第17話 視聴覚室の男 後編

 放課後。わたしは市井先輩を誘って視聴覚室に足を運んだ。ちなみに茉莉も一緒だ。


「ふむ。授業以外でここに来るのは初めてだな」


 教室に入るなり市井先輩が感想を漏らした。


「テレビってこれだよね?」


 茉莉が教室の中央正面にあるブラウン管テレビのスイッチを入れると、ザーとノイズを走らせながら画面に砂嵐が表示される。


 市井先輩が噂話の状況を再現するとかで部屋のカーテンを閉め始めた。


「なんかさー。この音って妙に落ち着くよねー」


 テレビの画面を見ながら茉莉がひとりごちる。


「そう? わたしはどちらかと言うと不安になるけど」


「この砂嵐の音は胎児が母親のお腹の中にいる時の音に似ているそうだ。だからその時の記憶が呼び起こされて安心感を与えることがあるそうだ」


 カーテンを閉め終わった先輩がそんな事を言った。


「へぇ。つまり不安を覚える楡金ちゃんは人間の子ではないと。卵から生まれたのかな?」


「何バカのこと言ってんの!」


 言うまでもないけどわたしはれっきとした人間だ。


「ま、楡金の感想もわからなくはない。私もこのブロックノイズを見ていると不安になってくるよ。……まるで画面に吸い込まれそうな錯覚すら覚える」


 白と黒が細かく動いて一見グレーにも見えるブロックノイズ。じっと見ていると目がチカチカして画面がグルグル回っているような錯覚を覚える。しかし一向に何かが見えてくる気配はない。


「そう言えば、後数年でデジタル化っていうのが始まって、そうなると砂嵐って表示されなくなるんだよね」


「らしいな。そう考えるとこの砂嵐寒冷の怖い話というのも風化していくんだろうな」


「おお! なんか変な絵が見える気がする!」


 わたしと先輩が話しをしている横でじっとテレビを見つめていた茉莉が突然そんな事を言いだした。


「なに!? 本当か!?」


「はい! えっと……たぶん……」茉莉はテレビ画面に顔を近づけたり遠ざけたりして、「楡金ちゃんが映ってます!!」


 市井先輩が盛大なため息を付いた。それは間違いなく画面に写ったわたし自身。一緒にテレビの画面を覗き込んでいるわたしの顔がそこに反射しただけだ。


「でもさ、きっと怖い体験をした人たちも見間違えただけだよ。目の前に誰かいると思ったら鏡に写った自分でした――みたいなさ」


「だが、写ったのは男だという話だ」


「えっとえっと……自分の顔が男みたいな顔だったとか?「いるじゃん? 男みたいな顔の女の人。例えば本宮先輩だってそうじゃん!」


 茉莉はものすごく失礼なことを言い出した。


「本人が聞いたらさぞ悲しむだろうな」


 きっとあの先輩のことだからきっと大笑いして軽く流すに違いない。


「それにさ――」茉莉はまだなにかあるみたいだった。「この砂嵐の画面って何かに似てる気がするんだよね」と、腕を組んで考え事を始めた。


「似てる? 何にだ?」


「うーん……昔どこかで……」


 茉莉の思考を邪魔しないように黙って見届けることしばらく。彼女は似ている何かを手繰り寄せた。


「あれだ!! 3Dのやつ!!」


 その言葉を聞いても、わたしも市井先輩もピンとこなかった。


「え? 知らない? ほら、昔雑誌の付録とかによくついてたじゃん。わちゃわちゃした感じの模様の上ら辺に丸い点が2つ付いててさ。そこに焦点を合わせながら顔を近づけたり離したりすると絵が浮かび上がるやつ」


 その説明を聞いてわたしは茉莉が何を言いたいのか理解した。


「ああ、茉莉が言ってるのは『ランダム・ドット・ステレオグラム』のことだね」


 そう言われるとたしかに似ていると言えなくもない。


「楡金。そのランダムなんちゃらというのは何だ?」


 わたしは市井先輩に詳しく説明した。


 それはわたしがまだ小学生の頃、父さんが取り寄せていた海外雑誌の翻訳本にも掲載されるくらいのちょっとしたブームになった、一種のお遊びだ。


 一見ノイズにしか見えない画像が、うまく焦点を合わせてやるとそこに立体的な絵が浮かび上がってくるというものだ。ただし結構なコツが必要で人によっては全然見えない場合もある。わたしも何度か挑戦したけど見えた試しはない。


「つまり、砂嵐を見ていた人間はそのランダム・ドット・ステレオグラムの要領で男性の顔が浮かんで見えたということか」


 その可能性はなくはない。ただし、通常のランダム・ドット・ステレオグラムはもともとそこに浮かび上がる絵が仕込まれているわけで、そういったことを想定していいない砂嵐から特定の絵が浮かび上がってくるというのもおかしな話だ。


 そのとき――


 視聴覚室の扉がガラガラと音を立てて開いた。


「ワァオ! ナニをシテイマスか? ミナサン」


 マリア先生だった。


 カーテンを締め切って暗くした部屋で砂嵐を映し出すテレビを見つめる3人の生徒。怪しく思わないほうがおかしい状況だった。


 先生が部屋の電気を点けると室内は一気に明るくなり、わたしたちはその眩しさに目を細めた。


「い、いやぁ~。視聴覚室にお化けが出るっていう話を聞いてそれを検証したたんですよ」


 わたしが止める間もなく茉莉が喋ってしまった。調査を持ちかけた市井先輩の方は特に焦っている様子もなく、茉莉同様マリア先生の介入に難色を示す様子はなかった。


「オバケデスか!? オモシロそうデスネ!!」


 マリア先生は満面の笑みで興味を示した。


 夏休みに肝試しに参加していた事を考えると、マリア先生も怖い話の類が好きなのかもしれない。が、この場合先生は勝手に視聴覚室に入ったわたしたちを注意すべきではないかとも思う。


 わたしたちの方にやってきたマリア先生に市井先輩が事の経緯を説明した。


「ナルホドー。オトコのヒトがテレビにウツッタのデスネー。トテモ、コワァイデスネー」という言葉とは裏腹にマリア先生は特に怖そうにしていない。


「だいたい蔓杜には男がいたという記録がないのにどうして男の影が噂されるようになったのかだ」


「ノーノーノー!! ソレはチガイマスネー」


「うん? 違うというのはどういうことですか?」


「ワタクシもホカのセンセーからキイたハナシなのデスガ。カコに、このガッコーにオトコノヒトがハイッテキタコトアリマース!」


「え?」「なに!?」「マジで!」


 わたしたちは同時に驚いた。


 ――まさかその人ってわたしが探していた野上利夫なんじゃ!?


「あの! その人の名前は?」


 自分の思いが先行して半ば前のめりになるわたし。しかしマリア先生から帰ってきた答えは、


「オー、ハンニンのナマエまではシラナイデスネー」


「……え? ハンニン……って、犯人……?」


「それ以外ないでしょ楡金ちゃん」


「いやでも入ってきたって……」


「楡金は何を言ってるんだ?」


 どうも茉莉と市井先輩との話が噛み合ってない。


 わたしがどういうことだろう首をひねると、市井先輩がああなるほどと納得言ったようにククッと小さな笑いを漏らす。


「楡金はあれか入ってきたというのを入学してきたの意味で捉えたんだな。マリア先生が言ってるのはおそらく侵入の方だ」


 先輩の説明を聞いてようやく自分も納得することができた。


 侵入……だから犯人というわけだ。


「ハイ、ソーデス! ナンデモ、ソノオトコノヒトはトテモアレていたソーデース。トウジのセイトタチはイッパイコワがってイタというコトをキイテマース」


「ま、男からしたらたしかにここは秘密の花園だもんね。侵入したくなる気持ちもわかるってもんよ」


 茉莉はなぜか満面の笑みを浮かべおっさんみたいなことを言った。


「でもそんな事件があったら普通もっと対策とかしそうじゃない?」


 そう言われてみるとたしかに蔓杜のセキュリテイは甘いような気がしなくもない。高い塀で囲われているわけでもなく校門だって運動神経がいい人なら勢いをつければ軽く飛び越えられそうな高さしかない。


「もしかしてさ、その男の人が侵入してきた事件が別の怖い話とごっちゃになって男の人の影を見るようになったとかじゃない?」


 茉莉にしては珍しくそれっぽいことを言っていた。その線はなくはない。噂というのは得てしてそういうものだ。


「オー。ソノジケン、そんなにフルくナイデスネー。チョード、ナナネンマエのハナシデース」


 7年前。結構最近だ。さすがに7年だとその噂はそのまま残りそうな気もする。


「7年前……?」


 市井先輩が何かに思い当たったようにつぶやいた。


「先輩もしかしてなにかわかったんですか?」


「ん? いや、特には……」


 否定する先輩の口調はどうにも歯切れが悪い。


「それでそれで、その侵入者ってどうなったんですか!?」


 茉莉は興味津々でマリア先生に続きを請う。


「ソウデスネー、ナンデモ、ハンニンはショクインシツにノリコンでアバレたソウデスネー」


「職員室ぅ? 乗り込むなら普通学生寮っしょ?」


 それを先生に言ったところでどうにもならない。犯人が何を考えていたかなんて犯人にしかわからないんだから。


「それで結局その犯人の目的って――」


「楡金!」


 わたしが先生に質問しようとすると市井先輩に止められてしまった。


「――この話はもういいだろう」


 そういう先輩の顔は影がさしたように暗かった。それを感じた茉莉もそれ以この話を深く追求することはしなかった。

 そして、わたしたちは謎の解明を切り上げ先生とともに視聴覚室を出た。


 …………


 翌日の放課後、わたしはまた市井先輩に呼び出され図書準備室に足を運んだ。今日も最後の謎についての調査をすすめるのかと思っていたら、


「この謎はこれ以上詮索しない」


 とハッキリ言い切った。


「どうしたんですか急に?」


 あれだけ蔓杜の謎にこだわっていた先輩が自らそれを放棄したことを疑問に思わないわけがない。


「理由は今から説明する。ただしこの話は絶対に秘密だ。楡金のルームメイトにもだ」


 いつになく真剣な表情で先輩は話し始めた。


「この間、私の母が死んだ話はしたよな? 実は私の父は母がなくなった件を講義するために単身蔓杜に乗り込んでいったんだよ。……で、私の母が亡くなったのは今から7年前だ。後はもうわかるよな?」


 昨日マリア先生が話していた事件は7年前に起きたと言っていた。先輩の含みのある言い方から察するにこれは偶然の一致などではないということだろう。

 つまり、7年前に蔓杜に侵入した男というのは市井先輩のお父さんだったということだ。彼が職員室で喚き散らしたのはおそらく抗議のため。でも、事情を知らない生徒にしてみれば、それはきっとただ男の人が喚いて暴れているようにしか見えなかったのだろう。


「……だからそれが一種の恐怖体験になって」


「昨日来米が言ったように過去の蔓杜の謎と融合して新たな謎として生まれ変わったんだろう。――だからこれ以上の追求は勘弁してほしいってのが本音だ」


 つまりこれ以上この謎の解明を進めるとどこかで市井先輩のお父さんの不祥事が暴かれてしまう可能性があり、先輩はそれを懸念しているということなのだろう。


「幸い、今のところ父の蛮行は表に出てないが、在任中の教師の中には7年以上在籍している先生もいるからな。――だから来米にもこれ以上追求するなと釘を差しておいてくれ」


「わかりました。それは構わないんですが……そうなると、市井先輩のお願いはすべて達成したってことでいいんですか?」


「ああ、構わない。約束どおり私は図書準備室にこもるのをやめて通常の業務に戻るよ――とは言っても後数ヶ月だけだがね」


 先輩は珍しくクスッと自嘲してみせた。


「でも本当にいいんですか? 謎はまだ残ってるんですよね?」


 それだと、先輩の母の死に関する情報を入手するという目的も達成できないことになってしまう。


「それは問題ない。ここを卒業した後もう一度ここに戻ってくるつもりだからな」


「え? どういうことです?」


「私は教師を目指す。そして今度は生徒としてではなく教師としてここに来るという意味だ。そうすれば生徒としては見えなかったものも教師としてなら見えてくることもあるかもしれないだろう?」


 つまり先輩はまだ何も諦めてないということだ。


 ――以前言っていた“チャンスはまだある”というのはこういうことだったのだ。


「だからこれからは勉強に本腰を入れる。たぶんもう楡金とこうして話をすることもないだろう」


 それはそれでなんだか寂しい気がした。


「ま、楡金も生徒長頑張れよ」


「う……」


 先輩の言葉で今まですっかり忘れていたことを思い出した。あのカギを手にするということは生徒長の業務をこなさないといけないのだ。


 でもたぶん大丈夫だろう……と、この時のわたしは軽く考えていた。

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