだった。


「しばらくは、黒龍堂にいよ。ほかの道士やあやかしを集める手伝いも、してもらいたい」


 崔月倫の気配は日にちに強まり、李珠達は他の道士を説得して過ごした。また、徐文は武官を集めて、万一の時のために住人の避難を準備させた。

 今頃は、郭おじさんも兵士の一人として、住人を移動させる練習をしているのかもしれない。

 ほんの十日ほど前は、その郭おじさんと姉と一緒に、お祭りを見に行っていたというのに。

 李珠はとても遠いところへ来た気がした。


 太陽が昇り、沈み、月が出る。その繰り返しの内に、戦いの日がやってくる。

 舞台は、宮殿――明禁城だった。

 徐文が連絡に来る。


「城の準備はできました」


 その日、李珠は黒龍堂の古い衣を身に着けていた。緑色の衣だけれど、下が男性の長袍ちょうほうのように、右足、左足、と左右二股の筒に分かれている。

 大辰国を興した人達はよく馬に乗ったりするので、女性にもこういう衣ができたようだ。

 布地が大きくて、前の結び目が肩のすぐ近くまでくる。そのため、懐に黒龍堂のあやかし道具を多く収められるようになっていた。

 王仙夏からもらった青い龍珠や、くだんの角、その他の道具は、みんな懐か帯から吊るす物入に納めてある。

 徐文が王仙夏に向けて揖礼ゆうれいしている。


「崔月倫の目的は、王仙夏殿を倒し、世を乱すこと。大辰国が建つ前の混乱を、もう一度、引き起こすこと」


 徐文は言葉を切る。

 そのために、あれだけの山のあやかしをため込んでいたのだ。


「道士達の活躍で、おそらく首府に放つ予定だったあやかしは、大方退治できています。つまり、崔月倫にとっては――」

「この日が、決戦だ」


 王仙夏が敗れれば、崔月倫は野望を遂げてしまう。

 首府どころか天下をボロボロにして、世の中をあやかしで満たしてしまうだろう。


「李珠、おぬしは城の奥にいよ」


 こくりと頷いたが、また怖くなった。

 自分の身が怖いだけじゃない。王仙夏が必死の覚悟を決めているようで、怖かったのだ。


「だ、大丈夫ですよね?」

「うむ」


 ふと、李珠はほかの龍はどうしたのだろう、と思った。王仙夏は見透かすように言う。


「大辰国にかつていた他の龍は、夜叉国の奥深く、山や海へ去ってしまった。人との関わりが、いやになってしまったのだろう」


 李珠は、王仙夏の礼服の、袖をつかんだ。

 それでも残ったこの人は、たぶん――


「……無事に帰ってきてくださいね」


 王仙夏は、角の生えた顔で頷く。優しい顔だった。


「無論である」


 夜となり、陰気が強まる。

 用意が整った明禁城に、崔月倫が現れた。

 明禁城の、外廷にある広場の中央に、姉が立っている。

 李珠は王仙夏と共に、小高くなった屋敷の上にいたから、それが見えた。

 皇帝陛下だけが歩けるという龍が刻印された床を堂々と踏んで、崔月倫はやってくる。


 ――さて。


 そんな声が、耳を打った。

 途端、稲妻が走る。『落ちた』というよりも、姉の体から光が昇ったみたいだった。

 天は一瞬で暴風となり、雷が轟く。李珠はそこに、いびつな龍の姿を見た。

 空をくねる長い体には、白い翼が生え、瞳と鱗の色は碧。ねじくれた角がとぐろを巻いている。真っ赤な舌が突き出されて、陰気に濁った風を吐いていた。


「龍……」


 うめく李珠の後ろで、王仙夏の体が、ほどけた。

 肉体は白い煙となり、ゆっくりと空へと昇っていく。黒龍堂に漂っていた、あの優し気な香りがあった。

 雨が強くなる。

 天に現れた二体目の龍は、黒龍だった。

 まっすぐな二本角。目は青く、黒々とした鱗が空をうねっている。白い毛が刃のように空気を裂いて、一直線に崔月倫の方へ向かった。

 そのまま二つの龍は、互いに牙をむきながら、空の高みへと上がっていく。

 李珠がいる屋敷には、王仙夏が残してくれた道士達が控えていた。その中には徐文と、揺蘭もいる。


「李珠、外に近づくな」


 揺蘭が李珠の首根っこを掴み、屋敷の奥へ連れ戻した。


「あんたを狙ってるあやかしもいるんだ。崔月倫、歴史に残る悪龍だ、何をやってきたって」


 そこで、屋敷の天井がはがされた。

 巨大な爪だ。

 大きな目玉が李珠を見つけて、くちばしで連れ去ろうとする。が、すぐに怪鳥の姿は消えた。

 黒々とした尻尾が――王仙夏の尻尾が、巨大な鳥を吹き飛ばしたのだった。


 ――李珠、おぬしの方にあやかしが向かうぞ!


 遠くから怒号と悲鳴が聞こえる。

 皇帝陛下の方も同じような状況のようだった。

 徐文がうめく。


「や、や、山のあやかしが、こっちに一斉に向かってきてるんだ!」


 揺蘭が口を曲げる。


「あれだけ潰しただろう? 李珠が突き止めてくれた柳家だって、倉庫にいたあやかし共は――」

「そのさらに上がいたんだ!」


 周りは、一瞬で混乱に陥った。

 李珠はぎゅっと身を小さくして揺蘭の陰に入るようにする。けれど、強い力に肩を掴まれた。瞬く間に空に持ち上げられる。


「李珠っ」


 徐文の悲鳴。上を見ると、人の顔がついた鳥が――人面鳥が李珠を連れ去ろうとしていた。


朱鳥しゅちょうだ!」

「人面鳥だろ!」


 正確に言う徐文を、揺蘭が無視する。


赤狐せっこ!」


 揺蘭のあやかし、赤狐せっこが飛び上がり、人面鳥に向けて火を噴いた。李珠は離されたが、空の上である。


「え、えええ!」


 徐文がなんとか受け止めてくれた。

 まだ心臓がばくばく鳴っている。


「……次がくるぞ」


 徐文が言うとおりだった。明禁城にはあやかしがあふれ、そこら中で戦いが起こっている。


「二か所で迎撃するはずだったんだけど。これじゃ、戦力が分散しただけだな」


 徐文が頭をかいていた。天井がはがされたので雨粒が打ち付けてくる。

 李珠は状況を確認しようとして、辺りを見回す。外廷の広間を見て、目を見開いた。


「お姉ちゃん……!」


 李麗の体は、石の床にうつぶせに倒れたままだった。周りにはあやかしが跋扈している。

 崔月倫の心が離れたせいか、もう周りのあやかしにとっては、ただの『人間の体』であるらしい。

 恐ろし気な顔をした妖獣や、怪鳥が、何羽も何匹も李麗の体を覗き込んでいた。


「あそこ……!」


 指さす李珠に、徐文が歯噛みした。


「なるほど、僕らを誘い出すつもりで、あそこにお姉さんの体を置いたのか」


 揺蘭が舌打ちする。


「罠――だろうけど」


 李珠は言った。


「あそこじゃ危ないです! なんとか、こっち側に……!」


 李珠の言葉に道士らは迷っているようだった。

 いてもたってもいられずに、李珠は身を打つ雨の中に飛び出す。ほかのあやかしが李珠に気づくが、徐文が刀を振って切り裂いた。


「……ああもう! 全員、いくよっ」


 揺蘭の音頭で、全員が李珠の後を追ってくれた。

 黒龍堂のあやかし、金華と一目五も続いてくれる。

 そのあとは、不思議とあやかしと出会わなかった。何度目かの角を曲がる。

 李珠は雨の中に立ち尽くす女性を見た。


麗々れいれい?」


 李珠は目を凝らすけれども、すぐに違うと分かった。横で、鈴の音がしたからだった。


「李珠!」


 金華の言葉に、すぐにしゃがもうとするが、李珠はあっという間に三人の娘に囲まれてしまった。

 夜天祭で李麗をさらった、まったく同じ顔をしている三人の娘たちだ。

 飛びかかる道士や、あやかしをかいくぐるように、娘らはふわりと飛び上がる。

 着地したのは、外廷の広間だった。姉が倒れているすぐそばだ。


「この子はもうだめ」

「もっといいのが来たからね」


 少女らはくすくすと笑っている。

 一人が、姉の体から翡翠の櫛を引き抜いた。それを李珠の髪に挿そうとする。


「暴れないで」

「おとなしく」

「お姉ちゃんと同じになりましょう」


 李珠は精一杯に暴れる。けれども、拘束は全然解けない。

 翡翠の櫛が近づいてくる。

 ふと、花の匂いを感じた。黒龍堂から持ってきたあやかし道具を収めた、懐。そこからふわりと花弁が舞ってくる。

 李珠は、かつて助けたあやかしに、力を貸してくれるように願った。


「花神――!」


 それは、助けたあやかしが残した『あやかし道具』。

 『花神かしんの華』だった。

 懐から牡丹のつぼみが飛び出し、瞬く間に満開となる。花弁が舞い散り、少女らの視界を覆い隠した。


 ――ちりん。


 李珠の耳に鈴の音が届く。

 それは、真正面にいる、少女の一人から聞こえてきた。


「この子――」


 頭に櫛をさしている。そこには、鈴。

 李珠は生まれた隙をついて、精一杯に手を伸ばし、少女の頭から櫛を抜いた。

 すると、ぱちんと光が弾けて、三人の少女のうち、二人の姿がかき消える。残った娘も、気を失い、雨の中に倒れてしまった。

 徐文が近づいてきて、李珠の掌を改める。


「これは……鈴か」


 ふむ、と息をつく。


「三頭幻人の鈴、か」

「さん、とう……?」

「三つの頭を持つあやかしだ。これは、その力が詰まったあやかし道具かもしれないね」


 おそらく、三人の娘の中で、ほんものは一人だけ。ほかはあやかし道具の力で生まれた幻なのだということだった。

 李珠は姉の頬に手を当てる。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 李麗の頬は真っ白で、手も冷たい。山犬、一目五が顔を寄せてきた。


「道術の気配を感じない」

「でも……」


 屋根があるところに運び込むと、李麗の瞼が震えた。


「李珠……?」


 ここは、と姉は言う。


「……お城だよ、お姉ちゃん」

「お、お城?」


 李麗は怪訝な顔をする。周りを見て、道士達や、あやかしの姿を見て驚いた顔をしていた。


「お姉ちゃん、後で話すから……」


 明禁城の戦いは、だんだんと終わりに近づいている。崔月倫が用意したあやかし達が、減っていくようだった。


「李珠、どうしたの?」

「お姉ちゃん、いっぱい、話すことできたから……」


 久しぶりに姉の声が聴けて、嬉しい。

 天では雷鳴が轟いていた。李珠は王仙夏と崔月倫が戦う、大空を見上げる。


「あとは、王仙夏さま……!」



     ◆



 大空では、崔月倫と王仙夏が戦いを続けていた。それは、李珠のずっと頭上で行われている決戦だった。

 時折、龍同士の唸り声が轟いてくる。

 李珠は懐から青い龍珠を取り出して、目を閉じる。すると、王仙夏の様子がより鮮明に浮かび上がってきた。

 雷鳴と黄砂の中で、二つの巨体が絡み合い、かじり合う。陰気の風が、嵐のようだ。李珠は流れ込んでいる景色と一緒に、強い痛みを覚えた。


 ――おお!


 崔月倫が咆吼を発する。姉の体から、くしが抜かれたことに気付いたのだろう。

 震えるほどに、恐い、と李珠は思う。

 でも目をそらさずに、李珠は王仙夏を応援した。


「王仙夏さま! 頑張って!」


 王仙夏の黒い龍が、毒紫の龍に食いつく。

 二つの龍は絡み合うように、夜叉国へ向けて落ちていった。

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