第7話 道士、揺蘭

 飛行する絨毯から圭城府を見下ろすのは、想像もできない光景だった。

 空のあやかしがいるとしたら、いつもこのような景色を見ているのだろうか。たとえば、龍とか。


「す、すごい! すごい!」


 李珠はさっきから「すごい」の大安売りだった。

 見下ろすと、民家の屋根が後へ飛んでいく。時折ある高い塔や木も、絨毯が飛ぶ高さよりもずっと下だった。時々すれ違うのは、カラスや鳶といった鳥ばかりだ。

 李珠は絨毯の縁をぎゅっと掴んで、万が一にも落ちないように気を付ける。

 それでも飛び込んでくる景色が、周りから目を離させなかった。


「で、でも、これ、目立っちゃわないですか?」

「心配ない」


 徐文は乗り慣れているのか、落ち着いている。いつものような細目で、絨毯に乗った品々を取り上げた。


「これは、昨日君が付けていったかんざしだよ。闇石のかんざしという品で、これを持つ存在は周りから極端に注意を払われなくなる」


 なるほど、と思った。

 今身につけているかんざしとは別のものだったが、どちらも不思議な力を帯びている点は同じだろう。


「今のわたし達、誰にも気付かれないってことですか?」

「そういうことだ」


 改めて、李珠は王仙夏をすごいと思った。

 だんだんと宮殿、明禁城が近づいてくる。瑠璃瓦のきらきらした輝きが見え、巨大な扉と塔をそなえる正門が、堂々とした姿を地平の端から現した。

 降りる場所を探しているのか、絨毯の速度と高度が落ちていく。


「李珠、改めて言うが、君には礼を言おう」


 徐文は細い目で李珠を見つめた。

 すでに絨毯は明禁城の上を走っている。


「君が牛の予言を聞くことで、命を救った方は、皇帝陛下――天子様だ。まだ事件は完全には解決していないが、君の姉のことも、できる限り力になれと仰せである」


 徐文は風で飛ばないよう、帽子を押さえながら続けた。


「大辰国は、実は建国時から『あやかし』という存在と関わっている。それを退治したり、仲間に引き入れたりするのが『道士』という存在だ」


 よくよく思い返すと、李珠もうっすらと聞いたことはあった。

 が、怪物を退散させたり、疫病を追い払ったり、おとぎ話にばかり出てくる。夜叉国の物語は多いが、『道士』という存在が出てくる物語は、記憶に少なかった。


「中でも、王仙夏殿は特別だ。本来であれば、限られた者しか会えないほどのお方だが、君への協力はきっと惜しむまい」


 李珠は胸が熱くなった。

 必ず見つけるからね、と姉に向かって念じる。


「お、王仙夏先生、ありがとうございます」


 聞こえていると思って言ってみた。案の定、頭のかんざしから声が降ってくる。


 ――せ、先生?


「だって、偉い人なのですよね?」


 李珠の知識では、偉い男性には先生シエションとつけることになっていた。難しい試験に受かった人とかだ。


「王仙夏先生とお呼びした方が……」


 ――先生などいらん。むずがゆい。


「でも」


 ――くどい。


 ぷつっと声が途切れてしまった。徐文がくつくつと笑っている。


「そういう方だ。態度で示したがっているほど、悪い方ではないよ」


 李珠はふと思った。

 まだわからないことだらけだけれど、李珠の知らないところで、圭城府には『あやかし』とその力を操る『道士』がいる。

 王仙夏は――あの角と尻尾が生えた男の人は、どっちなのだろう。


「王仙夏さまは……」


 ――私は、どちらも兼ねている。『あやかし』でもあり、『道士』でもある。


「……どちら、でも?」


 ――『龍』は特別なのだ。


 龍、という言葉がすとんと李珠の胸に落ちた。

 徐文が言う。


「あやかしの世界に隠れ、ひそやかに大辰国を守ってきた龍。龍は、あやかしの中でも、特に力が強い存在だ」


 李珠も名前だけは聞いたことはあった。

 一際に力が強く、場所によっては神様のようにされているとか。まさかお店をやっているとは思わなかったけれど。


「それほど大きな存在だから、夜叉国から出るだけで、周りに多少の影響を及ぼす。だから、僕や、今回の君のように、王仙夏殿の代わりに、謎の前に出ていく人が必要なのさ」


 かんざしがかすかに震える。王仙夏がなにか言いかける気配があったけれど、なにも来なかった。気のせいだろうか。


「ついたよ」


 徐文の言葉を合図に、絨毯が着地する。紅い塀で囲われた宮殿の中だった。

 徐文は慣れた様子で絨毯に置かれたものを――黒龍堂から持って来た『あやかし道具』を、かごに一まとめにしてしまう。そして絨毯は、李珠達が降りると上昇し、空の彼方へ飛んでいってしまった。


「か、かしこいですねぇ」

「うん、あれも『あやかし』らしいよ。年経た絨毯のあやかしさ」


 言いながら、徐文は李珠を招いた。


「ここは私の部屋だ。李珠、君を連れて歩くに当たって、女官の見習いということにしたい」

「へ」

「だって、十歳くらいだろう? 正式な女官というわけにはいかない」

「十一歳ですっ! あとそうじゃなくてですね」


 李珠の抗議をよそに、徐文は鈴を鳴らして侍女を呼んだ。着替えをもってこさせる。薄い青色の衣だった。


「闇石のかんざしで姿を隠してくれてもいい。が、君本人が話したい場合もあるかもしれない。それに――宮の奥には道士もいて、まじないの気配に敏感なのもいるから、姿を隠してうろつくのは妙な疑いをまねく」


 徐文は侍女に着替えを指示して、部屋を出て行く。ふと気付いたように振り返った。


「なにか、詩や経は知ってるかい?」


 李珠が知っているのは一つだけ。

 働いている飯屋の店主が、なにかにつけて口ずさむから覚えてしまったものがある。科挙を受けに来た学生も食事に来るから、少しは詩も覚えてしまうのだ。

 『黎明即起リー・ミン・チー・チ』から始まる一節を李珠がたどたどしく言うと、徐文は頷いた。


「どんな意味なんです?」

「朝早くおきましょう、という意味だ。ちなみに、その後、打掃潔浄ダー・ショウ・ウー・チン――家を掃除しましょうという言葉に続く」


 李珠はなんだかがっくりきた。

 飯屋の店主から覚えた言葉だからそういうものだろうと思っていたが、要は『早起きして掃除しよう』という言葉らしい。


「まぁ、それだけ知っていれば十分だ」


 絶対に十分じゃないと思ったが、李珠はなし崩し的に女官の見ないに化けさせられてしまった。

 宮殿の服は、うぐいす色の襦裙じゅくんだった。裾が長くて少し腰を曲げたら床にこすってしまいそう。

 いつもの街でこの服を着たら、土と汚れで見事な生地をたちどころにダメにしてしまうだろう。李珠は妙にハラハラしながら徐文の後に続いた。


「ここが養心宮の終わり。ここからは後宮になる」


 徐文は説明した。

 この人は攻を立てた将軍の子息で、明禁城の一部に住むことを許されているらしい。


「後宮は、皇帝の家族の他、奥方――妃もおわす。本来は、限られた人物しかゆけないのだが」


 徐文は歩きながら言った。


「今回は花が咲き狂っている異常事態だ。道士や、武官が呼ばれているゆえ、入ることが出来る」


 紅い壁に挟まれた路地を進む。途中にいくつも立派な門があり、李珠はあまりきょろきょろしないようにしながら歩いた。すぐにあちこち振り向くのを姉に注意されてもいた。

 前からしずしずときれいな人達が歩み寄ってきた。


「後宮の女官達だ。目を伏せて」


 へぇぇ、と李珠は目をぱちぱちさせた。飯屋では絶対に見ない類いの人達だろう。

 手にお盆や器を持って李珠達の横をすり抜けていく。それぞれがかいだことのない香をまとっており、李珠は感心した。

 この人たちはどんな器を使っているのか、何を食べているのか、気にはなるけど仕方ない。

 女官の行列が終わった時、最後の一人が足を止めた。

 李珠は変に思う。横を見上げると、すらりと背が高い、とてもきれいな女性だった。口にうっすらと紅を乗せ、緑青の色をした衣をまとっている。

 歳は、二十くらいだろうか。姉より少し大人だ。

 女性は行列が遠くへ行き、見えなくなるのを待ってから、口を開いた。


「こんにちは、徐文殿」


 腰を沈めるようにして、女性は礼をした。

 李珠も慌ててぺこりとする。


「揺蘭殿か」

「この方は?」

「女官の見習いだ。作法は至らぬが、勉強のためにな」


 ふぅん、と揺蘭という女性は李珠を見下ろす。


「……あなたがここに来たということは、陽明園のことを聞いたのね?」

「ええ。花が咲き狂っていると」

「では、その子は黒龍堂の方かしらね」


 李珠はどきりとした。助けを求めるように徐文を見上げる。

 心配ない、と徐文は微笑んだ。


「この方は、道士の一人だ。後宮は、どうしたわけか陰の気が溜まりやすいといわれている。そのため、あやかしに対処できる女性道士がいるのだよ」


 よろしくね、と揺蘭は言った。薄く化粧をした目で、徐文のかごを見つめている。


「と、こ、ろ、で。そのかごは何かしら? 黒龍堂から何か持ってきたのなら、こちらにも分けてよ」

「それは無理だ」

「へん、それは残念」


 揺蘭が口を曲げたので李珠は驚いた。上品な振る舞いだったのに、そんな顔をすると、まるで飯屋にいる女中のようだ。

 李珠が口をまん丸に広げていると、揺蘭は笑った。今度は目尻を思い切り下げた、悪戯っぽい笑みだった。


「道士になったから後宮にあがったけど、あたしも街出身なのよ。あなたもそうだろ?」

「は、はぁ……」

「じゃあなおのこと、きょろきょろしなさんな。自分に自信がないって言って歩くようなもんだ。こうしてすまし顔で歩くといい」


 揺蘭は、李珠らを引っぱるように歩き出した。しずしずとした歩みのはずのに、なんだか大海原を切り開いていくような迫力がある。


「す、すごい人です……!」


 今まで会ったことがない人だった。徐文が額に手をやっていた。


「ああ、面倒なのに捕まったかもな」

「徐文、いくよっ」

「はいはい……」


 どうやら徐文と揺蘭は知り合いらしい。その辺りのことも聞いてみたいと思いながら、李珠は後を追った。

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